心理的安全性という言葉を使いたくない

心理的安全性という言葉を、特に数年前からよく聞くようになった。

この概念は1990年代からあったらしい。提唱したのは組織行動学の人だが、それを有名にしたのはGoogleのプロジェクト・アリストテレスという研究だろう。ぼくが心理的安全性という言葉をよく聞くのは、自分もソフトウェア開発の仕事をするようになったからかもしれない。

そういう歴史の話を書きたいのではない。心理的安全性という言葉は覚えやすく、そして便利だから、正確な意味を知らないまま安易に使われている気がする。今回はそのことについて書きたい。


心理的安全性は生産性に最も貢献する要因として広まった

2012年からGoogleが4年にわたってチームの生産性の向上に最も影響する要因は何かを調べた。前述のプロジェクト・アリストテレスという名前の研究である。リーダのカリスマ性やメンバー同士の共通の趣味など、いろいろな要因を対象に調べた結果、最も生産性の向上に貢献するとわかったのが心理的安全性だった。

心理的安全性は、このように生産性の文脈で登場した概念なので、開発現場などでよく聞くというわけである。みんなで仲良く働こうという話では全然ないのだけれど、そういった誤解があるように思う。

心理的安全とは個人がリスクを取ることができる状態

心理的安全性の説明として、ぼくが好きな表現が、「個人がリスクを取ることに対して安全であると感じることができる状態」だ。なぜ心理的安全性が大事なのかという答えが簡潔に示されている。つまり、リスクを取ることが生産性につながるということである。

ここでいうリスクというのは、他の多数の意見と異なる主張をするとか、自分の失敗を認めて共有するとか、人間関係に影響するかもしれないが正直なフィードバックをするとかである。

「相手を傷つけるかもしれないから黙っておこう」という態度は、むしろ心理的安全性は低いといえる。この辺りは誤解している方も多いのではないか。

言葉を知っているだけで通じていると思い込む

心理的安全性という言葉は聞いたことがあっても、正確な意味は知らないかもしれないし、知っていたとしても「心理的安全性を高めよう」といったときに想像するゴールが人それぞれ違っていたりする。これは心理的安全性に限った話ではなく、たとえば、「コミュニケーション能力」とかも一緒である。ぼくは、いつも「コミュニケーション能力とは何ですか?」と聞き返している。

「心理」も「安全」も、ほとんどの人は意味を知っている。だから、心理的安全性という新しい言葉を聞いても、「大体こういう意味だろう」と想像できてしまう。これによってミスコミュニケーションが起きているように思う。

専門用語を使いたくない

タイトルに書いた通り、心理的安全性などの専門用語は、ぼくはできるだけ使いたくない。簡単な言葉で説明できるほうが賢いと考えているから、そもそも専門用語を覚えようともあまり思わない。

「心理的安全性を高めよう」などと言わず、「正直な意見が歓迎される環境を作ろう」と言ったほうが目標が明確で、どうすれば実現できそうかも想像しやすい。「正直な意見」の回数を測定すれば達成度を評価できそうだな、とも思いつく。こちらのほうが建設的な話ができると思うのだが、いかがだろうか。

まとめ

自分が専門用語をあまり知らないので、八つ当たりのような記事を書いた。

どうすれば心理的安全性を確保できるのか、という点には触れていないが、それについてはたくさん書籍や記事がある。ぼくの考えは、そのうち別の機会に書くかもしれない。

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