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映画「ドレミファ娘の血は騒ぐ」をU-NEXTで見ました。大学ってすごいところだな。

映画「ドレミファ娘の血は騒ぐ」を見ました。秋子は高校の先輩を追って東京の大学に来る。大学は性に奔放に振る舞う人たち、おかしなゼミ、など真面目な秋子にとってはすごいところだった。そんな大学は秋子もおかしな方向へと誘って行く。物語を要約すれば、大学という異世界に入って、変な人たちに会い巻き込まれていく。不思議な国のアリスみたいなものかな(他の成長物語的な行きて帰りし物語ではない。「不思議の国のアリス」というのがぴったりだ)。最後に秋子がタバコを吸っている場面があったので、この不思議な東京の大学に行ったことによって、秋子の内面の変化があったことを示して終わりと思ったら、まだ続く。銃撃戦が起こっているような、演技をする。しかしここら辺はよく意味がわからないので、保留。

異世界(異世界に限らす、現実の世界と違う世界を描くとき)の物語を作るとき、この映画の導入は参考になると思う。登場人物にその世界と対峙させることによって、人物の性格と同時に世界観が説明できる。現在の作品だと演出が凝っていて構造が見えにくいが、これはオーソドックスなので。

当初はポルノ映画として制作されたらしい。なので、女の人の裸とかがバンバン出てくる。特に意味もなく。とってもそれは、大学をおかしい感じにしている一要素(当時の大学とはこんな感じだったのかもしれないが)。秋子が途中であう女性や、高校の先輩の吉岡は周りの反応に無頓着で映像の中で奔放に動く。性的なものと同じように、この大学のおかしい雰囲気の一要素になっている。吉岡を追って訪ねたゼミは「恥じらい理論」なるものを研究していて、その研究対象からしておかしい。この「恥じらい理論」も性的な方向に進み、見ている人の興味を惹きつけるといえば惹きつける(私が男だというのもある)。

ドラマらしい、ドラマはない。冒頭、秋子は勝手に写真を撮られ、すぐにフィルムを抜いてしまう。私はこれで、フィルムが現像できないとわかるが、もうわからない人も多いでしょうね。何をしているかわからないと、秋子の気の強さも伝わらないかもしれませんね。吉岡がいたというゼミに行って、セックスをしているところに出会い、恥じらって逃げる場面がある。気が強いけど、真面目な秋子が、こんな変な大学でどんなトラブルにあうかを期待して見られる。惹きつける要素は、この秋子と大学である。が、しかし映像は秋子だけを追わない。自主制作の撮影場面(けっこう長い)や、吉岡が踊る場面、性的な場面。正直よくわからない、場面も多い(大学の変さは伝わるけれど)。突然、秋子が劇中のカメラに映っているような場面になって、こちらに語りかけてきたりする。秋子意外には、ドラマは起こらない。秋子の友達みたいになった女子大学生は、「恥じらい理論」のゼミの人たちに変なことをされるが、特に抵抗もせずに受け入れてしまう。特にその内面が語られこともなく、表情を見せたりもしない。声で気持ちよくなっているような感じはある。吉岡も秋子に絡むが、それほど執着しているわけではなさそう。ゼミの教授が、秋子を「恥じらい理論」の研究対象にしようとする。そこにドラマの予感は感じさせる。秋子が吉岡に失望して、田舎に帰ろとうするもなかな帰らなかったのは、教授に興味を抱いたからのようだ。

自分のゼミに恥じらいを感じる生徒がいないことに失望し、秋子を研究対象とする。秋子の裸が出ている場面。秋子はそれを受け入れてしまう。大学のおかしな風に当てられたせいとしか思えない。そして、タバコを吸って最後の場面へ。

秋子役の洞口依子さんが美人だからってのも、興味をひく要素だね(声も良い)。テーマは大学という不思議な空間を描くってことかな。まともの秋子の目を通して見ると、不思議さがわかるね。この主ストーリーから外れる映像も「なくても良い」とは思わないのだけれど、その場面の映像がどれも長いです。もう少し、短いほうが飽きなくて良いなと思う。飽きさせないように短いカットで作る、今の映画に慣れてしまっているからそう思ったのかもしれない。

出てくる人はみんな貧乏そうだけれど、なんとなく未来の希望のような明るいものを感じる。時代はバブル直前だよね。それを知っているからこそ感じることなのだろうか。

ドラマというのは、何かに対して感情(反発でも、許容でも、好悪でも)を抱く人物がいるからこそ起こるんだよなと思った。どんなにおかしな状況におかれても、それを当たり前として受け入れてしまっていたら、ドラマは生まれない。コントとかそういう方向に行くのだろう。コントと物語の違いはそこだったのか。秋子以外は、この大学をおかしいとも思っていないようだし。前述したが、これが当たり前だったのかもしれないが。当たり前だったとしても、それを当たり前と思わない人が行けば、不思議な空間になる。ということは、今現在の「当たり前を」受容できない人を描けば、なんでもないこともドラマにできるね。

タイトルの意味は「血は騒ぐ」というのは、この大学に対しての比喩表現。「ドレミファ娘」は何だろう? 劇中で「ド〜、レ〜、ミ〜」とか歌ってたから、その場面を見ればわかるかな。

物語の中盤、秋子が教授に出会う寸前、ずっと同じ映像が続くのだけれど、背景の木々が揺れている動きが見えるだけで、あまり飽きずに見られる。動きがあるのはいいね。

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