映画「クーリエ:最高機密の運び屋」を見てきた。演出が良いのだろう。
映画「クーリエ:最高機密の運び屋」を見てきました。クーリエとは「外交文書を本国と各国の大使館・公使館等の間、あるいは大使館・公使館相互間などで運搬する業務のこと(Wikipediaより引用)」らしい。冷戦当時グレヴィル・ウィンという英国のセールスマンが、ソビエトのペンコフスキー(GRU)から情報をもらい、CIAやMI6にその情報を渡していたという実話を元にした作品。この情報によってキューバ危機は免れたらしい(この映画ではそう言っている)。物語は、決してセオリーに従っていないです。一番盛り上がるだろうペンコフスキーの亡命場面を、かなり前に行います。亡命は事実ですし、しかもこの亡命は失敗します。映画は、ウィンが釈放されて終わるのですが、もちろん派手な脱出劇を行うのでなく、普通に釈放されます(ソビエト側が、ウィンは知らずにペンコフスキーに協力していたと判断したのか。MI6側が人質交換で誰かを用意したのか、そこまでは説明がなかったです)。ウィンの仕事も、その外側を映しているだけで、具体的には描写しません(これは仕方ないと思います。具体的に描いたら手口がわかるし。当時の手口が今でも有効なのかはわかりませんが)。とにかく、そんなに突っ込んでは描かないんですよね。それでも面白かったです。演出が良かったから面白く感じたのかな、なんて思いました。
物語が本当事実の羅列っぽいかたちで、あまり覚えていないんです。流れがあると覚えやすいんですが、こういうドキュメンタリーというか、事実の配置をしている映画は覚えられない。原作があると思うのですが、原作はもっと長いと思うんですよ。映画で描かれたのは、一部でもちろんその一部は意図的に選ばれています。もしかしたら原作では、短かったところを伸ばしたなんてところもあったでしょう。一番覚えているのは、亡命前、ウィンとペンコフスキーがバレエを見る場面でしょうか。本当のバレエの場面と、ウィンとペンコフスキーの顔が映されます。二人が何を考えているか、考えながら見ていました。ウィンに関しては、友のとなった男を亡命させるために、危険な任務を選んだこと、それがもう少しで成功するだろうことを考えている。ペンコフスキーはおそらく最後となるであろう、モスクアのバレエをソビエトでの自分の仕事を思い出しながら見ている。バレエを見るというシチュエーションは物語前半にもあるのですが、そこではバレエの場面は一切ない。最後のバレエを印象深いものにするためにわざと省いたのでしょう。バレエを見たというのはおそらく事実でしょう。原作では、文字で二人の思いが書いてあったかもしれません。バレエを見ている二人をどう撮るかには、なんらかの意図があるはずです。全く二人の心に入らないように、遠くから撮ってもいいはずですが、ここでは胸から上を撮影しています。二人を映す時間をもっと短くてもいいはずです。しかし、けっこう長く撮られている。前半のバレエを見ている場面を無くさなくても良かったはずです。ありとあらゆる可能性から、こういう撮り方を選んだということは何らかの意図があるはずです。なかった演出を考えて、映画を鑑賞すると映像の勉強になるかもしれませんね。私は色々考えてしまいましたが、単純にこの場面は良かったです。ウィンとペンコフスキーが座ってバレエを見ているだけなのに。これは、映っている映像としてはあまり動きを感じませんが、二人の心を考える視聴者の心が激しく動き、飽きさせなのかもしれません。バレエ自体は動いているので、それに心の動きが仮託されていたのかもしれません。
万巻の思いを語らせつのでなく、バレエを見ている二人を見せて言外に語らせる演出は素晴らしいですね。他の芸術作品を作品内の人物が鑑賞することによって、その動きを推測させる。素晴らしい演出。
歴史もしれた点も含めて、良い映画でした。
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