映画「ライアンの娘」をU-NEXTで見ました。一人の女性の人生から、アイルランドの歴史の一幕を描く。
映画「ライアンの娘」を見ました。アイルランド独立戦争前のアイルランド島の寒村を舞台に、駐在しているイギリス軍将校ドリアン少佐と、その村に住む人妻ロージーとの不倫を描く(wikipedia より引用)。これぞ映画の教科書だと思える作品です(長いけど)。説明的なセリフは全くありません。登場人物たちの演技から、その微妙な感情が読み取れます。物語としては不倫を描いていますが、不倫がテーマというわけではないと考えます。映画は楽しんで見られましたが、最後にならないと、映画の制作者が何を描きたかった(テーマ)は見えてきません。当時のアイルランドの情勢から、人間を描いています。それは、ラストの方でアイルランドの独立を望む者たちが、村人の誰か(ロージーの父なのだが)の裏切りより捕まる。疑われたのはロージーで、村人たちにより私刑(髪の毛を切るくらいでしたが。当時としては、重いことだったのかもしれません)される。このところから感じました。人間の残酷さが、伝わります。ロージーの不倫相手のランドルフは最後に自死します。戦場の辛さ、戦場がいかに人間を不安定にさせるかも伝わりました。ロージーは、最後にマイケル(足を引いていて、話せない)の頬にキスをする。ロージーはずっとマイケルのことを嫌っていた(自身も、のちに自分を私刑した村人と同じく差別意識を持っていた)。わたしが感じた、描きたかったものはこの3つかな。一番が、当時のアイルランドを描くことによって、人間の差別意識、というか相手が裏切り者なら何をやってもいいとなる残酷さ、と考えます。二番目はロージーの変化ですが、これは物語をわかりやすくするためにオチとしてつけたのかな、と思いました。ロージーがマイケルを受け入れることによって、より一番目のテーマが際立つという点もありますね。戦場の辛さについては、制作者にとってはキャラクター性をつけるための要素だったのかもしれません(将校という立場でありながら、村人と不倫してしまうための不安定さ)。しかし、私にはテーマ性を感じました。これは私が男性だからかもしれません。不倫についてはドラマを作ることと、裏切り者と疑われるための要素、くらいにしか思わなかったです。しかし、女性が見たらまた感想は違っているかもしれません。ロージーの夫は、ロージーが不倫をしてもそれを受け入れてしまって、最後ままで優しいです。わたしは特に何かを感じるということはなかったですが、女性にとってはまた感想が違うかもしれません。
この映画はなぜ私は楽しめたのでしょうか。過剰な人物のキャラクター性の付与はありません。派手な演出も、映画の後半アイルランド独立を望むものたちの武器を海の中から回収する場面くらいしかないです。不倫してからはドラマが生まれるだろう要素はありますが、演出はかなり抑えています。この映画がフィクションであるということを、感じさせない演出というのでしょうか(フィクションだとは思って見ているけれど)。そして、私は前知識が全くない状態で映画を鑑賞しました(不倫の映画だとは認識してました)。そもそも舞台がアイルランドとわからない状態で見ていたわけです。なので、序盤で警官が殺されたときは驚きました。死にまつわる話なのかと。アイルランドの歴史についてはぼんやりと記憶にあったので、見ていくうちにどういう映画なのかだんだんわかってきました(時代背景がきちんとわかったのは、映画が見終わった後 wikipedia を見てからですが)。ひとつひとつのカットの素晴らしさ、映された役者の演技、そこからこれから起こることを予測させて視聴者の興味を繋いでいると感じました。映像というのは、人間を映しているときだけでなく冒頭の村の風景などからも感じられます。状況説明として風景だけでなく、何となく不穏な空気がありました。村を映してからの、何か意味ありげに見ている村人の表情、イギリス兵隊、イギリス兵隊からみた村人。演技とカット割で緊張感が出でました。あと音楽もいいですね。ドラマを感じさせないのは、幸せな展開では音がで演出し、不穏な展開では音楽を使っていないからかもしれません(ドリアン少佐との逢瀬では使ってましたね。短い時間でしたが)。出会いはドラマを生みます。ロージーとチャールズ(夫となる。村の教師)の最初の出会いは、遠景から撮影して、二人が歩きながら近くに寄っていくところを映しています。この間が、視聴者にいろいろな想像させるのでしょう。コミックのアニメ化で、物語は全く同じなのに物足りなく思うときがあります。「余韻がないな」と思いながら、うまく言語できなかったのですが、こういうことなのかもしれません。視聴者から想像する余地を奪っている。チャールズのと結婚までの展開は早いです。不倫も。恋愛をしている場面はないです(きちんと恋愛していたら、そもそもチャールズとは結婚してないですね。ロージーは憧れを愛と思ってしまったのかもしれません)。当時がそうだったのか、制作者が興味がなかったのかはわかりません。あまり気にならなかったです。
演技はロージーの演技から見ていきます。最初のチャールズとの出会いではとても幸福そう(一瞬、チャールズが女性の話をするときは不安そうな顔をします)。結婚式の夜から、もう不穏そうな部分が演技から見えます。ここでの不穏はただ初夜の恐怖だったのかもしれませんが、幸せそうな表情で一連の場面が終わらないので、この後の不穏な展開を予想させたままで終わります。ロージーは恋に恋していることが一番幸せな人間だったのでしょう。今では、そういう人もいるとわかりますが、当時、そして厳格キリスト教の神父がいる村ではその考え方は許されなかったのでしょう。当時としては、このような人がいることを示すことも画期的だったのかもしれません。不倫でなくなったら、おそらくロージーの恋心は無くなったかもしれません。演技の白眉は、ロージーがドリアン少佐と最初の逢瀬のあと、チャールズに最初の言い訳をするとき。演技から、心配しているチャールズに対して、ロージーに全くいたわりを感じられないところ。ロージーから、全くチャールズに目を向けないところからそれを感じます。ロージーが密告者と疑われる場面、目線のやりとりから裏切り者は父のライアンと感じてしまったことも察せられました。それでもロージーは何も言わない。全くの説明なしのこの一連の場面は、ロージーのことを考えさせられる、すごい場面だと思います。
映像表現としても、たくさんの予感を提示しています。最初の傘が落ちていく場面。物語の波乱さ。感じさせます。チャールズとロージーの最初の出会い(映画内での)では、二人はお互いの落ちてしまった帽子を拾って被せます。最後の場面では、ロージーの帽子しか落ちませんので、チャールズのみがロージーの帽子を拾います。チャールズにはロージーへの想いは残っているが、ロージーにはもう残っていないことが示唆されます。砂浜の足跡。物語の前半、ロージーは、チャールズの足跡の上を歩き、一体となることを望んでいることが伝わります。後半では、ロージーとドリアン少佐の足跡が、チャールズに不安な想い想起させます。ドリアン少佐は、最初に洗濯物として干してあったロージーの赤色の服を見ます。最初の逢瀬の時も、ロージーの赤色の服が強調されます。後にダイナマイトが入った箱の赤が強調され、ドリアン少佐はそのダイナマイトで死んだと思われます(「押井守の映画50年50本」読んだら、違うっぽいね。何で亡くなったかは見せてないはず。音で分かったのだろうか?)。死の誘いとしての赤でしょうか。ロージーとドリアン少佐の最初の逢瀬の時、二対の植物が強調されます。ロージーとドリアンは互いに似たものであることを意味しているのでしょうか(だとすると、ロージーとドリアンが結婚したらうまくいっていたかも)。年が離れていると憧れはあっても、それは恋には変わらないのかもしれません(これもテーマか?)。
マイケルという存在はこの映画でどういう位置付けなのでしょうか? 最後にマイケルに対して、ロージーがキスすることからロージーの変化を表す存在ではあります。足を引いているという点では、ドリアン少佐と同じです。ドリアン少佐との対比としても描かれています(マイケルもロージーのことが好きのようであった)。ロージーがドリアン少佐に対しては、不倫をしてまで会おうとするのに、マイケルは嫌っています。二人の存在を通して、人間の差別意識を表しているのかもしれません。トリックスターとしての役割も持っています(トリックスターという表現はあっているのか?)。物語を展開させます。マイケルのおかげで、時間をかけなければいけない展開を、短くして、退屈さを回避している場面もあるかと思います。冒頭、村人がマイケルをからかう場面で、後のロージーへの仕打ちの布石ともなっています。その時、起こる神父の厳格さも示しています。
この映画については神父の存在も大きいですね。優しいけれど厳格です。厳格さゆえに、いまの視点で見ると女性の自由を許していないように見えます。当時のその厳しさも、またテーマだったのかもしれません。
不倫を描いていますが、それにともなう恋愛での描写を最小限に抑えているところは、見やすかったです。不倫、しかも自分の所属しているだろう場所の人たちと敵対しているだろう人間との不倫。それに対する、人々の反応は、人間への興味として私は見られます。
最後まで視聴して、テーマが見えてきます。連載中のマンガとかも、完結まで読まないでどのような作品か判断するのは良くないですね。
優れた映画は色々な角度から見られますね。素晴らしい映画でした。
「押井守の映画50年50本」読んだら、ロージーは村の人間と馴染めないと会った。そうかもね。想像に及ばなかった……。そう考えると、ジェームズは外の世界の仮初の象徴だったんだろうね。実際は違った。
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