いち人間として。
よく交友関係が広いという、お言葉をいただいたりする。
以前書いたように、昔は人見知りでもあったから、その頃に比べたら本当に人と会うことだったり、話す事が好きになったと思う。
正直いうと昔は、人が嫌いだった。
今思うと、身勝手な理由だった気もするが、あの頃の自分には、どう説明しても理解してくれないと思う。
それには致し方ない背景がそこに存在する。
そんな自分が、たくさんの人と出逢い、話す事で、すごく思考が変わった。
有り難いことに、このオフもたくさんな人に支えられて乗り越える事が出来た。
その思考の変化とは。
昔、夢に見ていたプロサッカー選手。
憧れていたものになった自分。
すると、そこで生まれるのは
《プロサッカー選手の武岡優斗》
である。
だいたいどんな人にお会いしても、この付加価値のおかげで大なり小なり会話の入りが変わる。
もしこれが
《武岡優斗》
これだけだと、前者ほどの食いつきが正直ない。致し方ないがこれが世の中の現実。
ある時から、今の自分には利用価値があるし、これを利用しない手はないと思うようになった。
よく通っていたお店がある。
様々な人が来るお店だ。
そこに1人で行くこともかなり多かった。
そしてカウンターに座る。
マスターが気さくな方で、カウンターに座ってお食事をしている方々と、会話を繋げてくださる。
もちろん紹介の仕方は
《プロサッカー選手》
なんですよ。と紹介される。
入りはこれでいいと思っていた。どう思われてもしょうがない。事実やし、良くも悪くも反応があればいいと思っていた。
その後の会話は
《武岡優斗》
としての勝負。
どこまで会話を広げられるのか、自分はこういう人間ですと伝えられるのか。
そして、その会話の中で様々なことを感じた。やはりプロサッカー選手というのは特別であるということ。
一般的なイメージとしては、凄く煌びやかで眩しい付加価値がつけられている。
だけど、その事実は永遠には続かない。
人によってその長さは違うが、遅かれ早かれ必ず終わりがくる。
《プロサッカー選手の武岡優斗》
としてではなく、ただの
《武岡優斗》
になる瞬間が。
それにみんながみんな有名な選手ではない。
世間で認知されている選手は一握りである。
そして、自分もこの部類には属さない。
だからこそ言いたいのが、最初はプロサッカー選手というひとつの付加価値が付いてこそいるが、その先はいち人間としての《魅力》や《人間力》が本当に大事なのだということ。
幸いにも自分の周りには、尊敬する先輩方や素晴らしい仲間や可愛い後輩に恵まれている。
周りからたくさんの事を吸収、学び、プロサッカー選手の武岡優斗としての残された時間を大切にし、いち人間としての魅力や人間力を高めていきたい。
拙い文章で申し訳ないですが、読んでいただきありがとうございました。