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モデル アット ブルジュ・ハリファ
「ドバイでラオスのコーヒー屋さんのモデルをしたことがある。」
こう切り出すと、たいていは「なんだって?もう1回言って」と聞き返される。それもそのはず。純日本人の僕が、日本から10時間超の中東・ドバイで、東南アジアにある国・ラオスのブランドのモデルを、それもアパレルではなくコーヒー屋さんのモデルをしたのだから。
2022年2月1日。僕は日本を出発し、一人ドバイへと旅立った。日本の外に出るのは1年ぶり3度目のことで、韓国・カンボジアに次ぐ3カ国目だった。自分で言うのもなんだけれど、だいぶ思い切ったな、と思う。このとき23歳の僕は、海外に飛び出して人生変えたい、という気概も少しばかり持ち合わせていた。海外旅行初心者なりにがんばってチケットを手に入れ、1回の乗り換えを含む22時間でドバイまで向かうこととなった。安かったからきっと狭いんだろうな。覚悟のうえで乗り込んだQatar Airwaysはむしろゆったりしていて、キャビンアテンダントの対応も優雅であったし、1人1つ配られたポーチの中にはアイマスクに耳栓、歯ブラシにリップバームまで入っていた。想像していたよりはるかに快適な空の旅だ。初めてアジアを飛び出す僕は、座席前の画面に映る映画のデフォルトが英語であったこと、"Fish or Beef ?"というあの質問をしてもらえたこと、はじめは「10hrs 48mins to DOH」だった時間が少しずつ減っていくことなどなど、目に映るもの耳にするものすべてにいちいち感動していた。とはいえ眠気には勝てず、映画を1本見終わってからは寝てはたまに目を開け、そのまま目を閉じるということを繰り返した。何度寝したときだっただろうか、目を開けるとドーハ空港に着陸していた。このタイミングで僕は調べる。「ドーハってどの国なのだろう…。」答えはQatar(カタール)だった。
「Qatar Airwaysって国営航空!?それは良いサービスなわけだ。」
Qatarも読めない英語力にやや不安が残るが、こうして僕は人生初の中東に足を踏み入れたのだった。鬼門だと思っていたトランジット手続きもなんとか乗り越え、次のフライトを迎える。ドーハからドバイは1時間くらい。あっという間に窓の外に金色の光を放つ町が現れた。イルミネーションの金色よりもずっと金色で、「ドバイに来たのだな」と実感させてくれる。
ドバイに来た目的は万博だった。当時浅草でバーテンダーをしていた僕は、2025年の大阪万博の集客の糸口をつかむためという名目で万博に遊びに行ったのだ。東京ディズニーリゾートの4倍以上だという万博会場では192もの国と地域が展示館(パビリオン)を出しており、人気のパビリオンは入るまで数時間待ちと、まさに大きなテーマパークのようだった。欧米・中東を中心に多くの人が集まっている会場に、日本人はほとんどいない。「どこから来たの?」に"Japan"と答えると、多くのパビリオンで「1人で来たの?遠くからよく来たね」と驚かれた。ラオスパビリオンもその1つであった。
「人が多くて疲れたでしょ?コーヒー飲んでいきなよ」
声をかけてくれた彼女は日本への留学経験があるようで、会話の半分くらいで日本語を使ってくれた。異国の地で日本語が話せたことが嬉しく、思いがけず随分と長居をしてしまった。ラオスパビリオンに人が増えてきたところで、「またドバイにいるうちに会おう」と連絡先を交換し、僕は次のパビリオンに向かう。
それからの日々は、ひょんなことからベナン人のお兄さんとパビリオンを見たりインド人の家族と砂漠に行ったりはしたものの、基本的には1人でパビリオンを巡る毎日だった。ドバイに来てから2週間が経ち、寂しさを感じ始めていたそのとき、ラオス人の彼女から「飲みに行こうよ」と連絡が来た。待ち合わせ場所に指定されたレストランで彼女の名前を伝えると、7人も座っている賑やかな席に通された。せっかくなら友達同士をつなぎたい、と彼女が誘ってくれていたらしい。このうち3人はラオスパビリオンのメンバーで、それぞれラオスにルーツのあるアメリカ人モデル、ラオス人カメラマン、ラオス人カメラマンアシスタントだった。よくよく話を聞くと、彼女はラオス随一のコーヒー屋の次期社長で、3人は一緒に仕事をしている仲間だという。
「日本にも出店したことあるよ」
彼女の言葉に驚いてしまう。とてつもない人と一緒にいるのかもしれない。肩書きに「すごい」と過剰に反応するのはどうなのか…と感じつつも、改めて万博ってすごい人が集まっているのだな、と思う。ベナン人の彼は国の有力な若手官僚だったし、ドバイに住む人から「うちで3社経営しているから、どこかに履歴書出してみない?」と言われたし、日本語を話す親しみやすい彼女が大企業の次期社長だったのだから、驚きを隠せなかったのも仕方のないことだろう。その夜はセレブリティの都市・ドバイらしい夜だった。広々としたレストランでは23歳が年に1回特別な日にしか食べないような料理を楽しみ、2軒目に向かったバーでは1杯1,500円のビールをみんなではしゃぎながらたくさん飲んだ。たった一夜であったけれど、僕らは意気投合し、"Brother"になった。
それからドバイを旅立つまでの5日間、僕は半分以上の時間をこの日出会った誰かと過ごしていた。アメリカ人モデルの彼と長蛇の列ができているドバイパビリオンに並んだり、日本パビリオンのお姉さんとおいしいと噂のスイーツを食べに行ったり、ラオスの4人組とパビリオンメンバー専用のプールで一緒に泳いだりした。彼ら彼女らは「やりたい!」に忠実で、それを実現する勢いもあって、僕は半ば振り回されながらも万博を満喫していた。ドバイ出発の前々日、「チケットが取れたから明日みんなでブルジュ・ハリファに行こう」と彼女から連絡があった。ドバイに来たからにはさすがに行かなくては…と、1人で行くのも辞さない覚悟をしていた僕にとってこの上ない朗報で、すぐに「行きたい!」と返信する。
迎えた当日、集合してまずは腹ごしらえ。フードコートでハンバーガーを食べているその最中のことだった。
「これから商品の撮影をするから、うちのモデルやってみる?」
唐突に彼女はこう言った。「ん?モデル!?何の?」とは思ったものの、とりあえず即座に"Yes"と返す。どうやらこの日の目的の1つは、新商品であるボトルの宣材写真を撮ることだったようだ。あまり気に留めていなかったが、たしかにカメラマンの荷物はブルジュ・ハリファで景色を見るには大きかったし、モデルの彼は綺麗な白い服を着ていた。ぼさぼさの頭に変な柄のシャツの僕でいいのか…と思いつつも、本日の目的地であり、撮影場所であるブルジュ・ハリファに向かう。展望台「アットザトップ」は地上456m。東京タワーよりも高いところから一望するドバイの町は壮観だった。ぐるっと周って景色を堪能したところで撮影会が始まった。撮影場所は、観光客が行き交う展望台の一角。モデルの彼はさすがにモデルだった。人びとの視線をものともせず、ポージングを決めていく。このボトルを持ち歩いたらスタイリッシュな毎日が送れそう。そう思わせてくれるくらいに彼は世界観を持っていた。プールで伸び伸びと泳ぐ彼とも、フランスパビリオンで「筋肉がある人がタイプなんだよね」と熱弁する彼ともまた違う顔で、これがプロか…と感動する一方で、自分もこれをするの?と信じられなくなった。ほけーっと彼を眺めていると、いよいよ僕の番がやってきた。「どうしたいいかわからないよ」と、くよくよしている僕に、
「片手をポケットに入れて。」「もう少し遠くを見つめる感じで。」
カメラマンからの指示が飛ぶ。気づけば僕はモデルになっていた。ボトルを手にみんなで遊びにきたときのように笑ってみたり、何かに思いを馳せているようにボトルを見つめてみたり、ブルジュ・ハリファよりはるか高いところにある太陽にボトルをかざしてみたりした。自分にできるはずがない…。そう思っていたけれど、モデル体験はとても楽しかった。興奮した口調で「楽しかった」を伝えると、彼ら彼女らは嬉しそうに「そうでしょう」と笑う。僕らはブルジュ・ハリファからの夕日を眺めながらこの日の撮影を振り返った。話は移り変わり、ドバイ万博での日々の思い出話に花を咲かせる。はっと気づいたときには夜景がきらめき出していた。
日本に帰ってから3ヶ月。カメラマンからあの日の写真とともに、「広告に使ったよ」とメッセージが届いた。そこには、穏やかに微笑むモデルみたいな僕がいた。
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