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深夜、館山から三茶までタクシーに乗る

若い頃に、働いていた会社を辞める事になった時、
社長が最後だからと、四ッ谷に焼き肉を食べに連れて行ってくれた。
私は牛肉を食べられないと散々言っていたんだけど、社長はすっかり忘れているようだった。
でも、焼肉屋さんには、牛肉以外にもおいしいものはたくさんある。
そもそも私は焼き肉のタレが大好きなのだ。
タレと白いごはんと韓国海苔があればいい。
キムチもあると、もっといい。

話がそれた。

食事を済ませて車に乗り込むと、社長は首都高に乗った。
四ッ谷から三茶(私の住むマンション)まで首都高で送ってくれるなんて、ずいぶん帰りを急いでいるのかな・・と思った。
ただ、なんとなく方向が違う気がした。
幕張が見えてきた時、それは確信に変わった。
この車は三茶方向には向かってない。
でも私はそれでもまだ、少しドライブしてから帰るつもりなのかな・・などと考えていた。
私は夜の首都高ドライブが大好きだと社長に話したことがあったかもしれない。
それを覚えてくれていて、最後のサービスなのかもしれない。
夜の高速は気持ち良くて、窓から顔を出して夜風を感じているうちに、私は寝てしまっていた。
私は昔から、寝てはいけない時に寝てしまう癖がある。

社長に起こされた時、どこかの駐車場にいた。
そこが三茶でない事はすぐに分かった。
車の音も、騒音もしない。
ただ虫の声が聴こえてくる。

そこは房総半島最南端、館山のラブホテルだった。

帰ります、という私。
帰るにしてもとりあえず、一旦、部屋に入ろう、という社長。

社長が言うには、明日早朝から釣りをしに館山に行くと私に話していたんだそうで。
朝がすごく早いので夜のうちに出発してどこかに泊まっちゃおうと考えていたんだそうで。
ただ、なんで私まで一緒なのか、それがどうしても分からなかった。

私は、とりあえず部屋に入ろう、という社長の押しに負けた。

とにかく落ち着ける場所で、帰る話をしなくては。

部屋に入って、
社長、私、明日の早朝4時から約束があるので今すぐ帰らなくてはなりません、とか、
コンタクトのケースを持っていないので泊まることは出来ません、とか、
ぜったいに今すぐ帰らないといけない理由を訴えた。
強い意志を持って。

社長は3時間近くも運転してきた後で、今すぐ帰るのは無理だと言った。
せめて少し寝かせくれと、ベッドに横になる社長。

ムリです!!!
私、帰ります! 
今すぐに!
なにが何でも!!!

社長は私の鬼気迫る様子を見て、しぶしぶ、タクシー呼ぶよと言ってくれた。
私は、ホッとしたけど、
そんな深夜に東京まで行ってくれるタクシーはなかなか見つからなかった。
しばらく、ラブホテルの部屋で気まずい時間を過ごした後、
タクシーが見つかったとホテルの人が知らせに来てくれた。

今でも忘れない。
ラブホテルの駐車場に滑り込むようにして入って来た、月明りに照らされたタクシーのことを。

運転手さんは、私と目を合わさなかったし、一言も話さなかった。
きっと訳アリと思われたんだろう。
だって私はその頃20代前半だったけど、ショートカットでお化粧もしていない上に男の子の様な格好をしていて、よく未成年に間違われていた。
華奢な男の子にも間違われていた。
そんな子が、館山のラブホテルから150キロ位離れた場所へ深夜にタクシーで帰ろうというのだから。
そっとしておいてくれたのか、話しかける言葉がみつからなかったのか。

だから私は心おきなく、窓からずっと月を眺めていることが出来た。

三軒茶屋のインターで降りてもらって、私の住む246沿いのマンションに着いた。
タクシー代は高速料金も含めて4万5千円位だったと思う。
お金は社長が、念の為多めに5万円持たせてくれて、お釣りは返さなくていいって言っていた。
だから私は運転手さんに、お釣りで帰りにお茶でも飲んで下さいと言った。
遠くまで来てもらったし、ちゃんと帰れるかなぁってちょっと心配だったから。

マンションの部屋に入ると
窓の外に、さっきまで車の窓から眺めてた月がみえた。
おんなじ月だ。
あぁ、月はなんでも知ってるってこういう事なのか‥って思いながら、
少しギターを弾いて、眠った。



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