グランツーリスモ #36
小学生の頃、兄と一緒にゲームをしていたものの1つ、「グランツーリスモ」。実話をもとにした、ゲーム世界と現実を見事にハイブリットさせた至極の映画でした。
今日はその映画について、感想を綴っていこうと思います。
プロゲーマーからプロレーサーへ
グランツーリスモのゲーム中に、レースのスタート音が映画で流れた時には、胸熱してしまった。
昔、懐かしい聞いたことがある音が、スクリーンから流れてくるの聞いて、兄と一緒に遊んだり、一人で耐久レースに熱中したり、世界中にある様々なレースサーキットの大会に出場したり、
当時のプレーステーションによる画質やゲームのクオリティーには圧巻していました。
そんな自分にも熱中していた時期があるから、主人公ヤンの挑戦心と自信はどこか通ずるものがありました。所詮ゲームの中だと思われるかもしれないが、ゲームの操作を実際にリアルで操作できる、興奮や好奇心にはかなわないだろうな。
でも、現実は肉体的にも精神的も過酷。そりゃそうだわな、時速300キロに迫る鉄の塊を、あんな狭いコックピットで操作すること。生死と紙一重のレーサーたちは、常に命を懸けた戦いであるのだから。
教官の存在
鬼教官といわれてもおかしくない、厳しいジャック。
彼が最後にヤンのことを認めてあげたのは、一人前になかった称号をたたえたのことがわかる。
ヤンが、過去のレースで車体がホップアップしてしまい、クラッシュした事故。おまけに観客に死人を出してしまった、そのトラウマがフラッシュバックしてしまうときでさえ、
ジャックはヤンの冷静さを取り戻すのに、試合前に聞いている音楽を無線越しで流した。ヤンは、怒りがこみあげてくるものの、正気を取り戻した。
このシーンは教官としての指導力、精神を感じた。
本物のコーチだと思いました。ヤンのことを熟知し、ヤンのそこに眠っている潜在的な能力を見事に引き出してあげた。これほどまで、素晴らしい教官と出会えたヤンがうらやましかった。
逆境を乗り越えるのはいつも自分
ヤンは本当にしたたかで努力家だ。
ゲームで磨いてきたセンスを現実でもそれを生かし、
ゲームで磨いてきた独自の操縦センスで、次々とライバルたちを追い抜いていく。
そう考えると、やっぱり人生で何が役に立ち、どうつながるなんで分かりっこない。
でも、これだけは言えるのは、それは誰からやらされているものではなく、自らが勝ち取りに行って、鍛錬し続けた結果の賜物ということ。
ヤンの努力する姿勢を見てきたから、
思わずよっしゃ!!と声を高らかに揚げてしまい、最後には泣いてしまいました。
私のヤンと同じように、そしていつかは教官のように、
自分に厳しくも楽しみつつ、人を支えられる人間でありたい。
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