アキラとあきら #15
最近は、休日はもっぱら映画鑑賞や読書をしています。
まるで自分の老後の生活を先取りしているかのようで、日々の生活から解放されて、物語の中に浸れる時間は格別です。
ある意味、現実世界からの逃避のように思えてしまいますが、周りの人からのエネルギーをもらって、また行動しようと思えるわけです。
今日は、好きな作家である池井戸潤さんの「アキラとあきら」を鑑賞しました。仕事の本質は人情のためか、利益のためか。性格の違う2人のあきらの描写がいい味を出していた映画でした。
もう無理なんじゃないか、からが勝負
映画で最も印象に残ったシーンがあります。
小さな町工場で育ったあきらが、今後の融資を相談するために小さな町工場に訪問しました。
その町工場は、経営がギリギリの状態であり、次の大手企業からの受注が見込まなければ倒産に陥るほどの状況でした。
なおかつ、町工場を経営する一家の娘が、難病を患っており毎月50万円を地治療費にあてるために貯金していました。
この状況で、どうにか次の融資を受けることができないかと必死に考えて頭を悩ませます。
そして、上司に融資を継続させるために稟議を書き起こしましたが、却下。
しまいには、その上司は経営破綻の恐れもあることから、口座の差し押さえも躊躇なく行うよう、他の部下に指示しました。
しかし、その中には娘の治療費を貯金をしているため多額の金があることを知っていたあきらは、別の銀行の口座に金を移動させるよう伝えます。
結果として、あきらは送金の移動がばれてしまい、地方の銀行へ出向を命じられます。
あきらは、本気でこの家族を救いたかったのです。
自分にはもう無理かもしれない、これ以上は無理だ、そう弱音を吐いてしまったときに、
あきらの親父は銀行員に見捨てられてしまった結果、会社を倒産させられてしまったことを思い出し、
自分はそんな銀行員にはならないと誓って、武者震いさせます。
あきらめてしまったら、そこで試合終了なのです。
でも、普段の仕事で僕はどれだけ本気を出せているだろうか。
もうこれくらいでいいや、とやめてしまうことなんてざらにありますし、もちろん引き際を定めることも大事です。
しかし、どこか決心できぬまま、もうこれ以上やるべきことはできない、と断言できるほど頭と知恵を絞り尽くして行動できているか、、。
まだまだ、自分にはできることがあるはずだ。
相手のためにできることを精一杯尽くし、自分が擦り切れるくらいまでに、仕事に熱中して行いたいものだ、と己を奮い立たされた時間でした。
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