電子書籍『Nシステムの正体』出版
先日、上記2本の記事を公開しました。
その中で、日本の監視社会の草創期から調査、研究を続けてきた浜島望さんを取り上げました。浜島さんの経歴は以下のようなものです。
浜島望(はましま・のぞみ)
本名、和田兌(わだ・とおる)。
1932年10月8日生まれ。
1950年代初頭、左翼活動家。
1960年代半ば、トラック運転手となり、労働運動に取り組む。
1969年、「ネズミ捕り」と呼ばれる速度違反取り締まりにより検挙される(第1審で無罪、第2審、最高裁で有罪)。
1974年、「道路交通民主化の会」設立に参加する(その後、同会事務局長)。
1980年代半ば、トラック運転手を引退し、「道路交通民主化の会」事務局長専従となる。
1995年、「道路交通民主化の会」解散を受け、「Nシステム」の調査、研究に専念する。
1996年、医者から「末期ガンで余命5年」と宣告される。
物静かな学究肌の人物。若い世代が活動成果を引きついでくれるよう願う。
2015年6月3日、病没。
著書に、『ネズミ捕りレーダー神話の崩壊』(晩聲社)、『警察の盗撮・監視術 日本的管理国家と技術』(技術と人間)、『警察がひた隠す 電子検問システムを暴く』(同)などがある。
私が浜島さんと知り合ったのは1980年代後半。当時、大学生だった私は、警察の交通取り締まりがあまりにも理不尽なので憤慨し、情報収集していたところ、弁護士や市民でつくる「道路交通民主化の会」というものがあることを知り、その事務所を訪ねました。対応してくれたのが、事務局長の浜島さんでした。
その後、私は在学中にジャーナリストとなり、自動車雑誌に交通取り締まりに関する連載を持つようになります。もちろん、浜島さんには、いつも協力していただきました。
晩年、浜島さんが命をかけて取り組んでいたのが「Nシステム」に関する調査です。「Nシステム」というのは、道路上のカメラと警察のコンピュータを連動させて国民を監視する装置。1980年代後半から警察は秘密裏に運用してきたのです。
以前、私は、『The Incidents』(インシデンツ)というニュースサイトを運営していました。そこに、「Nシステム」について、浜島さんから3回寄稿してもらったことがあります。1回目の記事は、こう始まります。
それはどんな時代だったのだろう。カメラの無機質な「眼」が、われわれ人間を平然と監視するように変わったのは。そしてそのカメラの多くが、権力のしかけたものであることを忘れるわけにはいかない。
この話は、少なくとも1960年代から説き起こすべきなのだろうが、敢えて10年ばかり割愛して、「ビーナス」ならぬ「オービス」の誕生から始めよう。1970年代のことだ。
ドライバーなら「オービス」という名称をまったく聞いたことのない人は、今日おそらくいないと思う。ラテン語で「眼」を意味する、速度違反車両を測定、撮影する「ロボット警察官」で、夜間ついとばしすぎたとき赤く光るそのストロボ光は、経験した者に言い難い不気味さ、不快感を植えつける。そして、噂はその不快感と抱き合わせで口から口へ伝わっていったわけだ。
味わい深い文章で「Nシステム」の正体を暴いていく記事は、当時、読者から大きな反響がありました。浜島さんは全国に何百カ所も設置されている「Nシステム端末」(カメラなど)を1つ1つ調査してまわり、そのうえで記事を書いているのですから、説得力があります。
私は、「こうして監視社会は始まった(上)(下)」の記事を書くにあたり、浜島さんの記事3本を読み返しました。いまだに警察が「Nシステム」に関する情報を隠しているなか、大変貴重な記事だと思います。
そこで、浜島さんの遺族と連絡をとり、「記事を改めて世に出したい」と伝えたところ、快諾されました。このnoteで公開することも考えたのですが、私の記事ではないため、浜島さんの著書としてKindle本(アマゾンの電子書籍)で出版しました。以下の3冊です。
どうか一読いただき、浜島さんの業績と思いを知ってください。