有村眞由美さんのジャーナリストとしての実績

 2024年11月18日に東京地裁(衣斐瑞穂裁判長)で開かれた「記者クラブいらない訴訟」第8回口頭弁論。私は、「陳述書(前編)」「陳述書(中編)」「陳述書(後編1)」「陳述書(後編2)」「陳述書(後編3)」の5通を提出している。そのうちの「陳述書(中編)」(証拠の番号は「甲77の1」。「甲」は原告が提出した証拠。「乙」は被告が提出した証拠)の全文を公開する。

陳 述 書(中編)

2024年11月14日

原告 寺澤有(1967年2月9日生)

 2000年ごろ、取材先で知り合った同世代のメンバーで会食しました。そのとき、メンバーの1人が「アメリカの大学院に留学していたときの友人」として連れてきたのが訴外有村眞由美さんでした。当時、有村さんは外資系銀行に勤務していました。

 その後、有村さんとはメールや年賀状をやりとりしたり、たまに上記のメンバーで会食するときに顔を合わせたりしていました。有村さんが、2003年に結婚し、出産したこと、2006年に東京大学法科大学院に入学したことも本人から聞きました。2009年、有村さんは東京大学法科大学院を修了しましたが、かえって法曹になる気がうせたとのことで、司法試験は受けていませんでした。

 2011年3月11日、東日本大震災に伴い、福島第1原子力発電所で重大事故が発生しました。有村さんは子どもを連れて自分の実家がある鹿児島市へ避難しました。そして、川内原子力発電所(薩摩川内市)をはじめとする九州の原子力発電所の安全性に関する情報を集めようとしますが、マスコミの報道からは必要な情報が得られませんでした。

 当時、私は、『インシデンツ』(出来事)というニュースサイトを運営していました。有村さんから上記の話を聞き、「必要な情報は自分で集めるしかない。原稿料を支払うから、『インシデンツ』で記事を書いたらどうか」と提案しました。有村さんはジャーナリズムとは無縁の人生でしたが、特に私から指示を受けることもなく、独力で取材を開始しました。2011年11月4日、有村さんがフリーランスとして初めて書いた記事〈市民団体が九州電力に玄海原発再稼働の停止を要請〉が『インシデンツ』で公開されました(甲77の2)

 2011年11月以降、有村さんは伊藤祐一郎鹿児島県知事(当時)の記者会見に参加し、質問するため、鹿児島県広報課と鹿児島県政記者クラブ「青潮会」と交渉しています(甲10)。同時期、並行して、有村さんは九州電力の記者会見に参加し、質問するため、交渉していましたが、こちらは、2012年2月、九州電力の深堀慶憲副社長(当時)が記者会見でフリーランスの質問権を認めて解決しています(甲77の3)

 なお、九州電力の記者会見には、2011年7月、於保清見さんというフリーランスが参加し、質問した前例がありました。同年5月、私が佐賀新聞労働組合に招かれて講演したとき、佐賀新聞でインターンをしていた於保さんも聴講していました。於保さんは海外の大学でジャーナリズムを専攻する学生で、日本の記者クラブ制度に大きな疑問を感じていました。そのため、佐賀新聞の記者からは、「於保さんは佐賀新聞には就職しないんだよね」と言われていました。私は於保さんに『インシデンツ』で記事を書くようすすめました。すると、於保さんは九州電力に関する取材を開始し、『インシデンツ』で記事を公開するようになったというわけです(甲77の4)

 有村さんが伊藤知事の記者会見に参加し、質問するための交渉を行う過程で、青潮会から「東京大学法科大学院を修了した人が、鹿児島でフリーランスをしているわけがない」と学歴詐称を疑われ、有村さんが東京大学法科大学院の修了証を持参して提示したということがありました。被告らのフリーランスに対する偏見や差別意識が如実にあらわれた事例の1つだと思います。

 本来、有村さんも本訴訟の原告に名を連ねるべきと考えますが、夫と死別するなど、生活が大変なことを知っていましたので、あえて事前に提訴の話はしませんでした。

以上

いいなと思ったら応援しよう!

寺澤有
大きなスクープを期待する読者には、大きなサポートを期待したい!