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少しだけ長い夜の夢から
第24回文化庁メディア芸術祭がお台場・日本科学未来館にて明日から始まります。今日9/22(水)はその内覧会と賞の贈呈式でした。
文部科学大臣や文化庁長官が出席された贈呈式。
また多種多様に活躍されるクリエイターの方々を前にして、プラットフォーム賞受賞者として短いながらも受賞スピーチをするという、なんとも恐れ多い機会でした。
トロフィーを持ってる際、足震えてたんだけどバレてなかったかな。
写真ぶれてたら面白いんだけども。
正直なことを言うと、自分がここに肩を並べてもいいものかと少しだけ気が引けていました。この会期中もきっと思いつづけることでしょう。
だからといって、作品に自信がないわけではないですが。
ただここに辿りつくまで、少しだけお話があったのです。
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この2年、自分は動きたいように動けませんでした。
どれもこれも、もとを辿れば平成最後の日。2019年4月30日。
この日は母の命日となりました。
なんの持病もなかった人でしたが、神の気まぐれか、死神のお招きか。
とにかく母は倒れて、8時間でこの世を去りました。
それから混乱する日々がやってきました。
感情も自分のものじゃないかのように勝手に悲しくなったり、勝手に虚勢を張ったりする。
頭は考えているつもりでも、手元の作業は一切なにも進まない。
そんな日が続いていたら、手や腕が痺れて神経症状を訴えはじめました。
そこで仕事をやめ、そのあとしばらく色んな所に行きました。
日本も海外も。2019年だったからまだそれができました。
でも、それは何も解決してくれませんでした。
どこにいても、時が経っても、もともとの自分が思い出せない。
何を経て、どんなことをすれば、自分の望む方へ行けるかわからない。
そんなこんなでまた時が経ち、自分がグズグズと変われないままにいたら世界のほうが一変してしまいました。これは説明するまでもないでしょう。
家にいろと言われ、経済もストップし、大混乱に陥る日本を見て、そのとき、逆に憤りを感じたのです。
母が死んでも変わらなかった世界が、自分が思い悩んでも顔色一つ変えない世の中が、ただ一つの病気の存在で様変わりする。
もちろん感染による影響や事態を踏まえれば、たかだか一個人の死や悩みよりも重大なことは確かです。
でも自分にとってはそんな理不尽な構図を見せられたような気がしました。
ただ、そんな日々でようやく僕にとっての光のようなものを見たのです。
それはなんてことはない、父の姿でした。
母が亡くなり、一番悲しんでいたのは、後悔していたのは父です。
たった数時間、父が出かけている間に母は倒れ、家に戻ってくると倒れている母の姿を見つけ、救急車を呼ぶかと聞いたところ、母はたった一言「うん」とだけ言って、それが最後の言葉になりました。
趣味の園芸も手がつかずに庭は荒れ、夜に酒を飲むといつの間にか仏前に寄り添って寝ている光景をときどき目にしました。
子の私の前では父であろうとしたのでしょうが、そうした瞬間を見ると、父もひとりの人間であることを思わざるを得ませんでした。
そんな父が1年後の4月。
荒れた庭をもう一度整え直し、花いっぱいの庭を作り上げたのです。
家の前を通るご近所さんは、その庭を見て立ち止まり、そこで庭いじりをしている父に「きれいですね」などと声をかけるのです。
そこで父はご近所さんに言うのです。
「いつもよりも庭を花でいっぱいにして、○○(母の名)に見せてやろうと思って」
その言葉は、自分にとってすごく希望あるものでした。
父の中にまだ母が生きていることはもちろん、その母になにかしてあげたいという気持ちがあることが、何より父の子として嬉しかったのです。
そこで自分も目が覚めたというか、自分の中にもそういう気持ちがあることを証明するために、庭に花を埋め尽くすような、そんなことをしたいと思ったのです。
それから父のとっての花のように、自分にとっての何かを作り始めました。
自分は映像を作ることができたから、映像を色々作りました。PVも作れば、ミニアニメみたいなものも作った。
方向は定まらないけど、できることをしました。
でも箸にも棒にもかかりませんでした。
映像を作る能力はあったとしても、自分はなにか思想信条を突き詰めてきた人間ではなかったから、映像にテーマを乗せることができなかった。
決定的にそこの思考の深さが、世にある作品と異なっていました。
しかし結果から言えば、一つだけ。“文化庁メディア芸術祭フェスティバルプラットフォーム賞ジオ・コスモスカテゴリー”という存在が唯一、僕の作品を捉えてくれました。
そこで作った作品「ちぎる」は、母が亡くなってからの自分を重ねて映像で語りました。
自分が自分じゃないくらいバラバラになって、でも庭の花を経て、もう一度つなぎ直して。この作品は分断について語りつつも、自らとのそういったシンクロがありました。
そしてコロナで変わってしまった世界に対して抱いていた憤りが、強烈なポジティブのメッセージに変わりました。
「こんなことで何変わってくれてんだ世界」
「もうバラバラでもいい、元に戻れなくたってどうでもいい」
「だからまたつなぎ直そうぜ」
唯一、この考えの強度だけは誰にも負けなかったんだと思います。
ちぎり絵というアナログな手法にしたのは、やっぱりこれも母の葬式のときに直接会って声をかけに来てくれた人の言葉が嬉しかったから。
デジタルの文字や音声では届かなかった、そういう合理的じゃないものにこそ、自分が救われたから。
だからちぎり絵にしました。和紙もこだわりました。
佐賀にある名尾手すき和紙さんにお願いして特注で作ってもらいました。
所詮デジタルの映像データとして再生されるものにこだわったって、どうしようもないかもしれない。
でもそんな合理的じゃないことにこそ、救いがある。そんな思いでした。
そうしてこの半年の間、映像制作を行い、いよいよ第24回メディア芸術祭の会期を迎えました。
内覧会で様々な作品も見ました。様々な思想のもとに制作されたものから、溌剌たるエネルギーに満ち溢れた作品、誰かの感情に寄り添った作品、多種多様の熟考と研究と想いの末に生まれてきた作品ばかりでした。
そして、その制作を行ってきた人はずっと創作とは何かを考え続けてきた人ばかりなのだと思いました。
こういう突発的なエネルギーだけで来た作品であるが故に、そうした方々と肩を並べるのは恐れ多いと思っています。
でもこの機会をもらったことは、自分にも父の庭の花と同じことができるんじゃないかと。そして父からもらった私の気持ちを、より多くの人に分け与えることができるんじゃないかと思って、やっぱりすごい嬉しいのです。
オフィシャルの場でこんなに自分語りの内容を話すことはできないので、贈呈式の気持ちを抱えたエネルギーのまま、このnoteを書きました。
このことは自ら語るべきなのか、隠しておくべきなのか、今日まで悩んでいましたが、やっぱり書いてみることにしました。
そんな2年間に渡る、少し長い夜とその夜に見た夢のお話でした。
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9/23(木)から10/3(日)まで、お台場の日本科学未来館で受賞作品展が始まります。「ちぎる」は毎時45分になったら上映されます。
このnoteを読んでいただく/いただかないはどうでもいいですが、この作品が多くの人に届き、温かい気持ちを分け与えることであることを願います。
どうぞよろしくおねがいいたします。
ここまで読んでいただきありがとうございました。