他者の言葉に人生を振り回されてはいけない
大学最後の1年間、ほとんどの時間を上海でのインターンシップに費やした。インターン先の社長は自分や他のインターン、社員に理不尽なほど厳しく当たり、見下した。経験や知識のない自分や社員、他のインターン生に対して理不尽なほど厳しく当たり、さげずんだ。怒鳴られる、過去や人格の否定をされる言葉は日常茶飯事で、5分くらい土下座をさせられた社員もいた。しかしその社長は、上海で起業し全てを勝ち取った成功者のように振る舞い、実際当時の自分からはカリスマのように見えた。だからその社長のようになりたいと思い、言われたことをやり、理不尽とまで言えるような要求に耐えた。
新卒で人材サービスの会社に入社した時、同じくすごく怖くて、でも優秀な先輩の部下になった。営業の成績が悪い自分や他の同僚に対して、机を蹴ったり、胸ぐらを掴んだり、みんなの前で自分を陥れるようなことを言って攻撃されたりした。営業としてはすごく優秀で成績を残し続けていたので、誰も彼を注意しなかった。当時の自分はいつも怯えながら仕事をしていたように思う。
他者をコントロールするために、自分の経験や知識、体力などのリソースを使う人たちはいる。そして実際にそれは短期的に人を動かすうえですごく効果的でもある。他者の弱みにつけこみ、自分と他者の差を利用した攻撃は自分を優位に立たせ、自分の存在感を周囲に示すことができる。一方で長期的な関係は築くことができないし、そうやって作った存在感はいずれ剥がれ落ちる。人が離れていき孤独になる。上海の社長や人材サービス会社の上司もどんどん人が離れていった。
なによりも大切なのはそういった心無い攻撃を受けた自分が、その人たちの攻撃によって人生に影響を与えさせないようにすることだと思う。人格を否定され続けると自信を失ったり、「自分は〇〇な人間だ」と事実とは異なるラベルを貼ってしまう。過去に関わったその人達のせいで、自分の人生に悪影響をもたらすことほど悲しいことはない。その人達は自分を忘れて、たまに酒の肴にしながら「若いころは、」と言って過去を楽しそうに語っているだろう。そんな人達の言葉によって未だ悪い影響を受けているのであれば、今からでも闘いその呪縛を解き、新しいラベルを貼り替えなければならない。それが自分への責任だと思う。
そしていつでも人は攻撃者に回る可能性がある。年齢を重ねれば重ねるほど経験や知識が増え、できることが増えていく。それは見方によれば他者との差になり、攻撃やコントロールするための武器になり得る。そういった自分のリソースを本当の意味で人のために使えるようになることが自分を磨くということだと思う。