少し続けられないだけ
吾輩は「三日坊主」である。名前は土間さん。
続けるということは実はとても難しいことだと、吾輩は思うのだ。
吾輩は何をやっても続かない。趣味…例えば、日記にノスタルジックを感じようにも3日で終わっていたり、憧れの筋肉美を目指して筋トレしようにも3日でモチベーションが家出し、その他何をしようにも3日で終わる。続けられないのがわかったら今度は、どうせ続けられないから。と始めることをやめる腑抜け野郎なのである。そのうち続けられない自分に不甲斐なさを感じ最後には、どうせ吾輩なんて。と、のの字を書く始末。(仕事は続けられるくせに)
だがしかし吾輩は気が付いた。
続けることが出来ないのなら続けなければいい。
だがしかし、やめなければいいのだと。
そう考えるようになってからは、三日坊主ながらも長い目で見れば何かと続けていることが増えた。例えばお風呂上がりの柔軟。吾輩は小さい頃から体が硬くて、開脚も出来なければ腰なんてピクリとも前に倒れない。これではいざ誰かを助けたりでもしてもし万が一開脚にでもなろうものなら、間違いなく吾輩の股が裂けとんでもなく格好がつかない。これはいかんと始めた柔軟は気が向いたときにだけ、しかしやめることはせずに地道に励んでいたらここ最近は開脚が出来るようになり尚且つ前に倒れるとべたーっと床につくようになったのだ。見事な成果である。
続けるということは実は結構難しいことだと吾輩は思っている。だから今何かを続けられている人はとても偉い、素晴らしい。逆に続けられない人は少しでもたまにでもやれば、長い目で見たら続けていることになる。偉い、素晴らしい。
人には自分のペースというものがある。やりたくないことを無理にやっても自分のためにならないと吾輩は思うのだ。だからこそ自分に合ったペースで少しづつやっていれば、いつかきっとできなかったことが少しでもできるようになっている……かもしれない。
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