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ピンチは、目立つチャンス。(2024年11月コラム)
僕の生まれ育った秋田では、山形の「芋煮会」のような感じで「なべっこ遠足」という学校行事がありました。全校生徒がいくつかの班に分けられて、「鍋」を使った料理を屋外で作って食べるというものです。山形のように「芋煮限定」ではなく、カレーを作ったり、豚汁を作ったり、山形よりも少し範囲が広い感じです。
上級生がリーダーになって、なべっこ遠足当日に、班のメンバーそれぞれが何を持ってくるのかの「担当」を決めます。「薪担当(マッチを忘れがちだけど、先生が予備を準備していてくれる)」「豚汁の豚肉担当」「ねぎ担当」などなど、いろいろな担当があって、誰かが忘れるとメニューが成り立ちません。前日の夜には、何度も親と一緒に確認したりします。
ある時、僕は「サラダ油担当」になりました。前日の準備もばっちりで、わくわくしながら学校まで登校しました。学校に着いた後に、ランドセルを机の上に置いて、中の教科書を机の中に入れようとしたら、教科書はべっとべとになっていました。サラダ油のキャップがしっかり閉まっていなくて、ランドセルの中で油が溢れかえってしまったのです。
「うわ、教科書もう使えないじゃん」「今日のカレーの具材を炒める時に、油がなくなっちゃった」「先生に怒られるかな」「いや、母さんにも怒られる」と、頭の中は一瞬パニックになりました。けど、僕はクラスの「ムードメーカー」的な存在だったので、すぐにそれをネタにして、みんなから笑いを取ったりしていました。(結局、「なんで早く教えないの」と、担任の先生に怒られました。笑)
実際のなべっこ遠足の時には、他の班が油を分けてくれたので、何事もなかったかのようにカレーを楽しむことができたのですが、しばらくの期間は、先生の教科書を貸してもらいながら、授業を受けていました。「へー、何かいろいろ書き込まれていて、あらかじめ授業で質問する内容も書かれているから、これ見たら全部答えられてラッキー」と思ったりもして、僕の「転んでもただでは起きない精神」は、この頃から備わっていたように思います。
ちなみに、うちの小学校はいわゆる革の黒いランドセルではなく、青色のナイロンっぽい素材のものだったので、ランドセルには黒く大きく目立つシミがついてしまいましたが、その周りにペンで落書きしたりして、より目立つようにして、それも先生に注意されたことも覚えています。
少しはヘコんだり、反省してもよさそうなのですが、少年の頃の僕は全然そんなこともなく、「これは目立てるチャンスかも」と考えたりするようなタイプでした。そしてそれは、なんだかうちの息子にも着々と「継承」されているように感じます。今度機会があれば、息子の「筆箱」を見てみてください。「どうやったらそんな風になるの?」ってくらい、「カスタマイズ(魔改造)」されているので。