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書かずにはいられない。(2024年5月コラム)

 意識的に文章を書き始めたのは、大学3年生の頃。サークルの代表になって、自分が普段何を考えているのかを知ってもらうために、「ブログ」を始めたのが最初。ほぼ毎日、特に内容もあるわけでもないのに、長々と文章を書いていた。

 小学校の時には、「作文(読書感想文)」がとにかく嫌いで、成績は優秀なのに、家で泣きながら書いていたのを覚えている。「こんなことしても意味がない」そう感じていて、苦痛でしょうがなかった。

 大学からブログを始めて、一番書いていた時期は、アメリカのボルダーでロルフィングの勉強をしていた時。一旦クラスが始まると6~8週間は授業が続くけど、クラスとクラスの間は数ヶ月開くこともあった。宿題もない。仕事をしているわけでもないから、しなければいけないタスクも何もない。1週間のうちで、何も予定がない日もよくあった。

 毎日のように家から5分ほど歩いた「Sacy’s cafe」に行っては、ぼーっとしながら、本を読んだり、ブログを書いたりしていた。1つの記事を投稿するのに、6時間くらいかけることもあった。漢字にするのか、ひらがなにするのか。句読点の位置。ぱっと見た時の、文章の隙間、リズム。実際に、誰がそのブログを読んでいたのか、本当に読んでいる人がいたのかもわからないけど、うーんと頭を悩ませながらずっと書いていた。

 僕は文章を書かずにはいられないんだと思う。

 今では文章を書く量も、推敲にかける時間も、圧倒的に減ってしまったけど、ウェブサイトの文章も、その中の案内も、基本的には全部自分で書いている。「Twitter」もしていて、日々あった少しうれしかったことを、通し番号を付けては、毎日のように投稿している。

 歩くだけ、布団を畳むだけ、掃除機をして、窓の外の電線に止まる鳥が見えただけで、僕は何かを感じて、それを言葉にせずにはいられない。「なんで?」と言われてもよくわからないし、小学校で感じた「こんなことをしても意味がない」のかもしれないけど、これからもそうやって書き続けていくんだろうなと思う。

 幸運にも、「昔の大友さんのブログを読んでましたよ」とか、「noteの文章を読ませてもらって、この人のロルフィングなら受けてみたいと思って連絡しました」とか、「今月もコラムもおもしろかったよ」なんて言ってもらえることもある。

 「苦手で避けていたことを、ずっと時間かけながら、少しずつ上手になっていく」ということが僕にはある。「文章を書くこと」もそうだし、「本を読むこと」もそうだ。そして実は、「ロルフィングの施術をすること」もそうだったりします。「生きている意味」なんて、到底わかりそうにもないけど、「ずっと続けられるものがある」ってことが、案外幸せなことなんじゃないのかなと思ったり。

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