大人になるのも楽じゃない。(2024年9月コラム)
息子の長い(短い?)夏休みが終わった。みなさんに来ていただいている「festa」は、僕らにとって「仕事をする場所」でもあるし、それと同時に「家族3人で生活をする場所」でもある。夏休みになると、四六時中「常にフルスロットルで遊びたいマン」がいるので、なかなかに苦労する。
最近は、小学4年生で10歳にもなり、少しずつ「反抗期の芽」がむくむくと成長しているのも感じる。朝起きてすぐや、お昼ご飯前、そして晩ご飯の頃、つまりは「血液中の血糖の割合が低下する時間帯(お腹が減る、眠くなる)」になると、きっかけなど何でもよくて、「ごねる(すねる)~大暴れ」まで、機嫌が急変してしまう。(まるで、最近の「ゲリラ豪雨」のよう)
これは別にうちの息子に限った話ではなく、この年代の頃にはみんなそんな感じになる。それが「反抗期という嵐」を経過して、徐々に「大脳新皮質」がすくすくと成長していくと、それらの「衝動的な感情の動き」を「理性の働きで抑制すること」ができるようになってくる。まあ、それがいわゆる「大人になる」とも言われていること。
もう少し小さかった頃には、もしもそうなったとしても、抱っこやおんぶなどをしていると、そのうちに「眠りにつく」ので、起きたらすっきり、元気になっていた。でも、小学生になって、寝てばかりもいられなくなってくると、遊びたいのか、眠たいのか、お腹が空いたのか、それを「言葉でうまく他人に伝えることができない」ので、自分でもわけもわからずに「混乱(困惑)」している感じで、ぐずったり、口が悪くなったり、物に当たったりする。
その狭間の絶頂期が「反抗期」ということで、「言葉の表現も追いついてくる」し、「感情の動きも複雑になる」し、「身体は大人へと劇的に変化」するので、ものすごい言葉を親に浴びせたり、逆に、感情、リアクションを極力見せないようにしたり、何かを破壊するようなエネルギーを発散させたりもする。
では、「大人になる」ってのが、手放しで喜ばしいことなのかと言うと、それが極端な形にまで先鋭化してしまうと、「周りに合わせるだけで、自分の意見を全く主張せず、リスクを取ることを恐れ過ぎる」という、僕たち日本で育ってきた人には「あるある」の大人が完成していく。
結局のところ、これらに「模範解答」なんかあるわけもなく、それぞれに「塩梅を見ながら個別対応」していくしかない。今年も毎日のようにプールに行ったり、映画観たり、東京に一人で新幹線に乗って冒険してみたりしながら、泣いたり、笑ったりして、夏の日々を家族で過ごしていった。
「こんな大人になってほしい」という親の希望は特にないから、身体が元気で、周りに助けてもらいながら成長していってほしい。今年も最高の夏休みになりました。