帰り道はつらいよ。(2024年10月コラム)
僕の通っていた小学校から家までの通学路は、小学校低学年の子の足なら45分はかかった。今なら、30分もかからないと思うけど、その当時は随分と遠くに感じられた。
小学2年生の時に、担任の女性の先生の言ったことが納得いかなくて、「もう帰っていいよ」と言われたので、朝の会の途中で、そのままランドセルを背負って帰ったことがある。ドキドキもしたんだけど、「別に間違ったことはしていない」と、家までずんずん歩いた。あと5~10分ほどで家まで着く頃になって、先生が迎えに来た。「先生ってこんな車に乗ってるんだ」と思ったことは覚えているけど、そこで何かを話したのか、怒られたのかあまり覚えていない。
毎朝、学校へ行く時には、特に仲のいい登校班でもなかったから、みんな無言で歩いていた。でも、まだ「誰かと一緒に歩いている」ので、少し気分はましだった。問題は、帰り道の方。登校班のみんなの学年も違うから、一人で帰ることが多かった。塀の上を登ったり、人の家の間を通ったり、自販機の小銭をあさったり、なかなか歩が進まない。「こんな退屈な時間が毎日続くのか」と、絶望していた。
もしも、運良く自販機で小銭を見つけることができたら、近くの電話ボックスから家に電話をかけて、母さんに車で迎えに来てもらった。小銭がない時には、道路の縁石に腰かけて、家族の誰かが車で通りかかるのを待った。それで何度か、本当に家族が僕を見つけてくれて、車で乗せて帰ってくれた時はうれしかった。1回でもそれを経験してしまうと、確率の低いギャンブルだとわかっているのに、「今日は母さんが通るはず」と、ひたすら縁石に座っていることもあった。そんなことをしているせいで、学校からの帰りが1時間を超えることも、珍しくはなかった。
高学年になっても、帰り道が嫌いなのは何も変わらなかった。友だちの家に毎日のように寄り道をして、そこから家に電話をかけていたし、別の友だちの家には「1回10円」で電話を貸してもらえることにして、毎日のように「ツケ」をしておいて、後でお小遣いでまとめて払ったりしていた。
なんでこんなことを書いているのかというと、僕の息子はいつも楽しそうに学校から帰ってくる。最近は、いつも何人かの友だちときゃっきゃと何かを大声で話しながら下校してきて、勢いよく玄関を開けて、「ただいま!遊びに行ってくる!」と、ランドセルを放り投げて公園に走っていってしまう。
「一緒に帰って来る友だちがいて、そのまま公園で遊べるなんていいな」と、うらやましく思う。僕は山の生まれで、住んでいる近くに年の近い男の子がいなかったから。
でも、「家の目の前が学校だったらな」と、切に願う大友少年でしたが、中学生になると、逆に学校でもトップ3に入るほどに、家と学校が近くなるのでした。めでたしめでたし。