#2-18 伊藤さん
──2019年11月のある日、私は新宿の西口にいた。仕事終わりの人々でごった返す中、小田急線地上改札口を出てすぐの目立つ場所にその人はいた。小銭がたくさん入った赤色のお椀、ヒヨコの人形、文庫本などを目の前に並べ、地べたに胡座をかいている。
──この日初めて伊藤さんと出会ってから、かれこれもう4年になる。私がまだ前の会社に勤め、神奈川の相武台に住んでいた頃。新宿は相武台から小田急線で一本で行くことができるため、フィルムのカメラを携えてよく写真を撮りに行っていた。この頃、自分にとっての東京は新宿で、新宿以外の東京はよく知らなかった──
この頃から新宿西口に住んでいる人のことは知っていた。知っていると言っても存在を感知しているだけで直接的な関わりはなかった。この頃は佐内正史に憧れて風景ばかり撮っていたから、人を撮ることに興味がなかった。新宿と相模原の風景ばかり撮っていた。
でも、会社を辞めて写真を撮っていきたいと考えるようになった時、もっと自分の写真について考えなければならないと思った。何を撮って何を撮らないか。自分は何に興味があるのか。今のままだと誰かに影響されたコピー止まりだ。自分の写真家としてのアイデンティティを確立させるためには現状バラバラに点在している自分の「興味」の矛先をシャープにして、それを写真表現として「継続」していかなければならないと思った。詰まるところ、死ぬまで興味が尽きない対象を探すこと。それが当時、写真家になりたいと願う自分にとって最も重要なことだと思った。では、写真への興味は死ぬまで尽きないとして、その他に死ぬまで尽きない自分の「興味」の対象はなんなのか。それが「ファッション」であった──
思い返せば、大学の卒論はコムデギャルソンのことについてだったし、バイト代もほとんどを服に費やしていた。半年に一度、VOGUEのサイトでコレクションが更新されるのを楽しみにしていた。それなのにこと写真となると、当時の僕はファッションと切り離して考えていた。もちろん雑誌のファッション写真は好きだったが、ファッションフォトグラファーが撮る日常の写真(木とか街とか車とか)のほうがもっと好きだった。
であれば、ファッションフォトグラファーが撮る日常の写真のような、"そっちのほう"で、ファッション写真を追求すれば自分にとって一生向き合っていけるものになるんじゃないかと思った。
とはいっても、作家とカメラマンの違いも分からなかった当時の僕にとって"そっちのほう"でファッションを撮るということがどういうことなのかてんで分からなかった。とりあえず僕はファッション写真の真似事から始めることにした。ファッションだととにかく着る人が必要だろうと、理想の被写体を考えてみた。年齢、性別、国籍──、様々な人物が思い浮かんだが、自分が一番かっこいいと思う人物は誰なのだろうかと考えた時、それは日本のおじいちゃんだった。「仁義なき戦い」の菅原文太や松方弘樹のように、焼けた肌に脂汗の滲む渋い日本男児おじいちゃんが自分の理想像だった。
と、ここで新宿西口に住む人のことを思い出した。自分の理想の被写体になってくれるかもしれない男性だ──。メルカリで買ったばかりのvetementsのキャップを持ってその晩新宿に向かった。相武台の部屋と新宿行き各駅停車小田急線には、当時のワクワクした感情と社会から切り離される葛藤とが未だに残っている。
新宿の西口について、すぐにその人を発見した。小田急線の地上出口を出てすぐのわかりやすいところにいた。しかし、知らない人に声を掛けて写真を撮ったことなどない当時の私は30分ほど付近でまごまごしていた。どう声を掛けたらよいのか、断られたら嫌だな。
──堂々めぐりの思考を拗らせ、考えてもどうしようもないと理解した私はようやくおじいさんに声を掛けた。
YT「すみません、僕カメラマンしてまして、すごくかっこいいなと思ったんですけどよかったら写真撮らせてもらえないですか?」
伊藤さん「ああ〜、いいよ。」
僕が思ったより何倍も物腰が柔らかく朗らかなおじいちゃんだった。名前は伊藤さんだという。76歳でもう長いことここに住んでいるらしい。仙人のような髭と、シンプルなアイテムながら独特な着こなしのファッションスタイルが目を惹いた。その日はvetementsのキャップを被ってもらい撮影をした。
その後も何度も伊藤さんにギャルソンやマルジェラを着てもらってファッション写真の真似事をしたりした。今見返すと、伊藤さんには申し訳ないが滑稽な写真が何枚もある。それは伊藤さんの問題ではなく、自らのファッションと写真に相対する思考の問題だった。端的に言うと、その時の僕は伊藤さんにもギャルソンにも向き合っていなかったのだ。
その後紆余曲折あり、街中の人々をコンパクトカメラの連写で1日2000枚撮影したり、地元の大阪に帰ってニュータウンの街並みを撮影したり、GANTZにインスパイアされた作品をコンテストに出したりと、ファッションと伊藤さんから離れた時期もあった。しかし、そうやって1年ほど色々やってみて、最終的にはやはり自分が撮るべきものはファッションだという結論にいたった。それからはファッションについて、多少は以前よりも深く考えるようになっていった──
──2023年8月29日火曜日、伊藤さんに会いに私は新宿の西口にいた。8月も終わり初秋の涼しさを感じる日々の中で、この日は久しぶりに真夏日を感じさせる暑さだった──
──ふと、そのままの伊藤さんを撮ってみたくなったのだ。ファッション写真の真似事でない純粋な伊藤さんを。
過去の僕は伊藤さんを理想のモデルとしてしか捉えていなかったように思う。仙人のような髭、顔に刻まれた皺、曲がった腰。僕が伊藤さんを見る時、伊藤さん本人ではなくそれらの要素が先行していた。ファッション写真の真似事をしていたあの頃、僕は伊藤さんを「見ていなかった」。
それがここ数年、色んな写真を撮って、人に会って、考えて。それを繰り返すことでようやく伊藤さんを見ることができるようになってきたと思う。だからふと、伊藤さんを撮りたいと思ったのかもしれない。なんの準備もせずカメラ一貫で。
何度も撮ってきた伊藤さんだったが、この日初めて私服の伊藤さんを撮った。靴は拾い物、それ以外の服に関しては毎週日曜の都庁前で行われる炊き出しでもらったものだという。複数あるベストやカーゴパンツのポケットには、お金や紙切れなど余すことなく物が入っている。着物の帯のように上着の外側に締められたベルトは、上着がヒラヒラするのを防ぐためらしい。良さげな腕時計は通りすがりの外人からもらったし、指につけている大量の指輪も全て拾い物らしい。本物の指輪に混じって、キーホルダーの金具もはめられている。
帰り際、「今度来た時、1,2枚でいいから今日撮った写真を焼いてきて欲しい。」と言われた。今まで何度も伊藤さんの写真を撮ってきたが、写真を焼いて欲しいと言われたのは初めてだ。「もちろんです。」そう答えて僕はその場を後にした。
この日僕は初めて、「モデルとカメラマン」という関係ではなく、「伊藤さんと僕」という関係性になれたのかもしれない──