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#2-30 ワルな人ー幼きあの頃のまんまー

ゲストライター:五十棲亘(The Kyoto Costume Institute)

──2024年11月3日日曜日。季節の陰りを待つ間に忽然として訪れた、ひとひらの花弁を焦がすような、鋭い陽射しの残滓。舗道の間隙から立ち上る不純な熱浪と吹き抜ける潔気は、密かに交わされる欲望である(夏井先生「『暑い』だけで伝わります」)。阪急大宮駅を脇目に、ベストブレンドと名高いセブイレのアイコー軽め(薄めではない)をひっかけながら、足早にその日のミッションへと向かっていた。

YS「今週の日曜京都おるからおじいちゃんの写真撮りに行こうや」
  「夕方までやけど」

今回はYSの裏稼業である運び屋の仕事で京都に来たようだ。筆者はといえば、日々の雑務に心を奪われていたのが正直なところである。しかも、前日には何かの前兆かのように、身体が烈火に焼かれるような高熱に苛まれ、薄布団に縫い止められた虫になり、ただ静かに横たわる他はなかったのだ。

「SI具合悪いんだから、ふざけんじゃねぇぞ!」

だが、この色褪せた旧都に遠くから足を運ぶ友の知らせを耳にすると、水面に触れた一滴の余波が広がる錯覚を覚えた。どこかしら感じていた煩わしさなど忘れ、京都三条会商店街に息づくおじいちゃん(OJ)の気配を嗅ぎ取ると、じわりと熱が染み渡るのを感じたのだ。THE 72 Club、初の京都撮影である。

──全長800mという、京都の商店街のなかでも随一の距離を誇る京都三条会商店街[通称:三条商店街]。錦市場や寺町京極商店街といった観光市街地からやや離れた場所に位置し、個人商店や新興の飲食店で賑わっている。大学時代を京都で過ごした私たちは、花街の喧騒に疲れ、暇を持て余して歩くことを消費し、フィルムカメラを持ち始めた頃、この三条商店街には頻繁にお世話になった。京町家とスーパーやドラッグストアが雑多に入り混じり、路地から古民家が覗く商店街のアーケードには、文化と無為、整然と散漫、洗練と粗野が同居している。この絶妙な「生活感」は、微レトロ、微サブカル、微ノスタルジーに半身だけ浸し、ざらついた粒子で近場の風景を収めたい大学生を惹きつけるにはうってつけのスポットだったのだ。

──「夕方までやけど」というYSの言葉通り、その日は不幸にも時間がなかった。運び屋と企画構成員という裏の顔をもち、無尽蔵の労働に翻弄される私たちは、互いに別用があったのだ。OJの一日は早くに始まり、早くに終わる。実のところその前に訪れた淀駅の京都競馬場でのOJハントは未遂に終わっていたため、すでに日が高くなり、薄明かりが広がり始めていた。OJにはやがて訪れる夕餉ゆうげの刻が、日常のひとこまとして静かに迫りつつある。

YS「もう背徳飯やってないんや、あれほんま嫌やった」

「背徳飯」とは、ファミリーマート(FM)で9月17日より展開していた「背脂・にんにく・チーズなど罪悪感がありながらも、美味しくてやみつきになる「背徳飯(はいとくめし)」全8種類が一堂に会するキャンペーン」(引用:公式HP7つの背徳食材を使用!食欲を直撃する“背徳飯”が登場 全8種類の「背徳のコンビニ飯」9月17日(火)発売! 背脂、バターソース、にんにく、チーズなどの誘惑に溺れる “本能にあらがえない、禁断のウマさ。”|ニュースリリース|ファミリーマート)のことである。YS曰く、


「背徳飯」、その無邪気な響きとは裏腹に、一抹の驚きと共に感じる胸騒ぎ。かつて「背徳」とは、人間がその本能に溺れ、道を外れたときに発するものであった。あるいはニーチェが論じたように、単なる禁忌や社会的規範へと足を踏み入れることではなく、むしろそれを乗り越えること、つまり「既存の道徳」に対する反抗の象徴であった。
だが、今やその「背徳」はFMという企業によって、商品として流通し、廉価なパッケージに包まれて売られている。背脂・にんにく・チーズといった食材は、確かに一時的な欲望を満たすには効果的だろう。しかし、それらが「背徳」という言葉と結びつけられ、企業の戦略的なキャンペーンとして提示されるその光景は、私たちが「罪悪感を楽しむ」ことを売り物にしているようで、冷徹な商業主義を感じさせる。人間の欲望が最も激しく表れる場面を、傲慢にもFMが道徳的な曖昧さを巧みに操りながら消費させることには、強い違和感を覚える。「背徳」が単なる「美味しさ」として昇華されるならば、それはもはや「背徳」ではなく、ただの空虚な消費にすぎない。FMは果ての無い人間の欲望を消費文化の中で無理矢理に具象化し、我々の味覚へと暴力的に訴えかけることで、「背徳の味」をどこまでも平易で軽薄なものとして表象しているのだ。
結局のところ、このキャンペーンは、ニーチェの言うところの「ルサンチマン」を無意識のうちに強化しているに過ぎない。「背徳」を一時的な食の享楽と結びつけ、しかもそれを商品化することは、逆説的に現代社会が「背徳」という名の美徳を求めつつも、それを消費することにしか意味を見出せない状況を象徴している。背徳の持つ深遠さは失われ、消費文化に飲み込まれた瞬間、その概念は空虚なものとなり、我々はただの欲望の奴隷となる────。

「「背徳」であるかどうかを線引きするのは、あくまでも我々消費者なのだ」。YSはそう締めくくる。

SI「え~YSさん厳しい~笑」

彼からすると「背徳飯」なるものは、罪感などよりも余程行なのである。流行している現代語の威を借り、消費者の主権を簒奪しようとするプロモーションを取り締まるプラスチック警察もまた、YSの重要な仕事の一部なのだ。

──このように善悪の彼岸について語り合いながら、商店街の中腹にある三条大宮公園まで歩を進めた私たち。しかし、いまだめぼしい人物は見つからない。刻一刻と裏稼業へのアテンダンスが近づいている。「もうだめかもしれない...」と諦めかけた刹那、その静けさに突如として亀裂が入った。街の片隅で放たれる、異様な霊圧。振り返ると、そこには一人のOJが佇んでいた。

赤いTシャツに身を包んだ男の圧倒的な霊圧は、まるで護廷十三隊総隊長 山本元柳斎重國の愛刀「流刃若火」の業炎が取り囲むよう。季節外れの焱熱のなかで見紛えた蜃気楼なのかもしれない。OJの霊圧にあてられたYSは、元柳斎とエンカウントした伊勢七緒(『BLEACH』18巻p125参照)のように小刻みに震え、悦びにも似たエクスタシーを感じ始める。

YS「うぁ… …あぁ…(あの、すみません。僕カメラマンしてるんですけど)」ビクッ

OJ「おぬしの様な赤ん坊に 息の仕方から教えてやるほど 儂の気は長うないぞ」

YS「あ…(おじいちゃんのファションをテーマに写真撮ってまして、すごく服装カッコ良いなと思いまして。よかったら写真撮らせてもらえませんか?)」ゴボッ

OJ「ええよ。でも急いでてすぐ行かなあかん。」

YSはOJの霊圧に身悶えながら、辛うじて一枚だけカメラのシャッターを切る。通常であれば、YSはOJとその日の服や場所との関係、これまでのOJの人生などを聞き取り、服装にまつわる物語を構築していく。しかし、世界を焼き尽くそうとする天照の如き烈火を纏ったOJは、砂塵吹き荒れる戦場に立つ孤高の獅子である。OJが微かに眼を開けるだけで、YSの手足はすくみ、心の奥底に潜む「写真家として大成したい」という野心も膝を折る。何十年という時の蓄積が生んだその烈火のような霊圧には、新進気鋭の写真家の意志や情熱などというものを軽々と凌駕する、まさに「破壊」の根源たる宿命の重み。YSはなす術なく、OJを見送った。


──というわけで、OJを知る手掛かりはデータフォルダに残された一枚の写真だけとなった。Tシャツをペインターパンツにタックイン。赤と灰のレイヤリングと無骨なデニムの褪せた藍のコントラストが憎らしい。ここにスニーカーではなく二枚歯の下駄を組み合わせる感覚も粋である。手元にはシルバーグレーのビニール袋。虚圏ウェコムンド(買い物)帰りだろうか。この着こなしだけでも只者ではないことが伝わってくる。今を時めく高橋文哉君のような髪型を注視してみよう。トップやサイドのやや短めのレイヤーと長く伸ばされた襟足(通称ヤン毛)で構成されたウルフカット。ほほう、命を刈り奪る形をしている。しかしながら、やはり特筆すべきは彼の霊圧の結晶ともいえる赤色のTシャツである。何を隠そうそのTシャツは、平成生まれのキッズたちを虜にした「BADBOY」である(出典:「90年代から現在までの道のり:BADBOYのストリートファッションへの新たな挑戦」90年代から現在までの道のり:BADBOYのストリートファッションへの新たな挑戦 | Fashion Tech News)。

──日曜の昼頃、家族で出かけた近隣のSATYやイズミヤ、ジャスコ。雑踏の中、キッズ筆者が身につけていたのは、今や世界的なアパレルブランドとなったユニクロの服である。確かにユニクロは、トーマスやポケモン、戦隊もののキャラクターといった鮮やかな色で無垢な笑顔がプリントされた子供服とは趣が異なる。そして先日30代の扉を開いた現在の筆者には、記号的な「子供らしさ」を両親が忌避し、ユニクロを着せていた気持ちもよくわかる。だが、それはあくまでも社会の荒波により擦れ切った「親目線」である。当時の彼は、捉えどころのない無味乾燥とした「普通すぎる」デザインをどこかダサいものだと、キッズながらに理解わかっていたのだ。

無地のシャツや淡い色のパンツから無作為に選び取られた服を身につける彼。いつものように、無邪気に「これええやん」と勧めて来る母。「いかにも大人が選んだ安価で着回しやすい服をお仕着せられた子供」という印象に嫌気がさしていた彼。その輪廻からどうにか逃れる契機を窺う最中に目を付けたのが、周りのキッズが身につけていた「BADBOY」と大きく刻まれたTシャツだった。キッズたちは、あの獰猛な獣のようなまなこのロゴを従え、無意識のうちに集団の一員として自らを確立していた。それは、無駄な言葉を必要としない──それぞれの胸に刻まれた眼が、同質な「仲間」や「集団」を象徴する誇り高い旗となっていたのだ。

無骨で力強いデザインが並ぶスポーツウェアとストリートファッションの一角で、獰猛な眼が彼を睨みつけている。そのTシャツを手に取った彼を驚いた顔で見つめる母。しかし、目を伏せ、無言のまま肌理をそっと指でなぞった。シコシコ感がすごい。粗い綿の感触に触れた瞬間、心には不思議な安堵と緊張が入り混じった。あの眼に触れることで、無意識のうちに、母という存在からの脱却、支配からの解放を求めていたことを知る。それは、フロイトが語った「親頃(56)し」の欲望に他ならなかった。無機的で平板な普遍性を拒絶し、BADBOYというロゴに身を包むこと。その黒い布地は、彼が初めて自ら選んだ〈私〉の証であり、幼きあの頃の安らぎを捨て、新しい自分を探す旅 “In Search of Myself” の始まりを告げるものだった。

──OJに対峙したことで、かつての思い出が去来する。だが、ここでひとつの疑問が頭に浮かぶ。(BADBOYは子供服のはず…。なぜOJの手元に…?)

BADBOYはただ単に成長に比例して親への反抗心を見せつける「ワル」の象徴だっただろうか。そうではなかったはずだ。あの眼の強烈な力に魅了され、無言のうちに仲間と彼を繋ぎ、文字通り「BADBOY=悪童」として新しい世界への扉を開くように思えた感覚。だが、それは時間が経つにつれ、次第に色褪せていったのではなかったか。

ある日、そのTシャツに袖を通し、鏡の前に立った。それは、いつものように鋭くこちらを見つめている。いつかは誇らしげに思えた眼差しも、今ではただの印に過ぎないものへと変わり果てていた。ロゴとは自己と他者とを区別しながら、同時に「同じであること」へと縛り付ける枷となる。彼が求めていたのは、このロゴによって形作られる「群れの縄張り」ではなかった。少年たちの心を掴んで離さないカリグラフィの上では、呪文がずんと鳴り響く。Tシャツの中の自分自身が、だんだんと透明になっていく。彼は気づかされたのだ、あのロゴは実はユニクロと同じではないかと──。その獰猛な眼は、あの日と同じように彼を睨みつける。

「見るな!こっちを見るな!」

──OJのBADBOYが息子から受け継がれたTシャツなのか、自ら購入して長年愛用しているものなのかはわからない。しかし、OJのBADBOYはまっすぐな眼をしている。まるで時間というものが、その眼に触れることなく、ただ無意味に通り過ぎていったかのように。逆光の中でも、その眼は静かに、しかし鋭く、YSと筆者を見据えていた。
あれは霊圧などではない。OJの存在が心をざわつかせたのは、かつて手放してしまったBADBOYの獰猛な眼、まるで他者の魂を見透かすかのような、その眼の形相が、筆者の内なる浮薄さを暴き出すかのように、心の奥を抉ったからだ。

OJは、ただ一点をまっすぐ見据えている。ある人はOJを無視し、また別の者は陰で嘲笑し、遠巻きに通り過ぎるかもしれない。だが、OJの眼には、他人の視線など一切届いていないだろう。それは、不動の信念に裏付けられたBADBOYとOJが同調シンクロしているかのようである。OJの目には、世界の流れに従うことなくただ自己を貫こうとする、冷徹でありながら、無比の潔さが宿っている。だからこそ、OJは、筆者にとって耐えがたく、自身の不純さを鋭利に切り刻んでゆくように感じられたのだ。

──家に帰り、静まり返った部屋の中でOJの、そしてあのBADBOYの眼を思い出していた。秋らしい日中とは違う冷え込んだ空気が、ふとした瞬間に背筋を震わせ、部屋の隅でひときわ目立つ時計の音が、耳に突き刺さるように響く。外の喧騒とは裏腹に、私はその一瞬の出来事を、なぜか手放すことができずにいた。

涙のなかは 全部透明
濁り一つもない純粋MY MIND

私の中は 全部透明
幼きあの頃の
幼きあの頃のまんま

モーニング娘。'24 「なんだかセンチメンタルな時の歌」
(作詞・作曲:つんく、編曲:神谷礼)


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