#2-15 太ズボンの人
──2023年8月15日、朝8時。窓から差し込む燦々とした陽の光で目が醒めた。予報では台風7号が本州に上陸し、私が住む街東京も朝から雨のはずであった。しかし、雲は見えるものの、雲間からの太陽で街は照らされてている。前日の夜から、明日は外に出られないなと身構えていた私は肩透かしを食らった気分だった。東京の天気予報はよく外れる。
この日は1日家に籠るつもりだったが、せっかく晴れているのでカメラを持って外に出てみることにした。新しく買ったギャルソンのボストンバッグにカメラを詰めて外に出る。すると、途端に空には雲がかかり、ストリートは黒くなってしまった。これだと青くなってしまう。私は太陽がアツアツに降り注ぐ晴れの日にしか撮りたくない我儘カメラマンなので、朝マックでも食って家に帰ることにした。
──ソーセージマフィンとハッシュドポテトを食べてマクナルを出ると、依然、街は暗い。秋空のような夏空に半ば呆れて帰路に着くと、三井住友銀行の駐輪場に見覚えのある一台の自転車を発見した。車体はオレンジ色で、ハンドルやカゴには色とりどりのテープやビニール、洗濯バサミなどでデコレーションされている。僕はこの派手な自転車が路駐されているのをよく近所で見かけていたのだ。ある時はラーメン屋の前で、ある時はパチンコ屋の前で──。しかし、いつも自転車ばかりで肝心の持ち主は見たことがなかったので、僕は勝手にこの自転車を「フライング・ダッチマン号」と呼んでいた。
──と、そんなことを自転車の前で考えていると、ひとりのおじいさんがこちらに向かって歩いてきた。おじいさんは僕の目の前まで来ると、「フライング・ダッチマン号」の鍵を開け操縦桿に手をかけている。なんと!この人が持ち主らしい。シミだらけのシャツと極太ズボンのスタイルが、自転車のインパクトに負けず劣らずである。
自転車のことなどさて置き、おじいさんのファッションについて話を聞いてみたくなった。声をかけてみる。
YT「すみません、服装すごい格好良いですね!僕カメラマンしてまして、ファッションをテーマに写真撮ってるんです──」
話を聞いてみると、現在70歳らしい。胸元のポケットには煙草「ハイライト」が入っている。自転車は家にあるもので補強した結果こうなったらしい。
YT「このズボンめっちゃ格好良いですね!めっちゃ太いですね!これはいつ買われたんですか?」
OJ「これは──、昔──」
おじいさんは僕に、おじいさんの過去を語ってくれた。昔足に水が溜まる病気を患っていて、足が相撲取りのようにパンパンに腫れていたらしい。今はもう治ったが、当時は普通のスボンだと足が通らないので、この太ズボンを買ったらしい。スラックスの形をしているが、よくみるとジャージ素材で動きやすそうだ。
ポロシャツも5年くらい着ているらしい。シミがすごいが自転車の補修の件も含めて、ものを大事にする人なのだろう。
僕はおじいさんの写真を撮らせてもらい帰路についた。
白いキャップ(良く見ると安全ピンがついている)、首元の布、シミだらけのポロシャツ、年季の入ったウェストポーチなど、身に着けるアイテムが全て魅力的に見えたが、やはり一番の魅力は地面までストンと落ちる美しいシルエットの太ズボンだった。おじいさんのパーソナルな過去との関連性が、このシルエットに信憑性を持たせていた。流行や誰かの影響ではない、このおじいさんだからこその太ズボン──
と、ここまで書いていて、ミイラ取りがミイラになるような感覚を覚えた。モードがモードの外にあるものを何でもモードの世界に取り込んでしまうような権力構造が、ぼくと太ズボンのおじいさんの間でも生まれているのではないだろうか。自分とおじいさんの間でミクロな「文化の盗用」問題が発生している。
(中略・2701字)
──人間の欲望よりも、だんだんと理性が勝ってきている今の世の中で、このモードの「軽さ」はどこまで許容されるのだろうか。
──モードをのぞく時、モードもまたこちらをのぞいているのだ──