#2-22 遺愛の人
──17XX年X月X日、江戸は赤羽根。辺りには無数の朱鷺の屍。肩まで積もった朱羽に染まる赤土。金がねえ、仕方ねえと江戸っ子が漏らす予々。辛えカレーと文明開化。赤羽根から赤羽へ、明治4年の維新前進──
──2024年1月30日、時は令和。いくつもの写真の屍を越えてたどり着いた先は、──そう赤羽。
真っ青なモンベルのダウンジャケットと赤羽の赤土のコントラストは、まるで奥山由之の撮る写真のようだ。
赤羽駅周辺をぐるりと一周してみたが、想像よりも小綺麗な若年層が多い。NOT PLASTIC FASHIONなおじいちゃんで溢れる光景を期待していたが予想は外れたようだ。一人駅前でええ感じのおじいちゃんを発見したので声をかけてみたが、怪訝そうな顔で断られてしまった。
今日は赤羽という土地にツキがないのだな。ぼくはフィーゴばりの切り返しで赤羽を後にした。
──赤羽から京浜東北線で1本15分。降り立った場所は「上野」。時刻はすでに15時を過ぎていた。冬の暮れ、すでに日は入り始めている。僅かに日が差し込むこの中央通り沿いが最後のチャンス。神様、我に希望を与えてクレメンス──
と、諦め7割希望3割の七三分けマシマシ状態の僕を、髪様は見離さなかった──。ちょうど上野広小路の交差点に差し掛かろうとしたところ、ひと目で只者ではないとわかるおじいちゃんが僕の真横を擦過した。ずっしりとした体躯に真っ黒の衣裳。インナーには白いシャツを着ている。そんな重厚感のあるボディに対して、頭部に載せられたスポーティで真っ赤なキャップ──。その姿、まるでドナルド・トランプのようである──
これが今日の最後のチャンスになることは火を見るより明らかだ。またしてもフィーゴばりの切り返しでUターンした僕は、おじいちゃんに声をかけてみた──
YT「す、すみません!ちょっといいですか?」
OJ「ん、なに?」
YT「実は僕カメラマンしてまして、、、年配の方のファッションをテーマに写真撮ってるんですが、ジャケットとかこのキャップの感じめっちゃかっこいいなって思いまして!よかったら写真撮らせてもらえないですか?」
OJ「写真!?指名手配中やからいけんわ!(笑)」
YT「え!指名手配中なんですか!?」
普段ならおじいちゃんの小ボケに対して小粋なツッコミができたかもしれない。しかし桐島聡の報道の後では、その発言が真か偽かは定まらず、オウム返しすることが精一杯だった。
気を取り直して、まずは会話をしてみる。
YT「あはは。よかったら今日の服装についても少しお話お聞きしたいのですが。この腰に巻いてる白い布はなんですか?」
OJ「これは道着の帯じゃ」
YT「道着の帯!?ちょっとごめんなさいね、アナタは何をされてる方なの?」
OJ「イアイじゃ」
YT「遺愛?」
OJ「居合。」
──イアイという単語に馴染むにはあまりに平凡な日々を送っていた僕は、色々話してやっとそれが「居合道」のことだと分かった。このおじいちゃん、居合道マスターだった。
しかしこのごろ腰を痛めてしまい、道着の帯をコルセット代わりに巻いているのだという。現代の居合道は、座位からの抜刀術がメインになるため立ち座りが多い。そのために腰をいわしてしもたらしい。居合道で痛めた腰を道着で癒すとは気合いの違いを感じる。
OJ「写真は何に使うの?」
YT「記事にしたり、ゆくゆくは写真集にしたいと思ってます!」
OJ「ほう、そうなんか。じゃあここでええか?」
YT「ありがとうございます!」
おじいちゃんは餅屋の前に止まって写真を撮らせてくれた。僕は大きく息を吸い込んで2回シャッターを切った──
──日曜日の朝、Lazy Sunday Morning。眠い目をこすり、デロンギで淹れたキリマンジャロブレンドコーヒーを片手にデスクに向かう。(あ、ちなマグカップはBALENCIAGA)
ひと月ごとにキャリブレートしているEIZOのモニターには、先日撮影したおじいちゃんの写真が映し出されている。僕はぼーっとそれを眺めていた。
大光量のストロボがおじいちゃんの白シャツと道着の帯に跳ね返り、眩い光を放っている。寝ぼけた頭にはブルーライトで分からせる。
どれくらいだろうか──?
この記事を書いていてぼくは、おじいちゃんにいつから居合道をしているのか聞きそびれたことに気がついた。おじいちゃんと居合道との関係性を理解する重要な情報なのに。
しかしモニターを見返して、そんな後悔は無用な感情であると悟った。白飛びしたシャツとベージュに変色した帯のコントラストは、おじいちゃんと居合道との長い歴史を物語るには十分であった──。