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優しさが行方不明

このNoteを始めてからなんだかんだ時間が経っており、気付けば自分より年次の浅い方々が入社してきている。偉そうに聞こえるからあまり好きではないけど、事実として後輩なのでここでは後輩と書きます

後輩と一緒に案件に入ることが増えるにつれ、後輩に対して指摘することも増えてくる。指摘して改善されれば「はいおしまい」となるのだが、それほど簡単にはいかない
指摘してもすぐに改善されないタイプがそこそこいる。はて、どうしたものか

そもそも、後輩や部下への向き合い方は大きく分けて2つあると思う
一つは、指摘するタイプ。もう一つは、見限るタイプ(勝手によろしくという自己責任タイプも広くはこっちに含まれる)

自分自身は指摘するタイプで、最初はミスの指摘と励ましを入れるようにしている。但し、同じミスを繰り返す場合には、その原因となる根本の考え方・姿勢なんかにまで言及する
例えば、後輩が遅刻してきたときは、もし担当者が遅刻してきた後輩一人だったらどうするつもりだったのか、先輩がいることに甘えがなかったかを問うて、今後はオーナーシップを持って取り組んでほしいと伝えている(目覚まし時計を買うとか笑)
後輩の視点では、先輩がいることに甘えがなかったはずはないのだから、言い逃れることのできない性格の悪い指摘をしている自覚はある。ただ、憂さ晴らしや嫌がらせで言ってやろうという意図はなく、指摘しにくいことも指摘することが一種の優しさだという自論に基づいている。なぜなら、痛いところを突かれたなというバツの悪さが成長には一番効くと思っているからだ

ただ、繰り返し言われたり、自覚のあることを言われたりするのが嫌なタイプもいる
実のところ、自分自身もその一人。だからこそ、何度も言われないように改善を心掛けるし、そもそもミスらないように考えて、試行錯誤している

なので、指摘されるのが嫌なら自ずから改善することが普通だと思っていた。ただ、今の後輩の様子を見ていると、指摘されるのは嫌だが改善もできていない、という中途半端な状況に見える

そして、意識が足りないとまた指摘してしまう。しかし、どこか上の空で他人事に捉えているように見受けられる
そうやって指摘を重ねるたび、どんどんと相手の反応が曇っているような気がして、ややもすると相手にとってこの指摘がトラウマになっているのかもしれないと懸念する

それを見ると、やはり自分の指摘には、ストレス発散のきらいがあるのではないかと疑念が生じてしまう。全く学習しない後輩を詰めてやりたい気持ちがあるのではないか、と
自身に対して疑心暗鬼になり、ならいっそ何も言わない方がいいんじゃないかとすら考える

けどふとした瞬間に、これは、外形的には見限るタイプと同じことをしているように見える。プロフェッショナルなら自己責任であるべき、成長する意欲がないならどうぞ沈んでください、というスタンス
でもそれは、あまりに酷なのではないか、と思う
だって、まだ大学生を脱して1年足らずなのだから

入社当時、この世界に踏み入れることに覚えた不安が懐かしい。自分が使い物になるか。優秀な同期に置いてけぼりにされないか。身体は持つか。こころは持つか
同じような不安や焦燥を彼ら彼女らも抱えているんじゃないかと思う
であれば、立ち上がりが遅くとも、戦力になるまでは見限らず、梯子を外さずに寄り添いたい。そういう思いで指摘はしているつもり

でも、受け取り方は人それぞれで、こちらとしては期待でも、相手からすればプレッシャーで、それが人を潰すこともあるのかもしれない

そんな風に悩んで、いまだ答えは出ていない
指摘することは止めないが、もう少しマイルドに、前向きに伝えられるようにはなりたい。甘いとか言われそうだな

まあ一番の問題は、自分の仕事で手いっぱいで余裕のないことなんですけどね~(だから後輩のミスが直に自分に響く)
お目汚し失礼しました、引き続き精進します

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