どこまで他人に尽くせるか
投稿が止まりすぎて過労死したと思われていそう
年末年始に気が緩んでから疎かになっていました
最近、ロジカルシンキングとかの本を読み直していて、近頃のマイブームが「思考」であることに気づいたのでそれに関して一つ
家族でも恋人でも友人でも、誰かに対してどこまで「尽くせるか」を考えたことはあるだろうか
「友人だからこれくらい」
「恋人とはいってもそこまでは」
きっと基準は千差万別。とはいえ、ある程度の世間一般も存在するのがこの辺りの議論で、答えは出ないことが多い
しかし、そんな答えの出ない問いについて考えたのは、先日、友人からこんな話を聞いたからだ
仮にその友人をAとする
なるほど、確かに恋人同士である以上、一緒に居ない時でも相手を気に掛ける方が良さそうではあるし、おそらく一般に照らしても妥当な気がする
それでも、Aの話を聞いて何だかモヤモヤするのは何故なのか
そこで一つAに尋ねてみることにした
Aの答えはNoだった
お金は信頼・信用に関わるから肩代わりすべきではないと
それを踏まえてもう一つだけ、レンタカーを出してもらったことに対して何かお礼はしたのかとAに尋ねると、ありがとうと伝えたとのこと
ここまで来てようやくモヤモヤが晴れてきた
自身の考えとしてAに伝えたのはこんなこと
大前提として、多くの問題は程度問題だと思う
ここまでを踏まえて言いたいことは、片方が悪く見える問題に出会ったら、思考実験で返すとフラットな会話に戻せる気がする、ということ
上の例を振り返ると、①善意と当然の境目が恋人であることで曇っていること、②善意(で消費したリソース)に対して何ら実体的なお返しがなされていないこと、が論点としてあって、②は自明だから、後はいかに①を共通認識にできるかがポイント
我ながら即興の思考実験としては良い出来だったんじゃないかと思っている