[ENTP視点]偏見が持つ危うさ
こんばんは。Yutaroです。
本日はある記事を見て、ぼくも偏見に塗れており、偏った見方というのは人間しがちであるけど、自覚なく進むとこれは大変素晴らしいこと(皮肉)が起こるんじゃないかと思いました。
それをツラツラと書いていきたいのでよろしく!
サッカー記事を見て自覚してしまった偏見
私が偏見に塗れてるなと自覚した瞬間というのが下記にも添付してある記事を読んでいるです。
この記事を軽くでも読んでもらうと分かるんですが、ペシペシ叩かれているのは久保建英がクラブチームに好かれており、その行動というのがペシペシ叩くということに繋がっておりそれを記事にしているだけです。
しかしながら、私は穿った見方をしてしまったせいで、ペシペシ叩かれているのはアジア杯敗退と関係あるのかなと題名から勝手に推測してしまった。
その結果、すべての記事を読み終わった瞬間、何が言いたいのか理解ができずに、2度目を読むことになりました。そして、この記事の言いたいことを理解できました。
その瞬間、恐ろしさを感じた…偏見 is 怖い
この記事から私が感得したこと
私は穿った見方をしてしまったせいでしっかりと物事を把握することができなかった。
しかしながら、何故把握できなかったのかを修正することができたからまだいい。
修正できなかった人間というのはどーなる?
記事だけでなく、人の言動等でそれがいかんなく発揮してしまったらと思うと身の毛がよだつ。
世の中に出回ってる記事に対して、おかしな発言をしているなと思ったら概ね、ぼくと同じ現象が起こっていると思ったほうがいい。
修正できればいいのだが、感情が優先されてしまっている状況下において、まず修正されることはほぼ無いといっても過言ではない。
人間やっぱり修正力が大事だよねと感得した次第であります。
まとめ
読んでみていかがだったでしょうか。
自分もやってしまっているなと思ったそこのあなた!
これから気をつければいいのです。
それをすることにより、人間は無限に変われるし、成長できます。
普段自分を顧みない残念な人間ではあるけど、珍しく危機感というのを感じたので文字にしてみました。