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抱っこ。

これから話す話はフィクションであり体験談だ。それを踏まえて読んでほしい


この夏私は疲れ果てていた。今までにないタコの不漁、時化続きで何も取れないウニ漁。私の取る漁種は壊滅的であった。

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それでも待ってくれない住宅ローン、光熱費の支払い、取れなくてもかかる船のガソリン代。それに加えてコロナ感染ときた。10日間の隔離生活は私を追い詰めるには十分すぎる時間だった。「もうこんなプレッシャーから解放されて楽になりたい」「誰かに抱っこされながら眠りたい。赤ちゃんになりたい」そんなことを考えていた。明らかに現実逃避だ。プレッシャーからは解放されないし172センチ60キロの成人男性を抱っこするなんて物理的に無理だろう。

「もっと軽ければ誰か抱っこしてくれるのかな。」なんて考え始めるともう末期だ。頭の中が抱っこされたい欲でいっぱいになる。本来の現実逃避という文脈からはかけ離れ、ただ抱っこされたい30歳男性がそこにいた。

私は軽くなる方法を考えたが全てが現実的ではなかった。現役時代(筆者は元ボクサーである)最低で49キロまで減量したことがあるが、172センチ49キロの男性を抱っこできる女性がどこにいるだろうか。まして抱っこされながら眠りにつくなんて夢の話だ。

そこで私が思い付いたのが水の中だ。水の中だと浮力が働くので抱っこすることは可能だろう。まして季節は夏だ。この時期の海水温は20度。温かくてうとうとしてしまう水温だろう。

しかし誰に頼めばよいのだろうか。知り合いにこんな恥ずかしいお願いをする訳にもいかないし道端で声をかけてお願いするなんて完全に不審者だ。私は頭を抱えた。考えに考えた結果行き着いたのが「レンタル彼女」だ。

そこからの私の行動は早かった。近所の人に見られるのは恥ずかしいので場所は隣町のビーチに、日時は人の少ない晴れた平日の午後、隔離終了翌週の火曜日にした。

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決行日の目覚めは最悪のものだった。緊張で眠れなかったのである。眠い目を擦り車を走らせた。それでもビーチが近くなるにつれ高揚感と緊張で目が覚めてきた。

待ち合わせ場所に30分前に着き彼女を待っていると、小柄で肉付きの丁度良い黒髪ボブヘアーの女性が車に向かって歩いてきた。一通り挨拶を済ませ、ビーチまでの15分の道のりを冗談を交えながら楽しく歩いた。それはさながら彼氏彼女の様であった。さすがプロだ。そしてビーチに着きいよいよ念願の抱っこタイムだ。

彼女に腰くらいの高さまで水に入って頂き私がそこに寝転がる。そして両腕で体を支えてもらい全体重を彼女に預ける。私の体は彼女によって支えられ顔は天を仰ぎ腕は彼女の肩へ掛けさせてもらった。その瞬間私は全てを受け入れられたような気がした。

「あなたはとても頑張っている。少しは人にもたれかかってもいいんだよ」

そんな風に言われたような気にもなった。これまでの人生で背負ってきた重圧。責任そんな事を全てを忘れさせてくれた。耳まで海に入っているので雑音も少ない。危うく涙を流す所であった。

私は全ての頑張ってる男女にこの経験をオススメしたい。絶対に抱っこされるべきだ。抱っこされた時のこの感覚は筆舌に尽くし難い。経験あるのみである。そう言い切れるほど満たされた時間だった。

何分経ったのだろうか「そろそろお時間です」という声に我に帰った。寝ていたようで寝ていないフワフワした時間だった。延長しようとも思ったがキリがないので帰ることにした。帰り道は寂しかったが不思議と前向きな気持ちにもなっていた。一度重圧から解放された事により前向きになれたんだと思う。

集合場所に着き別れの挨拶と同時に精算をした。前向きな気持ちと引き換えに払う大金はとても気持ちのいいものだった。

「明日からまた必死に働こう」そう思って帰路に着いた。



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