Viva La Vidaをどう訳すか。
"I used to rule the world"
とある曲はこんな歌詞から始まる。
初めて聴いたのは今から6年近く前、僕が中学生の頃だったと思う。
リズミカルで、印象的な前奏に興奮したのを今でも覚えている。
洋楽を聴くようになったキッカケの曲でもある。
それがこの、「Viva La Vida」だ。
イギリスを代表するバンド、Coldplayの一曲で、僕は勝手にこの曲がこのバンドの代表曲だと思っている。ただ、Coldplayを特別に聴くわけではない。あくまでこの曲が好きなのだ。
この曲の良さは決して心地の良いリズムだけではない。歌詞を読んでいくと、1つのストーリーが書かれていることが分かる。様々な考察が出ているが、僕は王の栄子渇水の物語だと捉えている。かつて絶大な権力を持って国を統治していた王が、しかし実は操り人形にしかすぎず没落して古き良き時代に思いを馳せるといった物語だ。
定期的に聴きたくなる、ある種の僕のバイブル的な曲。
今日の昼過ぎ、そんなViva La Vidaを突然聴きたくなった。
自分のiPhoneのライブラリにも入っているがYouTubeを開いていたのもあって、YouTubeで公開されているライブバージョンのものをなんとなく聴き始めた。
印象的なイントロと観客の歓声、ボーカルの煽り曲が始まる。
その瞬間、なぜか涙に溢れた。
止めようにも止まらない。
止まらないどころか、どんどん涙が溢れていく。
理由は分からない。
とにかく涙が止まらない。
音楽のちからを思い知った。
歌詞と重なる部分があったのかもしれない。
まだまだ世界は小さく感じているし、
何でもできるし、何にだってなれると思って生きていた。
根拠も自信もないエネルギーとなんとかなるさでなんとかしてきた今まで。
ところが突然、体調を崩して思うようにコトが進まないもどかしさ、悔しさ。
と、それっぽいことを言ってみるが、音楽にはまだまだ不思議な魅力とパワーを感じる。
同じような経験は初めて欅坂46のライブに行って、生で「サイレントマジョリティー」を聴いた時にも感じた。
胸の奥からゆっくりと温かい何かが特別心地よくもなくこみ上げてくる。
造影剤を投入されてMRIを撮った時の感覚におそらく似ている。
これを感動と呼ぶのかもしれないが、どうなのかはよく分からない。
よく、夏の甲子園だとか、オリンピックで応援しているチームなり選手が頑張っている姿を見て「感動」という表現が使われるが、どうして感動するのかは分からない。別にその選手の苦労全てを知っているわけではないし、努力を見てきたわけでもない。ただその瞬間、アスリートとしての輝きを放っているだけだ。僕はその人の何を知るわけでもない。
そうなると、人は他人が全力で、何かに立ち向かっている姿に「感動」を覚えるのだろうか。少々、おこがましい気もしないではないが、おそらくそういうことなのだろう。
感動といえば、先日東京2020組織委員会が発表した東京オリンピックのモットーは「United by Emotion」、「感動で、私たちは一つになる」だそうだ。どうやらスポーツの祭典は、人類の普遍的な感動を生み、それによって人々は一つになるらしい。
スポーツ観戦で生まれる感動と、音楽を聴くことで生まれる感動は必ずしも同じではないだろう。音楽はその国や土地の文化や価値観、宗教観が反映されていることが多い。時として対立の道具になる。一方のスポーツは、例えばサッカーでスコアをした後に自分がアジア人であることを差し置いて猿真似をしてみたり、政治的な主張をしてみたりすることがなければ、少なくとも分断よりかは感動を生むだろう。
少なくとも、何かしらの音楽なり芸術作品に触れて、心を動かされるという体験は人の感情や表現活動に良い影響をもたらすと信じている。その体験がまた新たな創作物となって誰かの心を動かすことになるのかも分からない。Viva La Vida、「美しき生命」と訳されるように、生命は美しいものなのかもしれない。時に武器となり、対立や憎しみを生むが、それでも生命は輝きを放って、また他の生命に火を灯しているのかもしれない。
芸術の持つちからを思い知った3月1日の昼過ぎだった。
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