見出し画像

2024年12月・年末年始に読んで面白かった本5選+α

12月・年末年始ベスト5

ウォルター・シャイデル『暴力と不平等の人類史』東洋経済新報社

 以前noteにも書いた『エリート過剰生産が国家を滅ぼす』ともリンクする一冊。もしかしたら本文中で言及があったかもしれない。人間社会は戦争・革命・崩壊・疫病によって階層や格差が是正されてきたということを古今東西の歴史的な出来事を参照しながら明らかにしている一冊。日本の第二次世界大戦後の事例にも触れられているのでそういう意味では見た目(かなり分厚い)の割にすんなり読める。
 そして現在は再び、そうした「イベント」によって是正されてきた格差が拡大していることを指摘する。それはごもっともで、これに対して多大な犠牲を払う戦争などを回避し、自主的な対処がしきれていないという問題が現状。ここをどうするか?を問われているわけだけれども難しすぎる。

宇野常寛『庭の話』講談社

 タイトルや装丁の印象を遥かに上回る濃さと面白さだった。現代社会におけるプラットフォームやコミュニケーションの問題を「庭」というオルタナティブの提示とともにその問題を探索していく内容。中でも共同体に対する拒否反応が興味深かった。英国や日本で進められている「孤立対策」を批判的に取り上げ、むしろある程度は孤立しているべきだと主張するところに、共同体から排除される人が念頭に置かれているような気がした。『私たちはいつから「孤独」になったのか』でも人間は本来孤独で、むしろ後天的に「孤独」という言葉で形容されるようになったと記述されていたのを見ても、共同体は「資本主義を捨てて進むべき道」とまでは思えなくなる。
評論家はこうあってこそ!と思わされた一冊。考察してる場合じゃないと。

速水健朗『都市と消費とディズニーの夢』KADOKAWA

 著者はショッピングモーラザイゼーションという独自の用語でもって都市の様が変化していく様子を記述する。このあたりは『都市景観の20世紀』、最近新訳が出た『マクドナルド化した社会』と併せて読むことでより面白く読めた。
 公共空間、半公共空間の収益化として空間がショッピングモールとなっていくことをショッピングモーライゼーションと著者は定義する。そしてこの本が2012年であることに気づくと、この書がある意味で現在の2025年の社会の予兆をキャッチし、先行して批判していたと読めるようになる。都内ではミヤシタパークや、麻布台ヒルズ、ハラカドなどが12年以降のショッピングモーライゼーションの例になるだろう。
 一方で、大阪のうめきた公園の事例は、ショッピングモーライゼーションが逆らえない流れではないことを示している。近年のスマートシティ、コンパクトシティなどの議論ともパラレルなものとして、考えを深める入口になった。

岡野原大輔『生成AIのしくみ』岩波書店

 LLMに続き待望の生成AI編。前回の大規模言語モデルの方も読みやすく面白かった。今回はさすがにやや難易度が高い印象。分かったとは言えないまでも、まだまだ研究が進む分野であることが大いに伝わる一冊。中でも今後の展望として、生成AIの凡化がまだ謎であることは人文社会系の身としてはやや怖さを感じる部分だった。
 あとは脳神経系の研究との融合と、脳のしくみ、ひいては意識研究の今後の展開が楽しみ。最近出てきた記号創発システム論の議論とも関係してくるし、社会学理論も本来は絡める要素多いはずなのでこのあたりは自分でも社会学の言葉で言えるようになりたいところ。

山野内勘二『カナダー資源・ハイテク・移民が拓く未来の「準超大国」ー』中央公論新社

 万が一、アナザースカイに出る機会があれば即答する国、カナダについてまとめられた一冊。正直、首相がイケメンくらいにしか日本では報じられないけど、政治状況は(リベラル派にとって)かなり厳しかったり、親子で首相だったり、AI研究の一大拠点だったり、地味に結構石油が採れる国。途中のコラムみたいなところで我が故郷、ドラムヘラーが出てきて感動してしまった。そう、王立恐竜博物館がある。
 僕が留学していた頃は「超多民族国家!」みたいな感じで盛り上がっていたけど近年ではやはりというか、カナダでさえというか、問題も出始めているという。単純に国を知るという意味でも面白いし、日本が学べることは?という視点でも面白かった。同じタイミングで出版された『日本政治学史』とどちらにするか迷った。

おまけ

ヘーゲル『法の哲学』岩波書店

 川瀬和也,2024,『ヘーゲル(再)入門』集英社.を読んだ前後で再トライ。結局、「分からないということが分かった」状態以上にはならなかったけど、今なおなぜ重要な思想であるのか、その一端を垣間見ることができた気がする。そしてこういうものを「思想」と呼ぶのであって、単なる起業家の考えたこととか、自分の社会観はもはや「思想」と言うべきものではないのだわ。
 国家(普遍意思)と個人(個別意思)の媒介としての市民社会という発想が、そもそも社会契約なるものは国家ー個人のレベルでは成立していなくて、ここの間に市民社会なるものの存在を規定しないことには成り立たないだろうというロジックだった。
 もう一度、『国家はなぜ存在するのか』を読んで戻ってきたい。

ダニエル・C・デネット『ダーウィンの危険な思想ー生命の意味と進化ー』青土社

 難しい。難しいが過ぎる。現代思想で追悼特集が組まれていたのと、いつかのBRUTUSで誰かが取り上げていた(山本貴光かな?)のを思い出して手にとってみたものの難しい。とにかく難しい。ダーウィンの自然淘汰説はその主張の”強さ”故に危険であり、多くの論者に批判されてきたが、むしろそれは無駄なことだと言い切る。その後にペンローズとかチョムスキーが批判の対象として出てくるのだけどその幅の広さについていけない。1行毎に?が増えていく。現代思想をもう一回読んで戻ってきたい1冊。

池内紀 編『尾崎放哉句集』岩波書店

 「咳をしても一人」以外の句が知りたくて読んだ。正直同じようなものが並んでいる感は否めないが、解説を読んで苦しくなってしまった。こういう感情や見たこと、考えたことを句としてアウトプットできるのはそれはそれですごいし、読み手も想像の余地があって面白い。定期的に読み返したい。

チョン・ソンミン『たった一度でもすべてをかけたことがあるか』ダイヤモンド社

 数年ぶりに読んだ自己啓発書。タイトルに妙に惹かれてしまった。読んでみたら案の定かなり読みやすい。内容についてもよく分からない経営者が自己流成功術を語っているわけではなく、折れそうになった時に読んだあれやこれやのエッセンスが詰まっているとのことで面白い。すごく元気が出た。

ブリタニー・ポラット『STOIC 人生の教科書ストイシズム』ダイヤモンド社

 同じく自己啓発されようと思って読んだ一冊。家に帰ってこれが90日の実践形式の本だったことに気づく。そして毎晩ノートに書いて実践してみている。まだ2週間程度だけどかなり内省を促す問いが並ぶ。そしてよく『自省録』が引かれており、自省録も読んでみようかなという気分。
 社会学をやっているとついつい自己啓発は批判すべきものとして考えてしまいがちだけど、こういう効用があることに気づけたのも良かった。

いいなと思ったら応援しよう!