母の立場がら『母の日』にかみしめるコト。
世間がざわつく母の日。
お盆、クリスマス、お正月みたいな四季折々の人が集まる行事にも
一抹のさみしさがこみ上げる。
かつては我が家も賑やかでした。
たくさん人が集まる時には、前の日からお客さんの料理の準備、お布団を干してシーツをかえて、家を掃除して。
みんながやってきて、ご馳走食べて、お酒を飲んで、家の中が色んな声とひといきれでいっぱいになる。
そんな時も、お嫁さんは立ったり座ったりと接待で忙しい。
バタバタしていると、小さかった息子が「お母さんばっかり、どうしてみんないるのに忙しいの?」と聞いた。
「ちゃんと見てくれているんだ。私のバタバタ』と思いなんか嬉しくなった。
宴がすんだら、今度はお茶碗を片付けて、洗って、ふきあげて元の棚に戻す。
次の日、お客さんが帰ったら掃除してシーツを洗って、お布団干して取り込んでシーツを入れて押し入れに戻す。
「あーやっとすんだ。これっていつまで続くのかなぁ。やれやれ。ƪ(˘⌣˘)ʃ」と毎年思っていた。
ところが、20年はアッという間に過ぎて家族が亡くなり、巣立ち少しずつ家族のカタチが変わっていった。
あんなににぎやかだった季節の行事やイベントは、テレビの中の出来事になって家の中はいつもひっそりしている。
そして、さみしくなった。。
人間は勝手ですね。
その中にいる時は一つひとつの大切さに気づかずに、過ぎてから感慨深げな思い出をなつかしんだりさみしがつたり。
大きくなった息子たちが、よこしたりよこさなかったりする気まぐれな「母の日」メールに一喜一憂する。
そして、いつものようにたった数行のメッセージをメモに保存したりする。
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