生死を彷徨った俺の七日間戦争
こんばんは。三角と書いてミスミです。
いや、明けましておめでとうございます。の方が正しい挨拶なのかもしれない。
ブログを書くのはどのくらい振りなのかな?昔は毎日書くのが当たり前くらいに習慣化してた時期もあるんだけど、一回癖が抜けると中々書くのって難しいよね。
さておき、そんな中でも僕がなぜブログを書こうと思ったのか。
それはタイトル通り、流石にヤバいかもしれない。。。というフラフラな七日間を(今もなお)戦ったからだ。
読んでくれた人からだけでも労って欲しいし、優しくされたいという下心100で書いてみようと思ったんだ。(正直w)
まえがき
(実はと言うと12/20くらいから熱は無いけど咳が出る。みたいな体調不良はあった。
でもこの時期は寒暖差アレルギーもあるし、乾燥で喉がやられている毎日のスタートはデフォルトだったので自身の体調に半信半疑しながらも絶大な信頼を置く毎朝のR-1摂取のルーティンだけは濃いタイプにグレードアップさせていた。)
ちなみに私はコロナもインフルも人生で一度も罹ったことがない。(無症状があるとしたら除く)
12/28
年内営業も残り2日。
昼からどんどん体調が悪くなっていく体感。
個人的な感覚も半信半疑から確信に変えざるを得ない感覚。なぜ?
隙さえあればバックルームの椅子に座り、机に授業中昼寝する奴みたいなスタイルで頭を伏せていたのだが、その頭を上げることが辛い。からだ。
元々ハードワーカーだし、昔から高熱でも頓服薬飲んで着替えのTシャツさえあればチャキチャキ仕事してたタイプだけど、歳を重ねるに連れて昔みたいには流石に出来んくなってきたなぁ〜とは思っていたけれど、、、、
これだけ老いは人を変えるのか?
それとも、俺の症状が半端ないのか?
このままでは明日の最終日がやばい。と動物的感性が働いた僕は申し訳ない気持ちと後ろめたい気持ちを両手に抱えて早退させてもらった。
やっぱり僕を待ち受けていたのは40.2度という発熱だった。
12/29
年内最終営業日。
解熱剤を飲んで大汗かいて、薬が切れると寒気に襲われ44度の風呂に長風呂して解熱剤。というシャトルランをかましながら12時間以上寝たにも関わらず、
次の日の朝の体調は何も変わっていなかった。。。
20年来の超お得意様のご予約を頂いていたが、迷った挙句、検査もまだしてなかったし(立てる状態でも無かったけど)事情をお話しし、店長に託す事に。
この自称ハードワーカー、そして経営者たるものが最終営業日に病欠を選択した時の覚悟というか気持ち。誰か分かってくれる人はいますか?
さておき、昨日からずっと続くシャトルラン(ロキソニン→発汗→束の間の生きた心地→寒気→熱湯風呂)のルーティンを重ねながら、後ろめたさに何回も開く予約表。
お年玉という名の感謝報奨金だけは渡したい。。。と思い(事前準備しといてほんと助かった)
一人一人、封筒に入れつつ一筆を添えた。
休んだくせに最後だけ行って、かすれた声でリーダーシップを振る舞われても聞く耳持ってもらえないかな?と思ったり、
いや、でも感謝だけでも伝えたいなーと思ったり、
いや、相手の反応を気にしている場合じゃ無い。
どんな会社にしたいのか?ではどうするか?じゃん。
と働かない頭を働かせていたら、店長からラインが入った。(エスパーなの?)
なるほど。。
代弁する方法もアリか。
あ、でもまずはどう伝えるか?よりも何を伝えるか。だよな。
んでも、これ代読スタイルなのか、伝えて欲しい『事』だけ伝えてあとは任せるのか?で全然違ってくるよね?
みたいなかんじで
高熱続きで半分溶けそうな脳みそにも関わらずADHDらしさも相変わらずだった。
結果的に、代読スタイルでお願いする事にして
お店に顔を出し、引き攣る顔に鞭を打って一人一人しゃがれた声でお礼だけを伝え、必要最低限の雑務だけこなしサロンを後にした。
ちょっと書くのが面倒になってきてしまったので、後半はさらに簡潔に綴ろうと思う。
結論 俺はやはりインフルでもコロナでもなく扁桃炎がいつだってライバル。ということ
そして、学んだことはちゃんと自分にあった抗生物質じゃないといけない。
抗生物質は5日以上飲み続けないと、すぐ繰り返す。太陽のように
↑上記を気付かせてくれた敗因(厄年)は年末年始だったこと。
休日診療や夜間診療は3日分しか薬を出してくれない。
そしてかかりつけ医じゃないので、お医者さんのセンスに左右されるということだ。
例えば最近では解熱剤は『カロナール』の処方がベターだと思う。それはなぜ?
副作用が少ないからだ。でも、俺はロキソニンに救われたシーンにも今回出会う。これは後述します。
美容師で言うところの、トーンダウンのオーダーで、でも来月、また明るくしたくなるかも!と言われた時にアンダーやブラウン量を考えれるスキルとセンスみたいなもんだ。
1回目の診療でも検査をされ(高熱だと仕方ないのは分かるが、俺に限っては前例が無いのでやめて欲しい)もちろん陰性。
出された抗生剤が結論から言うと『ナイストライ』なやつだった。。。。
12/30
冬休み1日目
ひたすら寝るしか無い。
ナイストライな抗生物質とは何か?
扁桃炎に出される抗生物質には
⚫︎ペニシリン系
⚫︎セフェム系
の2種類があって、僕がいつも通常貰うのはセフェム系のフロモックスって奴とは長年のマブダチなのだが
今回出されたのは調べてみるとペニシリン系だった。
昔、行きつけの内科が休みでたまたま違うところに行った時に出されたのもペニシリン系で効かなかった悪い記憶が蘇った。
ま、悪い記憶が蘇ったのは現実となるので
やはり、『思考は現実化』するんだとおもう。
僕はこの一年『変えられるのは自分と未来だけ』ということを学んでいたので、ペニシリンというバンドが流行った過去の現実もあることだし、俺のペニシリンも成功するだろうと信じてみる事に捉え方を変え年越しだけはポジティブに生きようと心に誓った
12/31
大晦日 やり残したことは残せない立場なので、
お店に行き、売上金やお札などを回収したり、氏神様に御礼参りに行き、年越しの準備をする。
カロナール&ペニシリン→発汗→寒気のエンドレスシャトルランはもうお手のものだった。
お魚市場で目利きし手に入れた大間のマグロを漬けにしてみたり、スタッフが届けてくれた岐阜で有名な『ひやてん』の蕎麦。ちゃとらさんの御節。
満を辞した年越しディナーもとにかく喉を通らない😌
1/1
HAPPY NEW YEAR
5時起きでいつもの場所へ
年明け早々にして一年で最大の大仕事を終えた安堵からか、やっぱりペニシリンの頼りなさが気になり始めていた。
一年の計は元旦にあり
と、元旦は一年間のプランニングに充てる大人になろうと心に決めていたのに、なんせ起き上がっていられない。この頃には左の首のリンパがパンパンで歯まで痛くなっていたし、薬が切れると左のこめかみの奥がかち割れそうな偏頭痛のような痛みが走る。流石に自分で自分が怖くなっていた。
1/2
どうにもこうにもならない。
何も手に付かない。
お粥も喉を通るのが辛い。
メロンを上顎と舌で潰して食べるくらいしか出来なかなっていた。
歯痛も頭痛も限界がきていた。
痛すぎて41歳の初老男子が歯が立たない現実に泣けてくるのだから
ここで俺はカロナールを疑ってみた。
この閃きは俺を救った。
ロキソニンに戻したところ歯痛と頭痛が7割改善された。
解熱ならどちらでも良いが、痛み止めにはロキソニン一択なんだと身を持って知った。
俺は今後、勝手にアンバサダーになっていくことを心に決めた。
ペニシリンももうすぐ切れるし、手持ちのロキソも品薄状態だったので、恐る恐る2度目の夜間診療を決意した。
19:40に行ったが受付されたのは20:30
受付NOは69
2時間以上は待つとのことだったので、22:30に再び来て車内で待つ事にした。
呼び出しの電話が鳴ったのは23:54だった。
待合でも40分待ち、再びインフルとコロナの検査をされ、結果が出るまで再び待たされ医者が違えど、毎回このくだり必要なの?
もちろん陰性だ。今回は経緯を説明し、フロモックスとロキソちゃんを指名させてもらった。
自宅に帰れたのは26:00を回っていた。
医療現場の皆様、お疲れ様です。
1/3
ありがとうフロモックス。
ありがとうロキソニン。
朝8:40からグランメゾンパリを観てきた。
この五日間で唯一のオフイベントが映画になってしまったが、それに相応しいくらい良い映画だった。
鮨もいいが、フレンチに行きたくなった。
この激闘の七日間を讃え、誰かご馳走して欲しい。
痛くて泣いた時は頭が狂いそうだった。
この経験は死を意識させてくれた。
何が原因だったのか?分からないが、体力オバケもオバケでは無い。という事だろう。
語弊を恐れずに言えば
なんならインフルの方が早く治ったし楽だったかもな?とも思っている
今年は色々な分野で目標を設定して、バランスよく幸せになっていきたい。
では