贈る想い、心の花
お読みいただきありがとうございます。
ユティルと申します。
この記事はライブの出演祝に贈るフラワースタンド(以下略:フラスタ)を何度か企画させていただいたことを含め、今までの経験を通して自分なりの好きなコンテンツへの向き合い方をまとめた記事になります。
稚拙な文ではありますが、最後までお読みいただけると嬉しいです。
※この記事には個人の主観による主義思想が含まれていますが、他人への強要を意図するものではありません。
好きなものに何を求めますか?
どう向き合っていきたいですか?
スキ?オシ?
近年、世間では好きなアイドルなどに対して"推し"という言葉が使われるようになりました。
これは様々なサイトを調べて回っても、
"他の人にすすめること。
また、人にすすめたいほど気に入っている人や物"
というような意味だと書かれています。
推しという言葉が使われる以前よりアイドルマスターなどでは"好きなアイドル"という言葉を置き換えた"担当"という言葉が使われてきましたが、流行以降は"担当"を使わず"推し"という表現をする方も見受けられるようになったと思います。
私はこの"推し"という言葉を耳にするようになって以降、ずっと心の何処かで引っかかるものがありました。
だから私は誰かにアイドルマスターミリオンライブ!(以下略:ミリオン)にて自称担当の百瀬莉緒(CV:山口立花子)さんのことを話したとき、
「〜つまり"推し"ってことね」
と言われても、
「"推し"とは違う」
必ずそう答えていました。
時を遡り、2023年12月開催のアイドルマスターとラブライブの混合ライブ、"異次元フェス アイドルマスター★♡ラブライブ!歌合戦"。
出演者の中には百瀬莉緒さん、山口立花子さんもいらっしゃいました。
私はといえば諸般の事情で現地参加は見送り。ライブには参加していません。
このイベントであった、
"異次元フェス 公演のぼりデザインの募集"
これはのぼりのデザイン権を購入し、応募したデザインの応援のぼりが会場内に飾られるというものでした。
ミリオン10thツアーAct-1からであり、まだ経験は浅いもののミリオンのライブ開催の際には百瀬莉緒さん、山口立花子さん宛のフラスタを企画していたため、担当が出演されるライブならばその流れで担当ののぼりも企画することが企画者としての正しい流れであったのかもしれません。
もしかしたら中には百瀬莉緒さん、山口立花子さん宛ののぼり企画が出ることを期待されていた方もいらっしゃったのでしょうか。
しかし、私には全くと言っていいほど興味が湧きませんでした。
極端に冷たい言い方をしてしまえば、デザインをユーザーに投げているだけなのでは?
志願者は自分のデザインが形になるという結果win−winになりますが、捻くれてそう感じてしまっていた私には心動かされませんでした。
しかし、肝心なのはそんな点ではなく…
私は"担当を、好きなものを誰かに訴求するような行動"に心が向かわなかったのです。
何故だろう。
別にのぼりの目的が他のミリオン以外のアイマスプロデューサーや、アイマスを詳しく知らないラブライバーの方々への訴求に限ったことではありません。出演者様への応援やお祝いの意味も勿論あると思います。
ですが自分の中では花を、楽屋花やフラスタを贈るという行為とどこか意味の違いを感じていました。
私のこんな冷めた、ドライな考えは今に始まったことではありませんでした。
冷めた考え
もしかしたら、過去のnoteなどから私は熱心なファンだと誤解されている方もいたのかも知れません。
でも、私はとてもドライで斜に構えているんです。
グッズもあまり買いません。
ペンライトやタオルやTシャツ、キーホルダーなどのライブなどで実用性のあるものはともかく他のものにはそこまで興味が湧きません。
等身大パネルなんてもってのほか。1つも持っていません。
これは私がそういった趣味から離れた過去が影響しているのかもしれません。
昔からアニメやテレビゲームが好きで、学生時代はそういった類のものに傾倒していた日々を過ごしました。
時間があればアニメ、ゲーム、ライトノベル…
地方住みであり、昨今ほどSNSも普及していなかったためイベントなどに参加することはほとんどありませんでしたが、アルバイトで入ったお金はすぐにグッズに消えていきました。
しかし、社会人になるとそういった類いの趣味は次第に興味がなくなり、キャンプや運動、読書など趣味は全く別のものに移行していきました。
それも意図的にではなく自然に。
そうすると、残ったものは昔のグッズだけ。
処分したくてもしきれない、無駄だったとは認めたくないが今は全く必要ない。ただ懐かしいだけ。
そんなものだけが今も捨てられずに残り続けています。
「これが大人になるってことなのか?」
近年ではあまり言われなくなりましたが、そういったコンテンツは子供のもの、大人になったら卒業するもの。
そう聞いて育っていた私はなんとなくそう感じていました。
アニメもほとんど見なくなり、新しいゲームを買うこともなくなり…
ただ惰性と暇つぶしで続けていたMMORPGを人間関係に疲れて辞めた。そんなとき友人から誘われたのがアイドルマスターミリオンライブ!シアターデイズ(以下略:ミリシタ)でした。
2次元の文化からほとんど離れていた私は、興味が沸かないどころかそういったものに対して少し冷ややかにもなっていました。
オタクの後遺症とも言うべきか広告などで見かけたキャラクターに目を奪われてしまいつつも、それまでは踏み込む気も起きなかったはずなのに…
私は何故かミリオンの百瀬莉緒さんに惹かれていました。
おそらく大きな要因は曲が好みだったからでしょう。
その後も辞めることもなくミリシタは続いていきました。いつの間にかイベントランキングで競うようにまでなりつつも、どこか引け目のある日々。
「自分のやっていることはただのゲーム。それもソーシャルゲーム。ランキングなんか誇れるどころか人に話すようなことではない」と。
思い返せばフラスタ企画を始めたのも自分の意志なのか、状況に流されただけなのか自分自身わかりません。
綺麗な花の裏側
2024年2月開催、THE IDOLM@STER MILLION LIVE! 10thLIVE TOUR Act-4 MILLION THE@TER!!!!
ミリオンスターズ39人全員が集まるミリオンのプロデューサーが心から待ちわびたステージ!
シアターデイズから加わった2人も含めた39人が遂に1つのステージに!!
Act-3ライブ内の告知にてライブが発表されたその瞬間、会場である西日本総合展示場が震えていたのを今でも思い出します。
GREE版のミリオンライブからずっと追い続けてきた人、シアターデイズから参加した人、ミリアニから入ったばかりの人、道の途中で離れてしまった人さえも、皆がその発表に心躍らせたことでしょう。
それまでは先行抽選でチケットを握れていた10thツアーでしたが、"アソビプレミアム先行落ちは普通""SNSで募集をかけても余っているチケットが見つからない"と日本だけにとどまらず、海外の方も含めてどれだけの人数がこのライブに興味を持ったかを物語っています。
当然とも言うべきかライブを祝うべく、Act-3ライブ終了後からすぐにフラスタ企画が次々と出始め、X(旧Twitter)のタイムラインに流れていきました。
結果から言えばフラスタの数は非常に多くなり、Act-4の会場Kアリーナの特徴も相まって開場後すぐに入場しても開演までにギリギリ見れるかどうか、見れても列の中を流され続けマトモに写真も撮れないというほどの数でした。
Act-3から帰宅後、私も乗り遅れてしまわないようにとAct-3での"ある出来事"に震え、思い返しては涙しながらも徹夜で複数のお花屋さんをピックアップ、翌日の帰路の空き時間にひたすら電話やメールで予約確認の連絡をするくらいには迅速に、真剣に取り組んでいました。
日に日に増え続けるフラスタ企画。
企画するのが初めてという方も多く見られ、指南のDiscordサーバーもでき、中にはアイドルだけではなくプロデューサー、マスコットキャラクター宛のフラスタまで本当に多くのものが乱立し、まさにお祭り状態でした。
そんな周囲の中で私はといえば、
血が、熱が奪われ冷えていくようだった
自分の考えが天邪鬼で歪んでいることは重々理解しているつもりです。
それに滅多なことがなければSNSに不満を書くことはしたくありませんが、我慢できずにとある方にはDMで心内を嘆いてしまいました。
その時私はこう思ってしまっていたからです。
「どれだけの人がこれからもお花を贈るのだろう」と
その中には当然自分も含まれています。
これから先Act-4が伝説のステージと呼ばれても、もし自分が見せる側であれば自身で過去のライブを伝説だったと、最高だったと言ってこれからを諦めたくはない。過去を超えるためにも努力・工夫し続けたいと思うでしょう。
そんな中、応援やお祝いの形の一つである花の数が過去と比べて減ることを自分だったらどう感じるだろうと考えてしまいました。
もちろんフラスタやプレゼントは義務でもなければ、数がすべてでもありません。それぞれの事情もあります。
なにより、フラスタを出すには数万円〜、ものによっては数十万円と多くのお金がかかります。
企画された方に1度出した責任を取り続けろなんてとても言えた義理はありません。
そんなこと本当に言いたいわけでもありません。
ただ、自分がなんのためにフラスタを企画しているのか、好きという気持ちだけでは立ち向かえない"これから"について考える必要があると感じていました。
そして、企画のたびに頭を悩ませていた自分には他の方々の楽しそうにフラスタ企画に向き合う姿が羨ましく、おそらく嫉妬さえしていたのです。
初めての企画Act-1
私はミリオン10thツアーAct-1にアイドル担当一同のフラスタがなかったことをきっかけに企画に動き始めました。
これは私だけに限った話ではありません。他にもそういった企画者の方々はいらっしゃいます。
感染症の影響や会場の規定などによりミリオンライブの周年ライブでいえば7th、8th、9thとしばらくライブでのフラスタの受け入れ・展示はありませんでした。
その間にコンテンツから離れたり、流れが途絶えたためかそれまで企画されていた方々も辞めたりと、何人かのアイドルで担当一同のフラスタ企画は途絶え、かわりに何名かの方々が新たに立ち上がりました。
また、具体的にはわかりませんが感染症流行前と比べお花の値段は大きく変動したと聞いたことがあります。そういった点も足を遠ざけた要因なのかもしれません。
私も以前からフラスタを出してみたいな~とは考えていたものの、
きっといつか
なにかの記念に
個人で好きに
そんな程度に考えていたくらいだったのに。
話が転がり込んできたのはあまりにも唐突でした。
ただ、担当一同のフラスタがないことが我慢できずに動き出さざるをえなかった。
「他の人が動かないなら自分がやるしかないのか?」
これは好機だったのか、それとも損な役回りを買って出ただけだったのか。
本当なら深く考える必要はありません。好きに動けばいいだけ…
ただ弱虫な私には、好きの気持ちだけで動くには事が大き過ぎたのです。
昔から自分が人をまとめる柄でもなければ、そんな役が似合わないこともわかっていました。
目立つことが好きな訳でもありません。
企画を何度か経験した今だって、自分が企画するより他の誰かやイラストレーター様が直接企画したほうがSNSでより人に知れ渡り、多くの人に参加してもらえたり、もっと素敵なお花を贈れるのではないかと思っています。
企画立ち上げからAct-1開催まで1ヶ月を切り準備期間が厳しい中でもイラストを描いていただけたり、それまでFFではなかった多くの方々に企画に参加していただけたりと、私は本当に恵まれ支えられています。
恵まれていることはわかっているつもりなのに…
多くの方に参加していただいて、嬉しさとその反面プレッシャーに頭を抱えていました。
ツイプラを公開する時から緊張で身体は震えていましたが手を挙げてしまったが最後、途中で降りることはできません。
参加していただける方々へ少しでも報い、せめて失望されないデザインのフラスタを贈れるようにしたいと思っている。それでも今更になってその責任感に慄いてもいました。
もしかしたら私が動いたことで、他の誰かの企画に動こうとしていた芽を摘んでしまっただけなのかもしれない…そんなふうにも考えていました。
それでも初めてのことばかりの中、先人のブログを参考にしたり、先輩に助言をいただきながら、なんとかAct-1ライブにフラスタを贈ることができました。
無事展示されたフラスタを肉眼で確認した後、ライブの自分の席に着いて落ち着いた時には安堵からか涙がこぼれました。
そして、なんとか無事に企画を終えたものの、Act-1のその後もフラスタ企画は続くことになります。
成長と思い出のAct-3
Act-2では会場の規定からかフラスタの受け入れはなく企画はなかったものの、続くAct-3では再びフラスタの受け入れが発表されました。
前回を無事に終えられた後、もっと工夫して演者様や企画参加者に喜んでもらいたいと思ったこと。
そして、ずっと個人のことだけを考えていた自分が初めて同じ百瀬莉緒を好きな担当の人達の役に立てたかもしれないと感じたことから、フラスタ企画を続けてみたいと思いました。
前回より準備期間があったことや前回の経験、そして他の方達のフラスタにも刺激されたことから、インパクトのある一目見てわかるものを作りたいと考え、大きなイラストパネルの設置を前提にデザインを考えました。
前回より時間をかけて考えられたものの、準備中は「これでいいのか?」と悩みは消えず、実際に確認するまでは不安と緊張に怯え続ける日々でした。
それでも完成したフラスタは、いただいたイラストの素晴らしさ、色んな装飾も加え、サイズもとても大きくなり前回より確実にレベルアップしたものを贈ることができたと感じました。
そしてこれは全く意図していなかったことですが、フラスタに装飾として付けていたピアスを山口立花子さんが着けてライブに出演されるという完全に予想外の事が起こりました。
ライブ中に気づいた時には心臓が止まるような思いで、正直その後のライブ中はAct-4の発表などもありましたが気が気でなくてそれどころではありませんでした。
気づいたらのがMC中じゃなかったら倒れていたかもしれません。
フラスタを見ていただけただけでなく、私達の気持ちを汲んでいただけたこと。とても、とても嬉しかったです。
苦いAct-4とその後
これは他の方も考えていたことだと思われますが、Act-4にはそれに相応しい一段と豪華なフラスタを贈りたいと考えていました。
しかし、全てがそう順調にはいきませんでした。
ご支援いただたり、温かいお言葉をいただいた方々への失礼にあたりますので多くを語りませんが、個人的には非常に心残りのある悔しいフラスタ製作となってしまいました。
試験的にやってみたことも裏目に出て、描いていただいたイラストを殺してしまったとも感じていました。
自分の中の大きな後悔や、問題のあったフラスタ閲覧など、Act-4 Day1は心の底から純粋にライブに向き合って楽しむことができませんでした。
これは自分の中で非常に大きな心残りとなり、Act-4翌日の帰路から既に次のフラスタの案を考え始めていました。
もちろん次のライブがいつかもわからないし、百瀬莉緒さん、山口立花子さんが出演されるかどうかもわかりません。
それでも、次の機会には絶対に後悔したくない。
なにより、支援していただきお名前をお借りする企画参加者様方に恥じない、描いていただくイラストに相応しい、演者様にも感動してもらえるようなフラスタを自信をもって贈れるようになりたいと思いました。
まずコンセプトをいくつか列挙。それに合わせたアイドルのポーズ、衣装、配置を考え、使えそうなアイディアや装飾がないかお花屋さんのHPにある過去実績やSNSなどで先人たちが製作されたフラスタの写真を漁る日々を過ごしました。
そして発表された11thライブの出演者様の中には百瀬莉緒さん、山口立花子さんの名前もあり発表後すぐに動き始めました。
アイドルフラスタを依頼できそうな愛知のお花屋さんのいくつかにメールや電話で連絡。
その中でいただいた対応や返答内容などからお花屋さんを選びすぐに予約依頼をしました。
デザインやコンセプトの方向性はある程度最初から決まっていましたが、イラストの色や大きさなどに合わせてパネルサイズや配置、花の色や装飾の有無を何度か練り直し、フラスタ全体のデザイン最終稿が完成したのはお花屋さんへの郵送物の到着期限1週間前の10月22日でした。
返礼品のアクリルスタンドの製作や参加者様への連絡などもあり、とても忙しかった。
それから、自分の方でパネルの加工をしてからお花屋さんへ郵送。参加者一覧のパネル製作を仕上げて印刷所へ依頼。全ての製作準備が完了したのは10月29日とギリギリになりました。
これまでも必死にフラスタを考えてきましたが、今回はさらに輪をかけて手をかけ、考え抜いたつもりでした。
フラスタを実際に見るまで自信のなかった過去でしたが今回ようやく手応えを感じられそうな、そんな気がしていました。
お花屋さんから搬入時の写真をいただいた時には今までになかった自信が生まれ、初めてそんな気持ちでX(旧twitter)で搬入完了の報告ができました。
しかし、ミリオン11thライブは延期になりました。
11thと消えた花
11thライブ会場である名古屋への移動中、公式のライブ延期発表を見たときには全く実感がわきませんでした。
その後も残念だとか悲しいだとか、ましてや怒りだとかそんな感情はなく、
"企画どうしよう"
そればかり考えていました。
こんな経験は初めてだったため、
返金?製作済みの返礼品はどうしよう?現地で可能な限り渡す?全員郵送?そもそも名古屋にいる意味はあるのか?
考えなければいけないこと、やらなければいけないことが多すぎて真に受けられませんでした。
名古屋に着いてからもこれからを考えるばかりで、ライブが延期になったことがどこか他人事のようでした。
なんとかフラスタだけでも見れるんじゃないかな〜とわずかな希望を抱いてもいました。
しかし、翌朝SNSで見た会場の写真はもぬけの殻。
そこに昨日まであったはずのフラスタの姿はありませんでした。
会場に向かう足が重く、力が入らない
駅から歩いていくのもやっとだった
それでも現地で会った他のフラスタ企画者様と話していると少しだけ気が紛れて、フラスタが展示されるはずだった場所を見に行くことにしました。
でもその事実を実際に目にした時、吐きそうになるのを抑えるのがやっとで、涙を堪えられなかった。
どんな感情だったかは自分でもよく分かりませんが、胸に穴が空いてしまったような、それまでそこにあった光が消えたような、そんな思いでした。
ライブが延期になった以上、フラスタが展示できないことは仕方がありません。
誰かを責めたいわけでもありません。
もともと、運営のご厚意で受け入れ・展示していただいているフラスタをこちらの都合だけで展示いただける訳もありません。
それでも、理解はできても受け入れるのは苦しかった。
"自分"である意味
フラスタ企画に向き合う度、どうしても思うこと、考えてしまうことがあります。
それは、
"私である意味は、必要はあるのか?"ということ。
応援やお祝いの気持ちを形にして贈るフラスタですが、大体のアイドルでは同じ方が続けて担当一同のフラスタを企画し、贈っています。
しかし私はSNSでも名が知れているわけでもないし、ミリシタでも有名といったわけでもない。
GREEからではなくミリシタからでありコンテンツに途中参加したため、ミリオンの古参でもない。
周りには山口立花子さんのイベントがあれば必ず参加する人もいるのに、ほとんど参加できていない自分がどうしてフラスタを企画しているんだろうか。
自分でも不思議に思ってしまいます。
そして、不安な感情を加速させる絶対に逃れられない"数字"
企画の参加人数、いいねやリポストの数。
他の方の企画と比べ、私の企画は人数が少ないような…
そんな時思ってしまうのは、
「"私だから"なのか」「"私のせい"なのか」ということ。
あまり大々的に言うべきことではありませんが、アイドルによって担当プロデューサーの母数に差異があることは理解しています。
それでも、
「私の信用がないから参加していただけないのではないか」
「私のセンスがないから支援したくないのではないか」という考えが頭を離れません。
現状すべての企画で多くの方々からのご参加、多額のご支援をいただいているのに非常に贅沢な悩みだと思います。
それでも苦悩から逃れることはできないのです。
人数が多くなればその分連絡や企画管理は大変になりますし、予算を活かしたクオリティを求められ、より責任を感じるでしょう。
逆に、少ない人数ではどうしても予算から規模やデザインに幅を出すことが難しくなったり、やりたいように動けなくなります。そして、企画者負担も大きくなります。
皆それぞれの悩みがあると思います。
それでも、他のアイドルのフラスタと一緒に並べられた際、自分の担当のフラスタが決して寂しく見えないように、可愛く、美しく、華やかに見えるよう、そして演者様に気持ちが伝わるようにと頑張って工夫しています。
企画を嫌々やっていて、逃げたいわけではありません。
今ではワクワクしながらフラスタに向き合っている気持ちも大きくあります。
そもそも、企画者などと銘打ってパネル製作や連絡などはしているものの、私もただの1人の参加者の気持ちです。
私はみんなの気持ちの海に小さな一石を投じているだけであって、率いているつもりは毛頭ありません。
一同のフラスタはみんなの気持ちの結晶だと思っています。
なにより私には他の方達と一緒でなければ、支えがなければ向き合う力がありません。
ただ、私で大丈夫なのかと思うことがあります。
それは、私が色があまりわからないということ。
正確には私は先天色覚異常と診断されています。
なにも珍しいことではありません。ネットによれば、男性の5%程は先天色覚異常だそうです。
検査したのはずっと昔のためうろ覚えですが、石原色覚検査では全て引っかかり、色相配列検査ではどう並べ替えていいか分からなかったというような記憶があります。
世界がモノクロに見えているわけでもありません。
青と紫などのいくつかの近しい色が見分けがつかないことがあるくらいです。
昔から絵を描くことが好きでした。
ただ、時には色が変だと指摘され気になることもありました。
しかし、恩師から言われた
「他の人と違って全ての色は正常に見えていないかもしれない、でもそのかわりに他の色がより綺麗に見えているはずだ」
という根拠もない何気ない一言が私の心に響き、それからはコンプレックスなどにも感じていません。
ただ怖いのが色がわからないということにより、配色などの感覚がズレているかもしれないということ。
だから私はフラスタのパネルなどを製作する際、逐一どこかから色をスポイトツールで拾ってきたり、知人に色を確認してもらいながら作業しています。
きっと私が辞めても他にも莉緒の担当一同のフラスタ企画を立ててくれる人はいます。もっと適任な方もいるでしょう。
それでも、こんな私でも役に立てる機会があるのならそれに応えたい。
そして可能性を探ってみたい。
自分だけの好きの表現があるって、自分だけにしかできないことがあるかもしれないって不安に負けずに思い続けたい。
だから、これからも皆様の気持ちを無下にしないように、私にそのチャンスがあるのなら可能な限りフラスタ企画に全力で取り組んでいけたら良いなと思っています。
好きなものと求めるもの
ずっと疑問に思っていました。
ミリシタを始めて、ミリオンを知ってからかれこれ7年にもなりますが、私は"何"が好きで続けているんだろうと。
私はSNSでも、オフの場でも担当の好きなところや、ここが良い!好き!など担当についてあまり詳しく話したことがないと思います。
担当への要望もあまり浮かんできません。
こんな役やってほしい!こんな衣装着てほしい!こんな歌を歌ってほしい!などがあまりないんです。
(担当になったきっかけのWHY?をライブで聴きたいというのは除きます)
ミリシタのモチベーションもそこまで左右されません。
イベントやガシャが来たらできる限りやる。それだけ。
別に自分から言うものでもないと考えていたんですが、あまりにないと自分でも疑問に思ってきてしまいます。
本当に好きなのか?
私が望むもの、求めているものは何なのか?と
自分が好きなものに求めているものがどこか他の人とズレているのかもしれない違和感を感じていました。
でも、ずっと考えているうちに一つの答えにたどり着いた気がしました。
これは「信仰」に近いのかもしれないと。
別に崇拝していたり、拝んだりしているわけではありません。
宗教学や哲学を専攻したり勉強したわけではありませんし、趣味でそういった類の本を読む程度の知識です。
私の中の信仰というものの考え方には、昔プレイしたとあるゲームのキャラクターのセリフが根底にあります。
「信仰は外に求めるものではなく、内に芽生えさせるもの」
そう考えるとなんとなく合点がいきました。
好きなものが"ある"だけで嬉しいんだ
好きなものを"想える"だけで十分なんだと
そして既に十二分に多くのものをもらっていると感じています。
未来に期待して日々を過ごせること
興奮、感動してきた過去の経験、記憶
それを共有できる仲間
だから、他人に好きなものを強く勧めたりはしません。
それは自分の中の理想も、他者への要求も加速させてしまう気がするから。
なにより私は、行き過ぎた主義や思想、増えすぎた人数は争いを生むと考えています。
もし自分の好きなコンテンツの人が増え続けていったとしたら、近かったそれがどこか遠くへ離れていくように感じたり、激化する競争や頻発するいざこざに嫌気が差して離れていってしまうかもしれません。
だからこの先、自分の望むこと、したいことの終着点が
"より多くの人に知ってもらうこと、魅力を伝えること"ではないと思いました。
おそらく私が望むのは、
楽しいと思える時間が続くこと
そう思える機会を増やすこと
これは私以外の人も含めて。
もちろん途中でコンテンツから離れていく人もいますから、新しい人が入ってくることは大切です。
それでも、素晴らしいものは訴求せずとも自然と伝わり、そこに人が集まるものだと私は考えています。
現に私がそうでした。
だから本当は応援広告にもそこまで熱心ではありません。
それどころかコンテンツファン以外の方、特に2次元コンテンツに興味のない方々が迷惑に感じてしまわないかとさえ思っています。
今後応援広告など一般の場での展示物の波が広がり、より多くのコンテンツ、より多くの人が関わるようになれば、それに合わせて必然的に問題が発生しかねないと考えているからです。
"でらます"の美術館に意見があったように、興味のない方からご理解をいただくことは本当に難しい。
自分達からすれば普通と感じることでも、それ以外の方から見たらまるで印象が違うということは自分達ではわからないものです。
だから同じ趣味の人が集まり気分が高まる中でも盲目にならず時に冷静に、客観的に考えることは大切です。
ただ、これもただの1個人である私の考えに過ぎません。
だからなにも否定はしません。
むしろ、同じ好きな物を持つ人がそれをやりたいなら応援したい、手伝いたい。
フラスタも同じです。
だから私はフラスタを"みんな"で出したいのです。
好きなもので変わっていくということ
"想い"を伝えること、"想い"を受け取ること。
果たして、自分にどれだけできているというのか。
もし全てを受け止めることができているのなら、美しいと思える歌や感動できる物語があるというのになぜこの心は弱く、醜く、人に優しくできず、たった1つの想いを貫くことが難しいのか。
本当に好きだと心から思えるなら、その好きな歌の歌詞のように、好きな登場人物のように自分も変わっていけるはず。
受け取れるもの、感じられるものの大きさは決して絶対じゃない。
ほんの小さなライブでも自分の中では最高のライブだと記憶に残り続けたり、誰かのほんの一言が自分の中に残り続けたりします。
だからもっと多くのことを感じたい、分かち合いたい。
そのために大事なのは数字や結果などではなく、自分という存在が生をもって興味のあることにどう向き合うかという熱意、そして行動そのもの。
フラスタや創作活動など、もう既に行動している方。
私ごときが言うのもおこがましいことですが、どうかその足を止めないでください。
技術の進歩、変化する時代。SNSに映る他人の輝き。
時には予期せぬ不可抗力に嫌になることもあるでしょう。
それでも今は多くの人に伝わらずとも、あなたの意思、努力の軌跡はきっと誰かの記憶、誰かへの記録となって残ります。
それが続く他の誰かのきっかけに、指標に、そして支えになります。
まだ動き出したばかりの方。
一緒に"一歩先"へ踏み出してみませんか?
自分だけで楽しむことの一歩先、誰かと楽しさを共有すること、他人と競い合い高め合うこと。
そしてさらにその先の、好きなもののため、人達のために行動するということ。
することはなんだって良い。
頑張ろうとする他の誰かを手伝うこと、背中を押してあげること。
人との接し方や服装やTPO、他人の迷惑にならないように気をつけること。
好きなものを自分なりの方法で表現して伝えること。
プラスになることならなんだって。
だって、〜のファンはマナーや品が良いと、熱意があると言われたら自分だって嬉しいでしょう?
もちろんコンテンツの楽しみ方、向き合い方は人それぞれです。
でも、好きなもののために変わっていくこと。
きっと悪くない。
慣れないことに戸惑うこともあります。
でも好きなもののために行動すること、変わること。
きっと間違ってない。
きっといつか振り返った時に好きなものに向き合ってきた自分を好きになれたなら、本当の意味で"これ"が好きで良かったって思えるはずだから。