危機はなぜ危機なのか。そして、私たちにどんな人生の意味を与えているのか。
危機は、なぜ危機なのでしょうか?
いろんな解釈があるかもしれませんが、私が思いますに、危機は重層化して押し寄せるので、危機なのです。
危機は、一つずつ、順番には、やってきてくれません。
むしろ、危機は、いくつも同時に私たち一人一人に折り重なってきます。
つまり、同時多発で、重層的かつ一気に容赦なく来るので、私たち人間は茫然自失となってしまいます。
ですので、広くご存知の通り、危機管理のイロハですが、先手先手で情報を国内外に取りに行って、矮小化せず、楽観論にすがらず、悪い話も含めて透明に共有するのが、不可欠なのです。
私たち人間は弱い存在です。
もし矮小化してしまい、危機を一つ一つ順番に処理しようと願っても、同時多発で多方向から襲ってくると、ひとたまりもないのです。
そのとき、従来からの楽観論にすがっていて、「想定外だった。想定外のことには動けない」となって不要な犠牲を増やす方が、責任重大なのです。
そして、新型コロナを第一の危機としますと、少なくとも第四の危機、もしかすると第五の危機まで私たちは想定をしておく必要を感じます。
第一の危機:新型コロナ
第二の危機:大恐慌
第三の危機:地震や台風襲来という自然災害
第四の危機:風評被害や人種差別
第五の危機:新型コロナに続く新種のパンデミック
第二の危機では金融危機、行政破綻、物不足等へ至ります。
行政破綻では、例えばゴミ回収が相当削減されるなど身近な生活課題になると思われます。
すでにアメリカでは顕著になっていますが、今後の日本でも空前の失業率と覚悟します。
食料自給率が日本は低く、家庭菜園やベランダ菜園をできる限り始めた方がいいかもしれません。例えば琉球芋(ヤマトでいう、さつまいも)は江戸の飢饉を救いました。
第三の危機では、新型コロナなのに豪雨や震災で避難所暮らしとなり、そこで雑魚寝して不必要な濃厚接触で感染拡大というリスクが今の日本では続いています。
各地避難所にスフィア基準を徹底し、極力各被災者の距離やプライバシーを確立するのが不可欠です。
第四の危機では、風評被害の罪深さの認識が私たちは不足しすぎています。
例えば、2011年の東日本大震災に伴い東京電力福島第一原子力発電所で事故の発生以降、福島県への風評被害が国内外から長年続いています。
風評被害は、形を変えた経済制裁になるのです。
震災で被災したのに上乗せして風評被害という経済制裁を受け続ける、という理不尽極まりない暮らしに追い込まれる悲劇を、福島県民の方々は多かれ少なかれ体験されています。
ですが、新型コロナでは東洋人への差別が欧米では顕在化しています。日本国内でも中国差別の発言が見られます。いずれも風評被害の温床になります。
第五の危機では、もし人類が新型コロナを数年かけて収束させても、それで終わりにならないという認識が必要と感じます。
下記の解説動画のように、世界で森林伐採が広がり、すみかを失った野生動物が人里に出てきやすく、人間との接触が増え、新種のパンデミックが起こりやすくなっています。
しかも、熱帯雨林に医薬品の素材(遺伝資源)を求める製薬会社も多く、森林伐採は私たち人類の首を絞めるばかりです。
「なんでこんなに苦難が重層化して押し寄せるのか。社会や地球から私たちは嫌われているのか。バブル前の余裕ある日本がよかった」と、ことに若い方々は思われるかもしれません。私も正直そう思うこともありました。
ですが、詳細は改めますが、介護ノイローゼから私は自死を今年の1月から3月頭にかけて真剣に考え続け、死の淵が見える、落ちきるところまで落ちていました。「49年。短いようで長い人生だった」と思いました。
それを幸い乗り越えられて、今にして思いますのは、空前の危機に遭遇していることも、私たち一人一人に重要な人生の意味があるのでは。
例えば、今10代20代の方々は、この危機を体験し、乗り越えて、空前にたくましくなって、新しい社会を創ってほしい、という意味と思います。
今49歳の私で申しますと、ちょうど若者と高齢者の間の世代ですので、両方の気持ちがわかる立ち位置と視点で、危機を乗り越えるために貢献せよとの意味ではと思います。
確かに今後、上記のように第一から第四、さらに第五の危機の危機が数年ないしそれ以上で私たちを襲う覚悟が必要と感じます。
ですが、それを乗り越えた後、たとえ後遺症が社会に大きく残っても、日々安心でき、思いっきり仕事や学問や遊びができる、とても素晴らしい未来が待っているのではと思います。
海外ツイートで最近よく見る #stayhome は、#引きこもれ 。
これまで引きこもりをなさってきた方々は、時代の先がけだったと、今回実感しています。
そして、自宅勤務や、もしも不幸に失業する等で、自分の時間が増える方も多いかもしれません。
今回を、例えば数年の時間が必要な、内面の自分磨きをする機会とするのはいかがでしょうか?
例えば、#一人大学 #一人大学院 の気持ちで、オンライン講座を受講する。
外国語や、IT、会計、起業等の勉強にあてる。
音楽や絵画など文化的な活動に集中し、オンラインで公開も素敵と思います。
英語ではありますが、無料のオンライン大学もあります。
改めてご紹介の機会に、詳細をと思いますが、オクスフォード大学出版局は、Oxford3000やOxford5000等の英単語リストを無料で公開しています。
試してみたら、できましたので、Oxford IDは下記から無料で誰でも開設できるようです。
ID開設して、少しずつ自分のペースで、英語を腰を据えてオンラインで学び、日本国内に留まらない人生のチャンスを、世界に得に行く土台作りを数年かけてやるのもいいかもしれません。
第二次世界大戦の初期の段階で、例えば1941年の大西洋憲章が発表されたように、戦後処理について英米等の連合国は先手先手で構想を始めていました。
「まだそれどころではない」ではなく、この危機の後の社会の姿はどうなっているのか、誰しもが落ち着いて立ち止まって、先手先手で長期ビジョンを構想することの大切さを感じます。