どうしてこうなった・・・。
#戸倉麻帆 様,
時々吐き出さないと気持ちが増すばかりで危ない方向へ行く可能性が有るので書き始めました。
どうしてこんなに逢いたいと思うようになった原因から書き始めます。
2年連続で入院し手術を受けた事、体力に限界が見えた事。
癌かも知れないから検査しようと医師に言われた事。
脳梗塞は大事には至らず、大きな障害は残らなかったけど軽度障害者になった事。
双極性障害になり、それまでのような生活を送る事が難しくなった事。
そんな中、入院中に考える時間は沢山あり、長生きは出来ないだろうなと思うようになりました。
短い命なら生きた証を残したくなり、子供の頃からの記憶をたどり始めました。
記憶として残っていた子供の私は5,6歳が最初でした。それ以前の記憶は殆ど無い。
小学生になり、直ぐに貴女に辿り着きました、初恋でした。
その後の人生はショッキングな引越し、田舎での生活、一番楽しかったであろう時期を
不慣れな静岡で過ごし、東京に戻るまでの私は別人だったように思えました。
転校は大変でした。不慣れな土地、方言があり、皆と仲良くなるには全て周りに合わせ、
る必要が有りました。
中学3年になり、高校からは東京へ戻る事が決まった時はやっと自分に戻れるとおもったものです。
東京へ戻ってからはバイトをし、お金をためて船橋までこっそり一人で何回も通っていました。
家の周りはすっかり様変わりしていて最初は道を間違えたと思ってしまう程でした。
ニチレイの社宅も無くなっており、麻帆ちゃんを探す事は既にこの時から始まっていたのかもしれません。
初恋の貴女に逢えれば、私が船橋に存在していた事の証になると思ったから通いました。
まさかあんな形で簡単に再開できるとは思っても居ませんでした。
その理由は、私の両親は船橋から静岡まで逃げるように引っ越したにもかかわらず、10年後私の気持ちを察してか、麻帆ちゃんのお母様と連絡を取ったからです。
私はその時運命の悪戯と感じ、喜んで逢いに行きました。
ここから先は麻帆ちゃんの知っての通りです。
今更何をと思われるでしょうが、私が生きていた証を貴女に求めていたのです。
今回の麻帆ちゃん探しは頼りだった母も亡くなり、実家の電話番号すらわからず、
かなり難しい事は分かっていました。
それでも、貴女に逢いたい、昔の事を謝罪したいし、貴女があの後どのような人生を歩んできたか知りたい。
35年前の再会の時、私を好意的に思っていてくれていたのか?知りたい。
あの時貴女を手放してしまった事を謝りたい。
もっと沢山話をしたかった。
今こうしている事が悔しくてたまらない。
本橋 豊