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ボーイング777のここがカッコいい

「777」

この数字を見た時、皆様は何を思い浮かべますでしょうか?広告などでもよく見る数字かと思いますが、我々飛行機ファンはこの数字を見た時、ある1機の飛行機を思い浮かべると思います。

今回はボーイング式ジェット旅客機の「No.7」
「ボーイング777」の歴史や魅力についてお話したいとおもいます。

数ある動画の中からこの動画をご視聴頂き、誠にありがとうございます。ぜひ最後までお楽しみください。

ボーイング777

アメリカのボーイング社が開発した大型双発ジェット旅客機です。双発機でありながら大型4発機ボーイング747の後継機にも位置付けられ、その役割にふさわしい高いキャパシティと航続性能、そして安全性を誇るフラッグシップ・モデルです。

初期モデルの-200、胴体延長型の-300の2つのサイズ・バリエーションがあり、航続距離延長型のERタイプと、そのERタイプの航続距離をさらに延長させたLRタイプがあります。また、高い輸送力を活かした貨物型のフレイタータイプも活躍しています。さらに、現在は777に787の技術を流用した最新モデル「777X」の開発が進んでいます。

外見的な特徴は、先端を切り落としたかのように見える直角的なおしりと、3対3の6輪からなる大型ランディング・ギアです。

初飛行は1994年。翌年95年に初期モデルの777-200がローンチカスタマ―のユナイテッド航空に導入されました。

日本ではANAが1995年、JALが96年、そしてJASが97年に導入。また、日本は政府専用機として777-300ERを運用しており、航空自衛隊の所属機として今も活躍中です。

ではここからは、ボーイング777の開発が始まった1980年代の世界情勢についてお話ししていきます。

開発時の世界史

時は1980年代。
1度は緊張緩和(デタント)を迎えた冷戦ですが、1978年にソ連がアフガニスタンに侵攻。また1980年にアメリカで対ソ連強硬派であったレーガン大統領が就任したことで再び緊張状態が高まり「新冷戦」と呼ばれる時代になりました。

1980年には、日本の航空業界をも巻き込んだ「イラン・イラク戦争」が勃発。石油輸出の要所となる川をめぐる領土問題などが原因となったこの戦争ですが、勃発から5年後の1985年にイラク側が「今から48時間後より、民間機を含め、イラン領空を飛行するすべての航空機を無差別攻撃する」と宣言しました。

この事態にあたり大使館より、イランに取り残された日本人の退避のため、当時の法律により出動できなかった自衛隊に代わってJALに救援機派遣の要請がありました。JALもボーイング747をスタンバイさせていましたが、様々な理由から外務省が断念しました。

その後、トルコの首相が派遣したターキッシュ・エアラインのDC10が救援にかけつけ、自国民よりも優先して日本人を救出。タイムリミットまであと1時間のタイミングでイランを脱出しました。これは1890年にオスマン帝国(現在のトルコ)の軍艦「エルトゥールル号」が和歌山県沖で遭難した際に日本人が救助に尽力したことへの「恩義」だと言われています。これは日本でも大きく報道され、話題となりました。

この「イラン・イラク戦争」にはアメリカも参戦。この時期からアメリカは中東への介入を深めていきますが、武力行使や経済制裁などの中東政策に対してイスラム主義勢力の反感が増幅。これがのちの2001年に、ハイジャックした旅客機を兵器として用いた史上最悪のテロ「アメリカ同時多発テロ事件」へと至ってしまうのでした。

1980年初頭からソ連は最高指導者が相次ぎに変わり、アフガン侵攻の泥沼化や86年に発生した「チェルノブイリ原子力発電所事故」などよって国力が低下していきます。

1985年、ソ連の指導者となったゴルバチョフが大胆な改革(ペレストロイカ)によって米ソの緊張緩和を推進。そして1989年、東ヨーロッパ諸国の共産党政権が次々に倒され民主化する「東欧革命」が発端となり、ついに同年12月に行われた「マルタ会談」にて「冷戦終結」が宣言されたのでした。

一方で同年89年には、中国で民主化運動が鎮圧される「天安門事件」が発生。冷戦終結後も世界の対立構造は形を変えながら継続しています。

開発時の航空史

航空史においては、
82年にボーイング767
88年にエアバスA320
さらに89年には747シリーズの集大成ともいえる747-400が就航し、ハイテク旅客機の時代となっていきます。

日本では85年に「45/47体制」が廃止され、ANAがついに国際線定期便を就航。成田↔グアム線を皮切りに、ロサンゼルス線などの国際線を開設。82年から導入が始まったトリトンブルー塗装の飛行機が世界へと飛躍していきます。このトリトンブルー塗装、40年以上経った今もなお古さを感じない本当に素晴らしいデザインだと思いますね。

東亜国内航空も国際線に打って出ますが「東亜」という社名が各国に与える影響を懸念し88年に商号を「日本エアシステム」に変更しました。

JALは、81年に「エアライン・オブ・ザ・イヤー」の最優秀航空会社賞を受賞し、83年には旅客・貨物輸送実績の「世界一」を記録。日本のフラッグキャリアとしてその尾翼に大きく美しい鶴丸をかかげ、世界にその存在感を示し続けていました。

開発時の航空事故

一方で80年代は特異な原因による航空事故が数多く発生しました。

1981年2月
JAL350便(ダグラスDC-8)の機長が羽田空港への最終進入中に故意に逆噴射装置を作動させ羽田沖に墜落。多数の死傷者を出した「羽田沖墜落事故」が発生。

82年6月
ブリティッシュ・エアウェイズ9便(ボーイング747-200)が、夜間飛行中に噴火中の火山灰の中に入ってしまい全エンジンが停止する事故が発生。緊急着陸に成功したものの、乗客乗員263名が危機的状況に陥る深刻な事故となりました。

83年9月
ニューヨークから韓国のソウルに向かっていた大韓航空7便(ボーイング747-200)が、飛行中に航空路を逸脱してソ連の領空を侵犯。迎撃に上がったソ連軍の戦闘機に撃墜されるという「大韓航空機撃墜事件」が発生。

そして1985年8月12日。
日本航空123便墜落事故が発生。日本に大きな衝撃を与えました。

また、1988年には就航直後のA320のデモ飛行のさなかに、パイロットがA320の操縦システムをコントロールしきれなかったことで、大観衆の目の前で空港周辺の森へ墜落したエールフランス296便事故が発生。

ヒューマンエラー、旅客機の領空侵犯、自然災害、ハイテク化によるマンマシーン・インターフェイス問題。これらが要因となったすべての事故は教訓として、今現在でも活かされ続けています。

ボーイング777開発

そんな1980年代。
ボーイング社は82年にリリースしたボーイング767の販売に苦戦しながらも、737と747の最新モデルを発表して好調な売れ行きを得るなど依然として世界最大手の旅客機メーカーとして君臨していました。

特に747-400は、のちにライバルとなると予測されていた超音速機が商業的に失敗したためライバル機種が存在せず、旺盛な需要もあって世界中から愛され、747は名実ともに「国際線の王者」「空の女王」として歴史に名を刻んでいきます。

その一方でボーイング社は、躍進を続けるエアバス社との市場競争に備えていました。

特に、需要が低下していたDC10やL1011などの3発機の市場が注目され、82年にエアバス社がA330・A340の構想を発表。さらに85年にマクドネル・ダグラス社が、DC10の発展型であるMD11の構想を発表しました。

これらの機種に共通する「座席数300~400クラスの輸送力と経済性を併せ持つワイドボディ機」を持っていなかったボーイング社は、市場をみすみす渡すまいと新型機の開発計画を進めていきます。

当初、ボーイング社は767のコックピットや胴体をベースとした機体を構想していました。しかし大手エアラインでの市場調査を重ねるなかで、新鋭機747-400をさらに発展させた最新型コックピットの導入や、767の弱点と言われた胴体直径を拡張する案など様々な要求が取り入れられていきました。

そうして1990年。構想されていた新型機に「ボーイング777」の名が与えられ、正式に開発がスタートしたのでした。

777の開発において有名なのは「ワーキング・トゥギャザー」です。これは大手エアラインを中心に「ボーイング777にどんな機能や仕組みがあったらいいか?」を提案してもらう、というものでした。文字通り「いい飛行機作るために、みんなでトゥギャザーしようぜ!」という試みですね。開発者の視点からはなかなか発想できない、飛行機を運用している現場の声が数多く採用されていきました。

4発機である747に匹敵する輸送力を双発機である777で実現させるため、777には強力な新型ジェットエンジンが採用されました。とくに-300ER用に開発されたエンジンは、世界最大の推力を誇る民間機用ターボファン・エンジンとしてギネスに認定されるほどのモンスターエンジンです。

777はボーイング機で初めてフライ・バイ・ワイヤ操縦システムが採用されるなど最新技術も積極的に導入され、開発は順調に進んでいったのでした。

運航開始

1993年 A340就航
1994年 A330就航
そして95年。ボーイング777-200の初号機がユナイテッド航空に就航しました。2年後の97年には航続距離を2倍近く延長させた-200ERが就航。-300は99年に就航します。

特に「座席数450〜500クラスで高い航続距離を持つ双発機」である-300ERには競合機種がなく、もっとも多くの受注を獲得しました。777は双発機でありながらファーストクラスが導入されるなど、国際線の主力路線にも積極的に投入されていきました。

また2000年代の世界情勢の変化も、777にとって追い風となりました。

就航から6年後の2001年に「アメリカ同時多発テロ事件」が発生。世界の空が変わりました。同年アメリカがアフガニスタンへ侵攻。さらに2003年には「イラク戦争」が勃発するなど国際情勢が悪化。続く2004年頃からの中国の経済成長にともなう原油需要の急増。さらに2005年に発生した大型ハリケーン「カトリーナ」によりメキシコ湾岸の油田施設の被害を受けたことなどが重なり、2000年代に入ってから「原油価格の上昇」が続いたのでした。

そんな世界情勢により747の需要が低下していき、777は3発機のみならず「ボーイング747の後継機」となる位置付けをも確立していきます。

こうして高い輸送力と経済性、そして安全性を証明した777はエアラインにとって頼もしい飛行機となり、国内基幹路線や長距離国際線の主力機としての地位を確立。世紀を超えて、世界の空を駆け抜けたのでした。

ではここからは、私Yutakaが思うボーイング777のここがカッコいい!と思う魅力をご紹介いたします。

魅力①「無骨な機械美」

6輪の大型ランディング・ギアに、凛々しい顔つき、直角的なシルエットを持つ主翼や機尾、太く大きくたくましいボディ、そして737の胴体直径に匹敵する強力な大出力ジェットエンジン。この777の全体のデザインが織りなす「無骨な機械美」がとにかくカッコいいです。

6輪のランディング・ギアはA350-1000も採用しており、そちらはそちらで超カッコいいのですが、A350の「曲線的な美しさ」と777の「直角的な無骨さ」は、それぞれ違ったカッコ良さだと思いますね。

400名以上もの人命を乗せ、フルパワーを入れた大出力エンジンを轟かせ、轟音と共に大空へと駆けあがっていく777の雄姿を見るたびにこの飛行機がもつ「逞しさ」や「安心感」を感じるのです。

魅力②「着陸」

6輪のランディングギアを降ろして、大地を鷲掴むかのようにドシン!と舞い降りる777のダイナミックな着陸シーンが大好きです。フラップを下げた姿も相まって、風をつかみながら雄然と降りてくる大型の猛禽類のような力強さを感じます。

大きく太い胴体を6輪ギアで支えながらドシン!と着陸し、豪快な白煙を引きながら逆噴射をかける777の迫力は、747や350とも違う独特のカッコの良さです。空港の展望デッキで飛行機を見ていて「もう帰ろうかな」と思っても、777が最終進入してくるのを見るとついつい残ってしまいます。

魅力③「フォルム」

ロケットのような円錐型の機首、太い胴体、大型エンジンにシャープなエキゾースト・コーン、そして大型ランディング・ギア。このシルエット全体のバランスが最高にカッコいいです。20世紀の誕生したジェット旅客機の集大成のようなデザインが最高です。

同じ双発機であるA330やA350のシャープでスピード感のあるシルエットも大好きなのですが、777のドッシリと堂々としたシルエットが、私はたまらなく好きなのです。

「機械の無骨さ」と「旅客機の優しさ」と「命を預かる機械としての逞しさ」がブレンドされたデザインがとにかく好きです。

魅力④「新たなる王者」

世界情勢の変化の中で3・4発機の時代が終わり、ETOPS承認が進んだことで「世界中どの路線でも双発機による運航が可能」とまで言われるようになりました。そして原油価格の高騰もあり、747の時代が終わっていきます。

長距離国際線用の機材として競合機種であったエアバスA340に対しては、航続距離、経済性、巡航速度、整備効率などの点で777が優っていました。

こうして777は、747が背負っていた「国際線の王者」の座を継ぎ「新たなる王者」として空に君臨することになり、世界中のエアラインのフラッグシップとして世界の空を駆け抜けたのでした。

双発機として初めて、1つの時代の主力を担った。この歴史も777が最高にカッコいい魅力の1つだと思います。

魅力⑤「名称」

ボーイング777。トリプルセブン。
この字面、名前、語感がもうすでにカッコよくて好きです。やっぱり「ボーイング777」っていう名称って、単純に、めちゃくちゃカッコいいです。

「7〇7」というナンバリングで進んできたボーイング式旅客機において「777」はちょっとスペシャルな機材かと思いますが、その名にふさわしい実績を示しましたね。カッコいい名前と、その名にふさわしい堂々たる実績。カッコいいです。

魅力⑥「次世代へのバトン」

767が拓いた双発機の時代。そのバトンを継いで双発機の可能性を追求した777は、その高い安全性とETOPSを使った長距離運航により「世界中の長距離線は双発機で安全に運航できること」を世界に証明しました。

そして21世紀。次世代機ボーイング787とそのライバル機種であるエアバスA350が、高い性能と豊富なサイズバリエーションを持つ双発機として2020年代のエアラインの顔となります。

777は「人類の航空技術の高さ」を証明したのだと思いました。「双発機でも長距離線を担える」そうメーカーやユーザーが確信し、B787やA350が活躍する時代の礎を築いたのも、777の功績なのかと思っています。

一方、747-400の後継機として開発されたエアバスA380やボーイング747-8は受注が伸びず、やがては両機とも生産終了となりました。かつて安全性の象徴でもある4発のエンジンで世界を拓いてきた747の生産終了は、私的には本当に本当に寂しいニュースでしたが、アメリカが次期エアフォースワンとして747-8を採用し1号機が2027年に導入されるというニュースを聞き、前線から身を引いてなお747の安全性への信頼は健在であると感じ嬉しくなりましたね。ジャンボ最高。

魅力⑦「777X」

777ファミリーの最新型モデル「777X」

在来型の777とは大きく異なる特徴がある777Xですが、その1つは「ボーイング787のコックピットが流用されている」こと。787のコックピットはダークグレーを貴重としたカラーリングや曲線的なグレアシールド、ペデスタルなどなどデザインがとにかくカッコよく、個人的に「大好きなコックピット部門第一位」なのですが、これが777Xに流用されたと聞いたときは私Yutakaはそれはそれは喜びました。

そして個人的に最大の特徴は「可変翼」であること。777Xの全幅は71mあり、在来型よりも延長されています。主翼が長すぎると空港や駐機場での運用が制限されてしまうため、在来型と同じように運用できるよう翼端を可変させ、折り曲げることができるのです。

この可変機構は在来型で採用される予定だったのですが、ワーキング・トゥギャザーの中でエアラインが可変機構採用による重量増や整備コスト増加に難色を示したためオプション扱いとなり、そのオプションを採用するエアラインはありませんでしたが、777Xでは標準仕様となりました。

もう1度言います。
変形するのです。
変形とは男のロマン。変形こそが正義。美しさと力強さを併せ持った機体のシルエット、787のコックピット、そして変形機能をもった新世代の777。そりゃカッコいいでしょう。

そんな777Xですが、エンジンの開発遅延や新型コロナウイルス流行などが重なり導入が遅れています。ANAへの導入は2025年度になる予定ですが、この飛行機はYutakaの「超推し飛行機」になることがもう確定しているので、ANAにはなにがなんでも導入して頂きたいです。

頼むぞANA!!

最後に

ボーイング777就航からもうすぐ30年。
コロナ禍による2年間にわたる航空需要の激変もあり、長距離国際線はボーイング787とエアバスA350が主力を争う時代となりました。

2020年にはデルタ航空が777を全機退役させ、2023年にはJALが-200ERを全機退役させました。

しかし退役が進んでいるものの、ボーイング777は健在です。-300を筆頭にその高い輸送力と航続距離と安全性は、いまだに基幹路線や長距離線でエアラインを支えています。エアラインや乗務員から信頼され、双発機の時代を創り、747の座を継いだ国際線の王者として国と国をつなぎ、2000年代の世界の発展を支えた続けた777は、本当にカッコいいです。

今回はボーイング777の歴史や魅力を語ってまいりましたが、いかがでしたでしょうか。777を知り、この機体を愛してくださる方が一人でも増えてくださったら、本当に嬉しいです。

そしてこの動画を見てくださっている同志の皆様、俺は、私は777のここが好きだ!と思うポイントがあれば、ぜひともコメント欄で教えてください。

今後も、私が愛する飛行機の歴史や魅力を語ってまいりたいと思っています。この動画を楽しんでくださった方、また次の動画が見たいと思ってくださった方は、ぜひチャンネル登録をよろしくお願いいたします。

また次の動画でお会いいたしましょう。今回のご視聴、誠にありがとうございました。


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