進撃の巨人 完結編放送決定!作者さん天才だと思う考察 「ネタバレあり」 - 世界は残酷で美しい -
※「進撃の巨人」の重要なネタバレを含む記事です
続きが気になりすぎて原作で最後まで読みました。
4/3 進撃の巨人のアニメファイナルシーズンがおわり、2023年に完結編の放送決定の発表が行われました。毎週非常に楽しく観ていて、もう一年も待てない!ということでアニメ放送終了後すぐに原作33巻,34巻を買い残りのストーリーを楽しみました。
葛藤の描き方がうますぎる
「進撃の巨人」の物語は非常に惹きつけられるものでした。物語には重要な要素として「葛藤」が必要だと思っています。登場人物が葛藤を抱え最後にその葛藤にどんな答えをだすか?それかストーリーの進行を推し進めるからです。「進撃の巨人」の面白い理由に「葛藤」が大量にありその描き方が秀逸だという理由があると思います。
戦いたくないけど戦うしかない
総じて作中では「戦いけど戦うしかない」「殺したくないけど殺さなくてなならない」といった葛藤がたくさんでてきます。エレンは言わずもがな、とくに「ライナー」のエピソードがその中心を担っていると思います。ライナーはマーレの戦士で始祖の巨人を奪還するためにパラディ島に潜入します。その中でマルコに秘密を聞かれてしまったライナーはマルコを巨人に食べさせて殺害します。その頃から罪の意識に苛まれて「兵士」としての人格と「戦士」として人格が分裂します。あまりに強い「葛藤」がライナーの精神状態を追い詰めていきます。それによって、エレンに自分たちが壁を破った巨人であることを軽い形で吐露する衝撃シーンも生まれました。
マーレに帰ったあともライナーの葛藤は続き、パラディ島の連中は悪魔だと言いつつ彼らとの思い出話を家族に話します。さらには自殺未遂までしています。その後ライナーの「葛藤」は結局償いようのない罪をすこしでも償う形で行動に移されます。
他にも目立った葛藤について抜粋してみます。
「コニー」の葛藤
母親を人間に戻したいがファルコを殺さないといけない -> アルミンが自死しようとして思いとどまる
人類を救いたいが仲間を殺さないといけない
「お前らは仲間だよ!」と叫びながら調査兵団の仲間を銃殺する
「エレン」の葛藤
女型の巨人と巨大樹の森で戦闘中自分が巨人化するかどうか選択を迫られる。 -> 女型の巨人に親しい調査兵団を殺され巨人化する
パラディ島の人を救うため、人類の8割を殺さないといけない、自分は死ななければならない。 -> 人類の8割を殺し最後はミカサに殺される
「ミカサ」の葛藤
エレンのことが好きだが世界を救うためにエレンを殺さないといけない -> エレンを殺します。
「ライナー」「ベルトルト」「アニ」の葛藤
家族のためにパラディ島の人や出会った仲間たちを殺さないといけない -> 殺します。
「ガビ」の葛藤
パラディ島の人は悪魔だと教えられてたのに、同じ人間だった -> パラディ島の人と和解します。
自分のより大切な人を守るために、そのほかの大切な人を殺さなければいけない。そんな葛藤が観ている側の感情をぐわんぐわんと揺らし物語としてのおもしろさを引き出していると思います。他にもいろんな「葛藤」が山程あるので、それを考えながら観てみるとより面白くなるかもしれません。
逆転する立場
はじめは壁を壊してパラディ島の人たちを虐殺をしたアニ、ライナー、ベルトルトがとても悪いやつに見えます。物語が進むごとに主人公側だったはずのメンバーも三人と同じ様にマーレ側を襲い同じ立ってしまいます。そのときに特定の視点からみたときに悪い奴らも、相応の理由があって仕方なかったんだなと納得させてくる部分があります。そして「仕方ないなら人を殺してもいいのか?」と疑問が湧き上がり、じゃあそもそもなぜ殺し合いが起きてるのか、止める術はないのか。そういった疑問が湧いてきます。それはまさにキャラクター達の葛藤と同じでそれゆえ感情移入ができて作品としての魅力が増しています。そしてそれは現実社会の風刺にもなっているのでより感慨深いものになりました。
また「ハンジ」のエピソードで「役割は回ってくる」というセリフも立場は逆転することをうまく表現しています。
ハンジ
クーデーターする側からされる側
団長を託される側から託す側
マーレ
パラディ島を襲う側から襲われる側
ヴィランが魅力的であれあるほど物語は面白い
物語において欠かせないのが魅力的なヴィラン(悪役)だと考えます。よくあるつまらない展開として、ヴィランが「ただ悪いやつ」という理由で悪行を働き、主人公が「悪い奴め!」とそれをやっつける。という勧善懲悪な物語があります。
進撃の巨人では立場の逆転が起こることで勧善懲悪の型にハマらずヴィランの魅力は最高潮に達しまします。はじめ人類を救うヒーロー側のエレンが最後には人類を滅ぼすヴィランになります。エレンの思想は最初から一貫して「自分や仲間の自由を奪うものを駆逐する」というその一点でぶれてないのに、与えられた状況から世界の悪者になる。という展開は非常に秀逸でした。その伏線は最初からはられており、過去、現在、未来の記憶が時系列関係なくつながることでエレンがそうせざるを得ないという仕掛けは最高でした。エレンは最高のヒーローであり最高のヴィランだったと思います。
キャラクターの言動の理由について説得力がある
各キャラクターの言動への説得力がある作品だと思います。「物語の都合上で動かしたな」っていう箇所があまりないように思えます。その点で「フロック」のエピソードが印象的でした。一見してフロックは嫌われるように描かれていますが、その言動にはとても説得力があり、行動に納得ができます。獣の巨人を倒すためエルヴィン団長命令のもと、新兵は決死の特攻をしかけます。その中でフロックが唯一の生き残りとなります。いままで巨人と相対したことのない新兵のフロックがいきなり、死ぬために獣の巨人に特攻することを命令され、投石で周りの仲間が次々に死んでいく地獄を経験したフロックは、マーレや世界が如何に自分たちに対して残酷かを知ります。その後のイェーガー派として非道な手段で作戦を実施します。その様子はみていて気持ちのいいものではないですが、獣の巨人戦での唯一生き残った経験を鑑みるとそれぐらいしたって不思議ではないし、あの経験があるからこと、フロックなりの信念がありそれを全うしようとしているようにみえました。「外の世界は残酷で自分も相応の非道な手段で相対さなければいけない」そのような信念を感じ取れます。「世界を救うのは俺だ!」といいながら決死の覚悟で雷槍を船に発射するフロックの言動がそれを表現しています。彼も彼なりの信念でパラディ島の人々を守ろうとしていました。フロックは描かれ方が嫌われるように描かれていますが、実際にやってることはエレンと代わりありません。( ワインに骨髄液を混ぜたことを知った際に、シーっとする仕草など、嫌悪感がすごいので嫌われるのもわかります )
ご都合的に動かされてるようなフロックですが、考えてみるとしっかりとしたバックグラウンドを用意されていて、必要なときにキャラクターを動かしている構成になっているので、とても感心しました。各キャラクターがなぜそのような行動をしているのか、考えながらみてみるとより楽しめるかもしれません。
大人と子どもの関係性
大人が子どもに自分が都合の言いように思想を植え付け利用したいが、最終的には自分がただ利用しようとしていたことを後悔し、心の底では子どもを大事にしていること。それについて報いることというテーマがあるように思えました。
とくに「ガビ」にまつわるエピソードがそれを担っていると思いました。ガビはマーレに生まれたエルディア人で、迫害を受ける立場です。エルディア人は過去に重大な罪を犯し今の我々はそれを償わないといけない。そう教え育てられて来ました。ガビはそれを心から信じ、マーレの戦士になり待遇を上げることで家族を守りたいと考え、パラディ島の悪魔たちを殺し戦士になることを目標にしていました。実際にサシャを射殺しその意志を行動に移します。その後パラディ島で暮らすことになりますが、そこで出会ったサシャ家族と暮らすことで、パラディ島の人は悪魔ではなく同じ人間なんだと認識します。サシャの父親はガビがサシャを殺した犯人だとわかった上でガビを受け入れます。「森から出たと思っていたが、われわれはまだ森の中をぐるぐると回っている。この森からでないといけない」と表現し、子どもがとった行動は大人の責任であり、憎しみの連鎖を止めるには子ども世代にそれを持ちこないことだと言います。反対にサシャに命を救われたことのある「カヤ」はカビを殺そうとします。子どもは素直で事実をそのままに受け止めサシャを殺した憎むべき相手だと「ガビ」を認識します。サシャの父親はそんな「ガビ」を許します。ここに大人と子どもの役割の違いが表現されているように見えました。( アルミンやミカサ、ジャンもガビを憎むことはしませんでした。彼らは自分たちがしたことが、昔されたことだと理解しガビの気持ちを理解しています。だからことやられたらやり返すことをガビにはしなかったんだとおもいます。) その後「ガビ」が「カヤ」のピンチを救うことで「カヤ」もガビを認め許すことになります。ここでついに一人の憎しみの連鎖が終わります。子どもの世代でついに憎しみの連鎖が終わりました。
また迫害を実施していたマーレの元帥であるマガトも、最終的にガビや他のマーレ戦士たちや調査兵団に自分が間違っていたと謝り、自分の命と引き換えに次の世代へ世界の命運を託します。
他にも大人と子どもの構図は随所に出てきます。簡単にまとめてみますので、よかったら以下の関係性も一考してみると面白いかもしれません。
アニ、ライナーの親との関係
エレンとグリシャの関係
ジークとグリシャの関係
ジークとクサヴァーの関係
グリシャと父親との関係
マガトと戦士候補生の関係
キース教官と訓練生との関係
リヴァイとケニーの関係
激しい暴力描写にはどうしても惹きつけられる
強力に物語の魅力を牽引するのが激しい暴力的な描写があると思います。初回からエレンの母親が巨人に食べられるシーンは衝撃的で、その後も巨人と対峙したときの暴力描写はすごいものがありました。はじめのつかみとしてとても良くて、それゆえクーデター編?で巨人があまり出なくなった時から観なくなった人もいるのかなと想像しました。
生きてて何になる?
物語最終盤にジークが呈する疑問です。「人は生きてて何になる?べつに死んでもよくないかと」それに対してアルミンは「なんでもないときに、この時のために生まれてきたんだ」と感じる時があると答えます。ジークはその答えを聞いて、クサヴァーとキャッチボールをしていたときがそうだっと思い出します。結局難しく考えるのではなく、ただただ自分が「これが生まれてきた理由なんだ、この時のために生きてきたんだ」と感じる瞬間があるから生きている。とジークとアルミンは答えを出したように読み取れました。
難しい問題に対して作者ははっきりと答えを出していて、それが臭くなかったです。これまでにキャラクターへの感情移入のさせかたが上手でそれ故、その答えに納得してしまいました。
総じて最高のストーリーテーリング
「進撃の巨人」最高のストーリーだったと思います。「憎しみの連鎖」をここまで具体的に説得力をもって上質なエンタメに仕上げた作品はなかなかないと思います。とてもよい作品だと思いました。
その他にもまだまだ書きたいことはありますが、あまりに時間がかかってしまう、筆舌に尽くしがたいものがあるのでこの辺で終わりしようと思います。最後まで読んでいただきありがとうございました。そして 諫山創 先生おつかれさまでした。最高の物語をありがとうございました。