肉体言語
森下洋子が舞台上で「バレエとは爪の先にまで神経を研ぎ澄ます究極の肉体言語である」と言い放った事を昨日の事のように覚えている。百歳を越えてアルツハイマーに自我を溶かした舞踏家大野一雄はオートマティズムを肉体で表現していたように見えた。土方巽の係累を自認する田中泯の長いドキュメンタリーにも土を主体とした肉体の言語化を日々自問する田中の息吹、手触りがそこにあった。格闘家やボディビルダーではだめなんだ。舞踏家を撮りたいのだ。彼らの言語を抜き出してみたい。山脈のような筋肉の陰翳を、鍛え抜かれた肉体の放つ光を。カッコつけて妄想してんじゃねえ。ただ、撮りたいだけなんだ。モノクロームで。