サントリー&神奈川県における森林水文学研究
◆なんの研究をしていたか
日本では山地森林でどのような森林整備をすれば森から流出してくる河川水や地下水が変化するのか?ということテーマに研究を行っていた。
◆なぜそんな研究をするのか
○日本の山地の森林:林業の衰退
現在の日本では山は森林の緑に覆われているが、実は戦前から今に至るまで森林環境は刻々と変わっています。戦前は一般市民も薪を日常生活の中を使い、ほとんどの建物が木造であり、特に都市域の周辺に山はハゲ山であったと考えられている(「森林飽和 国土の変貌を考える」, 太田 猛彦, 2012)。古き良き時代は美しい里山や森林が広がっていたというのは現代人の「昔は環境がよかった」という固定概念からくる幻想である。震災や空襲などによる度重なる火災が、木造建築のための木材はさらに必要になり森林は伐採される森林の利用率が高まった。戦後の緑化政策などで盛んにスギやヒノキなどの苗が植えられ人工林が整備されるが、木材として利用できるようになるまでには、手入れをちゃんとして40~50年ほどの期間がかかる(林野庁)。その成長期に海外からの輸入木材に押されて林業が衰退し、森林は適切な管理されないまま放置されていた。
林業も農業と同じようなもので最初にの苗の時点では密度高く苗を植えてよく育たなかったものを間引き(間伐)していって大きな太いものを残して、成長したものというのがようやく商品になる。ヒノキだろうと小松菜だろうと同じ栽培である。その他、下刈りやつる切り、除伐など様々手入れをしてようやく木材となる。林業が衰退し管理(手入れ)されなくなった森林はかいわれ大根のように細く、建材として品質が悪い→売れない→手入れできないの悪循環にますます拍車が掛かかる。
○手入れ不足の森林における水流出の変化
手入れ不足で荒廃した森林でどのような水流出に影響があるかを下図に示した。立ち木の密度の高い森林はその葉っぱ(樹冠)で日光を遮ってしまい、林床(森林の地表面)に光が届かない状況になり下草が生えないという状況になる。林床がむき出しになることで、地表面の土壌は固く締まった状態となる。下草がある状態もしくは土壌がふかふかの状態であれば土壌の浸透能というのは非常に高いが、森林の土壌の堅く締まった状態では降った雨が土壌の浸透しきれなくなり、残りの雨はに地表流として流れる。浸透した地中水と地表流では、2つの現象として大きな違いがある。ひとつは、移動速度の違いで、地中水は遅く、地表流は速い。もうひとつは土壌を運ぶか運ばないかで、地中水は土壌を運ぶ力はないが、地表流は周りを削りながら流れる。
単純に考えると雨が降った際に地表流が多いほど、河川の増水が急激に起こり、多くの土砂が下流に流される。洪水や土砂崩れのリスクが上がってしまう。(詳しくは、サントリーもしくは神奈川県のWeb Siteへ)
と、ここまで話した内容というのは、数m四方程度の大きさのスケールでの調査や実験で明らかにされた現象をつなげると見えてくるストーリーである。しかし、実際に山地スケールで、下草がある管理された森林と、手入れ不足で硬く締められた土壌のミツミツの森林を比較すると、どうなるかというのはたくさん調査が行われているが、明確な答えはわかっていない。スケールを大きくすると、水の動きに影響を及ぼす要因(ファクター)が他にあったりして、我々が考えたストーリー(結果)にならないなんてことは、自然を相手に研究をしていると日常茶飯事である。だから研究するのだ。
◆どうやって観測するか
○対照流域法
森林整備が山の水循環に与える影響を明らかにする調査手法として、「対照流域法」を使っていた。下のイラストは、対照流域法を説明する際に流域という言葉がピンと来ていないのか、なかなか一般の方に分かってもらえなかった経験から流域をビーカーに変えてアート化したものである。
対照流域法は同じような条件(面積、地質、植生)の隣り合った2つの流域(集水域)から出てくる河川水の量を時系列(例えば1時間ごと1日ごと)で測って、片方の流域はそのままに、片方に森林整備などインパクトを与えて、河川流量がどのように変わるかを比較する調査である。これをビフォーアフターで比較するのが一般的で、何年も長期間にわたって調査・研究を続けるのはすごーく大変です。なぜ大変な思いをして2つの流域を比較するのかというと、自然環境は一様ではないから。雨は二度と同じように降らない。同じ降水量だしても、ずーとしとしとと降り続けたか、3分でドバっと降ったのかもしれない。雨が最初に接触する木々や地表面(土壌)の乾燥状態も、前日に雨が降っていた日と、1か月雨がなかった日では異なる。そのため、同じような2流域で同時期に測ることで、一様でない自然条件を「なるべく揃える」ことを目指した涙ぐましい調査方法なのだ。
イラストでは雨を人工的に降らせちゃっている。降った雨の一部は地層に浸透してゆっくり流れて、ビーカーの下のトンネルから流れ出てきます。対して、ビーカーの淵から流れ出ている水は雨が降った途端に流出する河川水(地表流)で、下で水を受けているのは流量堰というもので、これで流量を時間的に連続して、正確に測ることができます。
◆私の仕事
サントリーや神奈川県は長期間かけてこれらの観測システムを作り上げ、研究活動を行っていた。いずれの所属機関でも私の担当は、これらの観測機器が正常に動いているかどうかの確認・補修、周辺データの取得、観測データ収集とそのデータの信頼性の確認・修正、そして解析・発表(学会発表、論文など)を担当していた。
○私の仕事@サントリー水科学研
水科学研では多くの観測フィールドを整備し、たくさんの共同研究を行っており、全国の天然水の森で多種多様なフィールドにおいて水循環に関わる多種多様な調査・研究を経験できたことは、なかなかできることではない。忙しいながらも貴重な体験であった。
里山広葉樹林でのササ稈流(ササの稈をつたう水の流れ、一般歴なのは樹幹流)の研究は、色々な試行錯誤をしながら観測をした。たぶんササ稈流の観測は誰もやっていないと思うので苦労したが、一番楽しかったかな。
○主な業績
Abe, Y., Gomi, T., Nakamura, N., Kagawa, N. Abe, Y., Gomi, T., Nakamura, N., Kagawa, N. (2017) Field estimation of interception in a broadleaf forest under multi-layered structure conditions. Hydrological Research Letters 11: 181-186. DOI: 10.3178/hrl.11.181 (https://www.jstage.jst.go.jp/article/hrl/11/4/11_181/_article/-char/ja/)
○私の仕事@神奈川県 自然環境保全センター
3年間の短い任期の中で、私が自分で考えた所属先への貢献は、データの精査と学術発表だと思って従事した。担当職員の方は他の仕事や雑務が多く、データの精査など根気と時間のいる作業をできないのは明らかだった。実はもうひとつ、森林整備による水循環の影響以外の降水や流量のデータを観測する目的がある。将来の気候変動に対して、どの程度変化したのかを知るための比較データとして、良質な観測データを長期間収集することである。どれだけ子供の身長が伸びたかを知るためには、前の身長を知る必要がある。0才から1年ごとあれば、子供の成長度合いがよくわかる。測定も同じ柱で記録を付けていけば条件が同じなので信頼できるデータになる。昨今の学術研究は、短期的な調査で結果が出るものが、主流になってしまっている。自分も短い任期であることを忘れて、将来に残す財産はこれだと確信した。
そしてあっという間に任期が終わった。私の研究で明らかになったことは、花崗岩質のヌタノ沢という流域では、地下水が深部に浸透する割合が非常に多かったということである。(Abe et al., 2020, HRL)
○業績
Abe, Y., Uchiyama, Y., Saito, M., Ohira, M., Yokoyama, T. (2020) Effects of bedrock groundwater dynamics on runoff generation: a case study on granodiorite headwater catchments, western Tanzawa Mountains, Japan. Hydrological Research Letters 14: 62–67. DOI: 10.3178/hrl.14.62 (https://www.jstage.jst.go.jp/article/hrl/14/1/14_62/_article)
安部 (2020): 水源かん養機能のモニタリング調査:ヌタノ沢における研究事例. 緑の斜面 (https://www.k-crk.com/kouhou/midori_072.pdf)
安部ほか (2021): 広域の地下水流動を把握する:自治体と地球研の連携研究による地域貢献. 陀安一郎、申基澈編「同位体環境学がえがく世界:2021年版」(https://www.environmentalisotope.jp/possible/595/)