ひらめき☆マンガ教室の感想について
ひらマン5期の感想を全部書くつもりでいたのに、感想マラソンを脱落した荒井祐太です。
今後おそらくひらマンの感想を書くことはないので(ツイートくらいはするかもしれない)、最後にちょっとだけ、自分の感想にまつわることを書いておこうと思います。
ひらマンの提出作品を読むうえでは、なるべくふつうの読者っぽく読むことを心がけていました。
なので、各提出作品を、あまり深く読みすぎないようにしていました。
とはいえ、感想を書くためには各々の作品を5~10回はどうしても読むことになるのですが、内容を読み取る労力を強いてくるものに対しては、ある段階で「よくわかりませんでした」とラベルを貼って終わりにすることにしていました。ふつうの人は一生懸命読もうなんて思わないからです。
感想は毎回読んだ順に書いていたわけですが、これは「公平に読まない」ため(公平に読んでいないことをメッセージとして送るため)にやっていました。ふつうの読者は漫画雑誌や漫画アプリの掲載作をすべて読まずにお気に入りだけ読んだり、すべて読むにしても毎号楽しみにしている作品から読んだりすると思うからです。
つまり流通している漫画は贔屓されるものだということです。感想を見比べれば、気に入ってる人(葉野赤さんとかかわじろうさんとか)が早めに読まれていることがお分かりいただけるはずです。
ただし、ひらマンは漫画雑誌と違って、締め切りまでに各々が自分のタイミングでアップしていいもの。なので、1番乗りでアップすることにより、あまり贔屓してない人の漫画を早めに読んだこともあります。つまり、ひらマンというゲームの仕組みには注目を自分に集中させるやり方がゲームデザイン上存在するということです。これも気がついて欲しいと思いながら書いていました。
あと、当り前ですが、良い作品をがんばって描けば、期待値が上がって次回は優先的に読まれる、贔屓されるようになることもあります。「次回も読みます。」とか「次回も楽しみにしています。」みたいな1文を意識的にコピペで付していった感想があるのですが、これも期待値は変動するのだ、というメッセージを送っていたつもりです。
念のため記しておきますが、僕に気に入られることが重要だと言っているのではなく、世の中の名前も顔も知らない漫画読者ひとりひとりに気に入られようぜって話です。
作者の努力をなるべく考慮せず、つまらないと感じたものは、なるべくつまらないということをはっきり伝えるようにしていました。多くの読者にとっては作家のがんばりなんて知ったことはないからです。努力の痕跡に気がついたとしても、あえて無視しているものもあります。
感性の違いだけで切り捨てているものもあります。合う合わないも間違いなく存在するものだからです。とはいえそういう作品については悪くも言わないようにはしていましたが、でも現実にはバカの書いたアマゾンレビューのように合わない作品を悪く言う人もいるでしょうね。
以上のようなことを心掛けたつもりですが、実際はけっこうブレブレで、あまり達成できていません。丁寧に読んで感想を細かく書いているものもいくつかあるはずです。
そもそも長文の感想を書いてnoteにアップすること自体が、どちらかといえば少数派でしょうし。
感想をアップした結果、5期の受講生数名にツイッターでブロックされましたが(ついでに言うなら、4期の同人誌の感想をアップした際にも4期受講生にブロックされた)、これに関しては思っていることが2つあります。
1つ目は、まだ多くの人に漫画を読んでもらえるわけでもない立場なのにもかかわらず、作品のフィードバックを得る貴重な機会を自らひとつ捨てるのはもったいないということです。自信を向上させるためにひらマンに通っているのだから、使えるものは使った方がいいのではないか、と。つまりブロックすることに対して否定的な目線。
2つ目は、嫌なものを見ない選択も必要だ、ということです。課題を提出し続けなければ成長はできないので、そのためには制作をし続ける必要があり、ならばムカつく感想で嫌な気持ちになって手を止めている場合ではないからです。こちらはブロックすることに対して肯定的な目線です。
これはご自身にあった方を選択してくれていればいいな、と思っています。
まぁ、だいたいこんなところです。
では、
作者の意図を深く考えず、読み取る努力もせず、作者の人となりを知らず興味も持たず、作者の名前すら憶えないような人。
まして「批評」や「研究」なんてものには生涯無縁な人。
暇潰しとして読み捨てる人。
限られた漫画しか読まないし、興味を広げたいとも思っていない人。
以上のような人たちが、みなさんの未来を作品を読んで楽しんでくれることを、お祈りしておきます。