エヴァ直撃世代のおっさんが若いオタクに聴いて欲しい90年代アニソン⑤
千歳飴って、人生で初めてアナルに挿入する棒としてはいい感じの太さですよね、よく考えてみると。
ということは、もしも人生をやり直すことができるとしたならば、七五三前夜へとタイムリープするのが最もお得なんじゃないですかね? あ、でも助言してくれる人が必要ですよね。助言をしてくれるおっさんが!
どうも、荒井祐太です。毎回のように冒頭でどうでもいいことを言うのは、Leo the footballの影響だったりします。
さて、1996年にオタクになった僕が、90年代から好きなちょい古アニメソングをキミら若人に聴いてもらいたいなーってな具合で珍文&失礼文を投稿しているこの連載。
はやくも第5回です。
●90年代には物心がついていなかった
●物心はついていたけど、ハム無線に青春のすべてを捧げたのでアニメを見ている余裕がなかった。
●物心はついていたけど、お母さんがわずかなお金のために男に抱かれているのを押入れの中で必死に耳をふさいで耐えていたので、アニメを見ている余裕がなかった。
そんな幸福な方も辛い記憶をお持ちの方も、ネットの力を駆使して、今日も僕のオススメソングを聞いてみてね!
5、奥井雅美「ラストシーン」(作詞:奥井雅美/作曲・編曲:矢吹俊郎)1999年
この曲は1999年公開の劇場用アニメ「アキハバラ電脳組 2011年の夏休み」の挿入歌です。
98年に放送されたテレビアニメ「アキハバラ電脳組」。
仕掛け人は「新世紀エヴァンゲリオン」「機動戦艦ナデシコ」「少女革命ウテナ」の大月プロデューサー。
大月プロデュース作品の虜だった僕は、当然のように期待して見ました。
初見での印象は「次世代アニメだ!」でした。
オタクの聖地である秋葉原を舞台に物語を展開する、というメタオタク作品な感じ。
秋葉原の街中に巨大モニターがあって、アイドルソングが大音量で上映されながら、その下を女子中学生の主人公が当たり前のように駆け抜けて通学する感じ。
若手声優を多く起用してる感じ。
そんな感じで、時代を次に進めようとしている、と思いました。
で、そんな次世代アニメの映画版。
テレビシリーズで演出をつとめていた桜井弘明が監督に昇格しています。
彼は天才です。
「2011年の夏休み」は、天才である彼の作風というかセンスが、横溢した作品といっていいでしょう。
ともかくキャラがやたら早口で、しかも画面のなかの3ヶ所くらいで同時に喋ります。
早口でセリフ量多い作品も、同時にしゃべる作品も他にもありますが、この作品ほどわちゃわちゃしているものは珍しいんじゃないでしょうか。
天才ってすごいですね。
で、歌ってる奥井雅美さん。もはや説明の必要もないでしょう。
90年代を代表するアニソン歌手でありながら、いまだに第一線でありつづけてる、リビングレジェンドでもある奥井雅美さん。
彼女と初めての出会いは「スレイヤーズNEXT」でした。
今となってはレジェンドですが、当時はまだ存在が認知されていく過程。
後の活躍を知ってから振り返ると大変見る目がないのですが、ぶっちゃけ、歌は上手いけどいずれ消えていく歌手のうちのひとりだと思ってました。
なんせそういう人がたくさんいるのが芸能界、音楽界ですし。
といっても96年のスレイヤーズNEXTに続いて97年に「少女革命ウテナ」「それゆけ!宇宙戦艦ヤマモト・ヨーコ」「ジャングルDEいこう!」を歌っているので、このへんで確たる地位の基盤くらいは築いていたのかな、という気がします。
で、続く98年にアキハバラ電脳組。
「色んなアニメで林原めぐみの声を聞く」のと同様に、「アニメでそれなりに奥井雅美の歌を聞く」状態ができあがったころなんでしょう。
そんな彼女が90年代の最終年に歌った曲のひとつが、これ。
当時すでに、「色んなアニメで林原めぐみの声を聞く」のと同様に、「色んなアニメで奥井雅美の歌を聞く」状態ができあがっていました。
そんな彼女は、アキハバラ電脳組の時点ですでに30の大台に乗っていたわけですが。
にもかかわらず、10代の少女の心を詞に綴って歌い上げることができるのは、努力はもちろんあるんでしょうけど、やはり才能の力なのだと思います。
才能ある人の集結した作品です。
映画の終盤、夏休みをすっかり堪能した主人公たちがアキハバラにある学校の屋上から宇宙空間に旅立ち、宇宙空間を漂ってる王子様に起きている問題を解決しにいく場面で流れるのですが。
王子様、テレビシリーズで主人公が恋心とも憧れともつかない気持ちを抱く相手なんですね。
で、テレビシリーズ(初恋)が終わった後の、アフターケアを1回だけする話なんですよ、この映画。
だから王子様のところに行くときには、別れはすでに確定していて、このあと関係が発展するなんて思ってないから挿入歌で別れの曲を流す。
思い出の残滓、しっぽのところを切りにいく、といいますか。
アキハバラに異変が起きて停電し、電気の明かりを失った街中で女子だけで浴衣花火大会をしたあと、学校の屋上でこんなシーンが来るんですから、やはり桜井弘明は天才とか言いようがありません。
なんて書いてますが、この文章を書くまでは「なんか切なくなるけどボンヤリした歌詞の歌だなぁ~」って思ってました。
「なんでここで流れる曲のタイトルが『ラストシーン』なんだ?」って長いこと疑問でしたね。
ま、この理解が正しいかわからないし、そもそも見直していないので端的に間違っている可能性もありますが、とりあえず自分的には腑に落ちました。
書くことによって思考が整理されるってほんとうなんですね。
恋を知らなかったがゆえに、別れも知らなかったテレビシリーズ時代。
その初めての別れと、恋を知らなかった幼かった時代への完全な別れ(ラストシーン)の歌、なんでしょう、きっと。
こちとらは3ヶ月に1度嫁が変わるうえに、その3ヶ月の間も幼女からお姉さんに至るまで複数の女性キャラを性的な目で見て、なんなら肉体的にも(右手的にも)性的なことをしている30代の男性なので、気持ちがわかる分けない。
……と言いたいところですが。
世のおっさんたちは「女の子に生まれたかった」「美少女に生まれて百合的な友情を誓い合いたかった」「少女として繊細な心の揺れ動きを経験したかった」と欲望しており、僕もご多分にもれず、自分=10~15歳の美少女という脳内設定を構築&更新し続けています。
よって、脳内の少女エミュレーターがおおいに共感してしまいます。
心の中に女の子な部分のある人、実際に女性器が股間に実装されてる人、ぜひ聞いてしんみりしてみてください。
ちなみにこの映画、99年作品だけあって、2011年の現実の秋葉原とはだいぶ違います。
なんせ駅前にバスケットコートが残っていますので。
んじゃ、また。