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絵における個性とは?

今回はちょっと真面目なお話。
個人販売している「エソラ流お絵かき習慣術2」を購入して、最後まで読んでくれた方に向けての補足っぽい内容です。

◆味のある良い絵=技術+個性◆

エソラ流の目指すゴールは、あなたにしか描けない味のある良い絵を描くことである…と書きました。
習慣術では、技術と個性とを伸ばすための練習方法などを中心に、僕なりの絵の道を進む心構えを書いてみて、習慣術2では、エソラ流で目指す「個性」のありかたについて書いてみました。

そして、本の最後。
「全ての絵を全力で描く、絵を真剣に面白がる姿勢」
これが、僕の絵に乗せたい個性だと書きました。

◆つまりどういうことだってばよ◆

わからんですよね。
言いたいことが伝わらんですよね。
大変申し訳なく思っております。

これで伝わると思ったのですが…ツイッターでエゴサして微妙な反応を見てしまい、いつか補足しないといけないと思い続けておりました。

この場で説明させていただきたく、ここでまた昔話です。

◆時には昔の話を◆

僕は、フリーランスになったばかりの時、1枚を1~3万円くらいで依頼を受けて描いていました。
絵でご飯を食べていくには、月に10枚くらいは描きたいところ。
どんどん描くスピードを上げていきました。
…ちょっと違いますね。
「短時間で描ける絵」を描くようになっていきました。

おかげでご飯は食べれるようになったのですが、ちょっと大変なことが起きました。

生活のために、お金を稼ぐ効率を上げることを考えていました。
僕が大好きだった絵を、換金する商品に変えてしまったのです。
僕が大好きだった描く時間を、換金できる時間にしてしまったのです。
絵を描いていない時間は、お金にならない無駄な時間のように感じるようになってしまいました。

◆描き手のいない絵◆

今となっては「当時の俺はやばかった…」と思えるのですが、その当時は絵でご飯が食べれていることが大事で、あまり問題に感じていなかったのです。

まずいと思ったのは、そんな絵の描き方をして1年たったころ。
ふとしたことがきっかけで、自分が描いてきたものを振り返った時、全部の絵が同じに見えました。
どの絵を見ても、何も感じないのです。
依頼を受けて仕事をするくらいなので、技術は確かです(自分で言うのもなんですが)。
でも、どの絵も、どんな気持ちで描かれたのか、何にも無いのです。
ただ、効率よく描くための技術だけが見えました。

僕は、あれは絵ではないと思いました。
どの絵を見ても、描き手が見えないのです。
ただの画像でした。

ちなみにですが、AI絵師さんの描いたものに感動が薄いのは、描き手らしさが見えにくいところにあると僕は思っています。
AI絵師さんの描く絵は、技術だけが見える当時の僕の絵にとても近い存在だと感じています。

◆世はまさに大後悔時代◆

僕は、絵になんてことをしてしまったんだと、ようやっと気が付きました。
申し訳ない気持ちやら、悔しい気持ちやら、いろんなモヤモヤがありましたが、仕事を断って、たった1枚だけ、自分のために絵を描きました。

描きたいものを、真剣に考えました。
仕事ではないので効率なんか気にせずに、気に食わなかったら何度でも描きなおしました。

1枚だけ。「これが僕の絵だ!」と自信を持てるものを真剣に描く。
それが、こんなにも大変で、こんなにも面白い。
久しぶりに「絵を描く」という時間を過ごした気がしました。

◆全ての絵を全力で描く、絵を真剣に面白がる姿勢◆

自分語りを長々と聞いてくださりありがとうございました。
なんとなくでも、僕が過去にどんな後悔をして、これから先にどんな絵を描いていきたいのか、伝わったら嬉しいなと思います。

この家は誰が建てたのか、暮らすのはどんなキャラクターなのか、外はどんな景色なのか…そういったことを考えて描くのとそうでないのとでは仕上がりが全然違うことに気が付きました。
獣人のキャラクターが住む、開放的でラフな小屋を描いたものです。
室内にも思い切った空気感を取り入れてみました。…ボツ案ですが。

僕はこれから先、ただの1枚も、技術しか見えないただの画像を作らないつもりでいます。

1枚も、ちゃんと描かない絵はない。
1枚も、楽しんで描かない絵はない。
そんな、僕の絵との向き合い方が、僕の描いた絵から感じられたら、それこそが僕の絵の個性だと思っています。

絵における個性とは、描き手が見えることだと考えています。
絵の面白さの中心にあり、絵の表面に見えるものではありません。
僕の例で申し訳ないのですが、僕は絵(もしくは自分?)と向き合ったことから、絵に少しずつ個性が見えてきた気がしています。

そう簡単に個性の出ている絵は描けないし、真似で得られるものではないと、僕は考えています。
個性の乗った絵とは、どんな知識を持っていて、どんなものが好きで、どんな考え方をする描き手なのかが、見る人に伝わる絵です。

◆仕事の絵は、個性を出しても良いんか?◆

仕事の絵だって同じです。
当時の僕はそんなことはできないと思ってましたが、今の僕は仕事の絵にだって僕の描きたい気持ちをぶつけます。

依頼され絵だから、僕の描きたい絵じゃない…なんていうのはおかしいはずです。(※例外アリ)
仕事は色々な制約はありますが、その中で僕が描く意味をしっかり入れなければ、僕に依頼をくださった相手方に大変失礼です。
(特大ブーメランが背中に突き刺さっております。本当に申し訳ないことをしたと大反省しております。)
楽しくなければ、僕としては、絵の仕事をする意味がありません。

絵を描いている時間だけは、何もかも忘れて没頭できる。
子供の頃から、そのことでどれだけ助けられてきたか知れません。
変な話ですが、僕は絵に感謝しています。

描いてきた絵は、生きた証です。
絵を描くために、いろいろ遊んで、いろいろ学んでいるんです。
稼げるから絵の仕事をするんじゃなくて、好きだから絵の仕事をするんです。

絵への感謝を忘れずに、今日も目の前の1枚としっかりと向き合いたいと思っています。

もちろん、絶対に無理をしない範囲で。

◆届かない叫び◆

僕よ…当時の僕よ…読んでいるか?

「背景画は、個性なんか出せない…」
「背景画は、金額の交渉が難しい…」
「背景画は、僕の他にたくさん描ける人がいる…」

背景画の仕事をやめるために、いろんな言いわけを考えているな?
たしかに…今の思いつめた頭では無理ないよ。
休みの日にも仕事のことしか考えられない今の頭は、正常じゃない。

まずは、冷たい水で顔を洗って、しっかり目を覚まそう。
伸び放題の髪の毛を、しゃんと切ってもらおう。
コンビニのおにぎりを買うんじゃなくて、自分で料理をしてみよう。

そうして、ちょっと気が晴れたら、自分が何で絵を描いているのか、いちど立ち止まって考えてみてくれ。
ノートに書くんだ。子供のころに教えてもらった脚下照顧だ。

そして冷静になれたら、たった1枚でいいから、どれだけ時間がかかってもいいから、自分のために絵を描くんだ。

仕事を断って椅子に座るのは、不安なことと思う。
真っ白い画面が広く見えて、怖いことと思う。
でも、大丈夫だ。
描き始めた君の手は止まらなかった。
納得いくまで描きなおすことを楽しんでいた。

たぶん、絵は、君のことを見放したりしない。

・・・・・・

余談ですが、絵描きはみんな繊細です。
僕の友人も、後輩も、なんと先生まで、当時の僕のように視野が狭くなり、しんどくなることがあったようです。
「画力は頭だ!」と、僕は教えられました。
絵は、手ではなく、頭で描くもの。
視野が狭くなり、正常に働かなくなった頭では、絵の力は伸びません。
絵を続けるには、広い視野で物事を考えることが大事だと学びました。

そこでエソラ流お絵かきでは、本を読むことをオススメしています。
絵の教本ばかりでなく、考え方の本や、知らないこと、興味があること、エソラ流お絵かきノートのようにあやしいもの、あれこれ読むことをオススメします。
ちなみに今日買った本は
「暮らしのアイデアスイッチ 家しごとの9割をラクにする裏ワザ」
「かつてなく詳しいDIYで小屋を建てるガイド 小屋を作る本 2023」
「小屋」
「幸せにお金を貯める100のリスト」
「アニメ私塾流 最高の絵と人生の描き方」←絵の本
「東大生が日本を100人の島に例えたら面白いほど経済がわかった!」
です。

ひとつのことに思いつめないようにお気をつけて!
今回、真面目だったな…

ではまた!

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