絵描きになりたい「昔の僕」よ。脚下照顧だ。
こんにちは。自称「背景おじさん」の屋久木雄太です。
年があけて、4才の息子は久しぶりの保育園にちょっと恥ずかしそうに行きました。
洗濯機の音はしてますが、久しぶりに子供の声がない部屋でひとまずお仕事の絵を描き終え、こちらの執筆をしております。
園の先生方。おかげさまで仕事が出来ます。感謝します。
さてさて、今回はエソラ流のコンセプトをご紹介しようと思いまして…ちょっと昔の話をします。
◆時には昔の話を◆
僕は、専門学校から本格的に絵の勉強をはじめました。
ゲームグラフィックを学ぶ学校でしたので、最も大事だったのは3DCGを扱う力をつけることだったのですが、そのために必要な絵の基礎を大事に教えてくれる学校でした。
高校までは馬鹿にされそうでこっそりと描いていた「漫画のキャラ」も、その学校では教科のひとつ。
基礎中の基礎「デッサン」や「色彩の理論」まで、学ぶことが幅広く用意されていました。
僕はそれまでは、絵を描くことは他の勉強の合間に好き勝手にやることだったのですが、ここにきて学ぶべきことになりました。
朝から晩まで絵の勉強。周りの友だちも僕と同様に絵が好きで、面白いゲーム、漫画、アニメの話や、あのキャラは俺の嫁だの彼女ができないなどなどなど、そんなことを毎日話しました。
◆人間だもの◆
「やりたいこと」に全力投球できる最高の時間を生きていたと思います。
ですが、全力投球というのがずっと続くものではないということを、かつての僕は思い知りました。
毎日描いても描いても、そんなにすぐに上達するわけではありません。
プロになるために必要な技術も知識も、嫌になるほど足りないと感じていました。
しかも、今までの高校生活と違って周りの友達は絵が好きな人ばかり。
クラスの中に上手い奴がいて、僕はこの学校ではじめて「絵が上手なキャラ」ではなくなりました。
学んだことが身になっている実感もないまま、次のことを学ぶ。
それが続きました。
最高の時間だった…のは間違い無いと思っていますが、昔の僕は「自分で選んだ道を良かったと思いたい」ためにがむしゃらに描いていたと思います。
◆大真面目なふざけたコンセプト◆
そんな「昔の僕」に「今の僕」がアドバイスできる時間があるなら、僕は何を伝えるだろうか?
これがエソラ流のコンセプトです。
僕が得たノウハウを最大限に活用するには、「昔の僕」の悩みを引き出してアドバイスをするのが一番良いと考えたからです。
そして、最初のアドバイスは、
「プロの絵描きを目指すお前は、たかが人間だと自覚しろ。」
です。
・無理な練習量は、身を崩す。
・努力のすべてが、良い結果に繋がるわけではない。
・自分より上手い人なんか、この世にたくさんいて当たり前。
・人の心を動かすことなんか、人間に出来るわけがない。
そういった当たり前のことを、当たり前と思うように。
自分がなにか才能ある特別な存在であるようなことを夢想するのではなくて、一人の人間だと認めて、足元を確かめて歩いていけということを、まずはアドバイスしようと思いました。
ちなみにタイトルの「脚下照顧」という言葉は、自分の足元をよくよく見よという意味です。
小学校の頃に通ってた少林寺拳法で教えてもらった言葉です。
僕は、「自分にできることを考えなさい」というふうに捉えています。
◆つまりどういうことだってばよ◆
柄にもなく真面目な話でちょっと後悔してますが、僕の考えの根っこをちゃんと公開したほうが良いかなと。
20文字に要約します。
無理は絶対にするな
習慣をもって力をつけよ
…もうちょっと詳しく?
せっかく要約したのですが、では、もうちょっとだけ。
なにかに焦ったり、誰かに振り回されたり、先のことに不安を感じたりしたときに、僕は僕がただの人間であることを思い出して、自分の1日は24時間であることを再確認します。
あなたも、きっと、多分、おそらくそこは同じでしょう?
今のあなたの1日…24時間のサイクルのなかに入らないことは、この先どうしたって出来ようが無いわけです。
それを認識できたら、何をやって、何をやらないかをしっかり決める。
この選択は、タフで結構しんどいかもしれません。
でも、この先ずっと自分に大雑把な期待をして、その期待に応えられないかもしれない…そんな不安を持ち続けるよりずっと楽です。(経験者は語る)
それに、無理なスケジュールを24時間に詰め込むのはダメです。
どうせ続きません。
余裕で出来るハードルを用意して、続けることに重点を置く。
きついことを一発頑張るより、無理ないことでもちゃんとやり続けることの方がかなりマシです。(経験者は語る)
◆つまりどういうことだってばよ(二回目)◆
つまり、
「やることを減らさないと、無理なく続けられない」
ということです。
このことをどうか、よく考えてほしいなと思います。
何もかも、やれるわけはない。
何もかも、やらないわけにはいかない。
上手く見える絵の描き方だとか、効率が良い練習方法だとか、そんなものを考える前に、人間に(自分に)できる範囲を知ること。
この考えが、エソラ流お絵かき術の根っこです。
◆届かない叫び◆
昔の僕よ。読んでいるか?
読んでいたらすぐそこのコンビニで、とりあえず一番デザインの気に入ったノートとペンと綾鷹と明治のアーモンドチョコレートを買って、学校のラウンジで友だちとモンスターを狩りに行くだけじゃなくて、何をやりたいのか、そのノートに書き出してみよ!
一緒に狩りに行っている友達も誘ってやってくれ。
その友達は今、美少女ゲームのグラフィックを描いていたり、狩られるモンスターの動きを作ってたりするが、就活でなかなかにつまづいて苦しんでおったぞ?
今も大好きな黒星紅白先生の絵を模写するその前に!
やることを、ノートに、書きだすんだ!
・・・・・・
余談ですが、昔の僕は「絵が上手なキャラ」のかわりに「カラオケが上手なキャラ」になって専門学校を楽しく過ごせました。
高校までの音楽の授業、まじめにやってて良かったね。
ではまた!
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