#5 忘れない
皆様、お久しぶりです。
noteを開いてくださりありがとうございます。
大阪のハンドボールチーム『tetoteおおさか堺』を退団しており、様々な事情により、前回の投稿から半年空いてしまい、本当にすいませんでした。
これからまた更新していきますのでよろしくお願い致します。
今回の投稿は、皆様にご報告があります。
先日、3月14日に『環太平洋大学』を無事卒業致しました!!
中学校教員免許(保健体育)
高等学校教員免許(保健体育)
NSCA-CPT
を取得することが出来ました。支えてくれた皆様、ありがとうございました。
4年間、コロナ禍でかなり振り回されましたが、沢山の事を思い、感じて、考えさせられました。今となれば、自分にとって人間としての成長をさせてくれたと思っています。
そして何より、私が苦しく悩んでいた時を見捨ててくれなかった、先生方、仲間達には本当に感謝という言葉・気持ちだけでは収まらないほどサポートしてくれました。
この恩をハンドボールという形で返していきたいと思っています。
私の4年間は、つまらないもので、『勉強』と『ハンドボール』『バイト』の日々でした。
高校3年生時、ハンドボール選手になりたいと軽い気持ちを思って環太平洋大学に入学しましたが、当時、周りの大人達から、『関東に行かないとかなり難しいよ。相当、覚悟しないとハンドボール選手にはなれないよ』といわれました。
その時に、私は大学1年生なりに、心のどこかに火がついたと言うか覚悟を決めたのを今でも覚えています。
ちょうど、4年前の3月下旬にアパート一人暮らしを始め、最初はハンドボールどころか、洗濯、掃除、食事、買い物全て自分でやらないといけない所から苦労し、その時に初めて家族のありがたみを肌で感じました。
そこから、先輩に助けていただいたり、同期の仲間達とやりくりしながら、どうにか慣れることが出来ました。
私が当時、1年生で入部した時、ハンドボール部には全部員で60〜70人ほど在籍していました。この中から20人しか試合登録されない。先輩・同期には全国の名門校出身で全国大会出るのは当たり前のレベルで、『地元の小さい高校で、キャプテンしてました。』と言うのは笑われるぐらい自分の小ささを感じており、焦っていたのを今でも覚えています。
監督の前田さんは、私達、学生を信じて自分たちがやりたい事をさせてくれる監督で、自分で何か武器を身に付けないと試合で使ってもらえないと私は感じました。
そこで私は、60分間走り続けて、キーパー以外どこのポジションも出来るようになろう!と思い、これまで左45、左サイドでしたが、センターや逆ポジションなども積極的に練習しました。
家に帰って来ても、毎晩、家の近所5km走って、公園で筋トレして自主トレも何時に帰って来ても、欠かさずやっていました。
また、保健体育の教員免許も取りたいと思っていたので、 朝家から出たら、そのまま部活行って帰ってくる生活が1年生時はずっと続きました。
すると、1年生の夏から試合登録してもらえて、1年生から様々なポジションで出場ことが出来ました。
2年生、3年生はコロナ禍で、試合も中々なく目標がないまま、トレーニングをしていました。仲間にも簡単に会えなくなり、1人でずっと考えこみ続ける時間が多くありましたが、少し出来たからと言って満足はせず、目指す場所はもっと高いところにあると思いながら、ひたすら一歩一歩進んでいました。
また、1年生の冬から先輩の紹介でコンビニの夜勤のバイトをさせてもらって、特にコロナ禍真っ只中時には、学校も部活もなかった為、ひたすら夜中働いていましたが、何回も体壊してその時、睡眠の大切さを知ったのも良い思い出です。
それでも、バイト先の方々には、どんな時でも応援してくれて、僕の急なシフト変更も全て受け入れてくれて、沢山稼がせてくれましたし、沢山、栄養つけさせてもらった事。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
4年生になると、更なる自分を高める為に、大阪に移住し、在学中に別のチームに移籍しましたが、現実はそう甘くなく、ハンドボール以前の事で悩まされることが多く、苦労したのも、今この時期だから良い修行だったと思えます。
大阪でのバイト先の方々には本当にお世話になって、僕のやりたい事を受け入れてくれて、させてくれたりと今後、社会人としての全てを培わせてくれた場所になりました。かなり短い間でしたが、独り身でなんでも無い学生の僕を受け入れてくださった事。この感謝の気持ちは一生忘れません。本当にありがとうございました。
ここまで4年間、かなり濃密な時間を過ごすことが出来、岡山・大阪で出会った方々の全ての出来事、思い出は全てが宝物です!!
本当にお世話になりました。ありがとうございます。
さて、私の今後の進路なのですが、沖縄のチーム『琉球コラソン』に入団することになりました。
また、小学生時に『琉球コラソンU-12』に在籍していたこともあり、『琉球コラソンU -12』の専属コーチとしても動き出す事になりました。
地元沖縄で、選手と指導者の二刀流として、活動していく事になりました。僕にとってこんな嬉しい事はありません。選手の子たちと共に成長しいきたいと思います。
そして、琉球コラソンU-12初・沖縄島尻地区初の男子日本リーグ選手として、活動していくにあたって、周りからの期待、応援と人一倍背負っていかなければなりませんが、これまで、終わりのない中、努力していた時期に比べれば、恵まれていると思います。
これから沢山の苦労や辛いことがあると思いますが、この4年間得たパワー、知恵、精神力を活かして、お世話になった方々、そしてこれから応援してくれる方々へ嬉しい報告が出来るように、精一杯精進していきたいと思います。
ここまで、読んでくださりありがとうございました。まだまだ私は前に進み続けます。これからは沖縄から発信して行きますのでよろしくお願いいたします。
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