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みんなで円をつくる

先日、ゲストに中富さんをお迎えし、カフェゼミを行った。中富さんは障害者が障害者としてではなく、戦力として正当に評価される、障害を障害と感じない社会をつくるために精神疾患のあるメンバーとともに革製品をつくっているUNROOF株式会社を経営している。そんな中富さんと共に「利潤最大化を目指さないビジネス」の可能性について考えた。

中富さんの話の中で出た「病気や障害はその人の一部分でしかない。多くの部分を活かす」という考え方が印象に残った。ほとんどの人が「人の良いところに目を向けよう」と言われたことがあるのではないだろうか。確かにその通りだと思いながらどうしても人の欠点に目が向いてしまう。完璧な円は気にならないのに、どこか欠けている円を見るとその部分が気になってしまうのだ。僕も、障害者の方と接すると必要以上に気を遣ってしまうことがあった。どうしてもその人の「障害」に目が向いてしまうのだ。

障害者の雇用問題においても障害や弱い部分に目が向いてしまい障害者はこれ以上出来ないといった偏見があり、当事者も自身の可能性を諦めてしまう。しかし、精神疾患のある方は一つの物事に集中することが得意だったり、ものすごく丁寧な仕事ができる。UNROOFではその素敵な部分を生かして、「障害者だから」の仕事ではなく、「革職人」という戦力として健常者と同じ給与水準(*障害者の平均月収は健常者と比べておよそ2倍ほどの開きがあるそうだ。)で精神疾患のあるメンバーが働いている。それぞれ欠けている部分があり、少しずつ違うだけなのだから、お互いに強みを生かし合うことで大きな一つの円になる。そんな補完し合い生かし合う関係性がやさしいと思った。そんな関係性をつくるためにも、目の前の人を観察し対話していきたいと思う。

その一方で、ビジネスの側面についても考えた。経営学で言われる経営の目的の一つは「利潤最大化」である。大学1年生のときの経営学総論で習った覚えがある。そのときは、ビジネスってそういうものだよなぁ、とか思いながら聞いていた。利潤を最大化するということはつまり利潤以外考えないということだ。その背景には効率と成長を求め、徹底的に合理性を追求する考え方がある。そんな社会の中で精神的ゆとりや人間的つながりの欠如、経済的な格差が生まれているという話があった。なんだかそんな社会のあり方には違和感を感じる。確かに資本主義社会の中で、競争が生まれ、豊かになったこと便利になったことは数え切れないほどあるだろう。安くて、早くてといった土俵に立つとどうしても相対的に比べられ、合理性を追求することが一番手っ取り早くなってしまう。しかし、精神的なゆとりや人とのつながりを欠如してまで「利潤を最大化」したいとは思えない。なにが正解なのかわからないが、効率だけの人生にはしたくないと思った。

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