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人生理解 物事の捉え方の整理【ポジウィル体験記】#02

2023/06/12(月)
POSIWILL CAREERの2回目の面談。今回は過去を振り返った時の出来事から思考の癖や物事の捉え方を考えてみる。という面談でした。

【現在の悩み】
自分のやりたいこと、興味のあることが分からないままプログラマーへ就職してしまい、プログラマーとしてやっていくのが厳しくて逃げるようにテストエンジニアに転職したが、結局モヤモヤがありながら働き続けている。
キャリアが迷子状態になっている。
【ポジウィル受講後のゴール】
自分はどうありたいか。どんな職場環境が良いのか言語化できること。

前回のお話はこちら ↓


思考の癖

前回の面談で「人の目を気にする」「人と比較する」という思考の癖があることが分かり、ここを整理する。

人生を遡ってみて、いつからそんな思考になり始めたのか?

太っていた頃の記憶

私は小学生の頃、太っていることが原因でイジリを受けていた。クラスメイトから太っていることについて揶揄されるようなことを言われたり、体育では足が遅いことなどを笑われたりしていた。
でも私は決して怒ったりせず、笑ってごまかした。なぜならそれで怒ってしまうとせっかくの空気が壊れてしまうと思ったから。空気が読めないと思われたくない。せっかく友達でいてくれているのにぼっちになりたくない。
そんなことを思いながら過ごしていたが、心が限界になり、ある日何気ないいつも通りの言葉を笑い過ごした帰り道に大泣きしてしまったことを未だに覚えている。先生に大泣きしながら電話して、それでも名指しするのに躊躇して誰にイジメられているとかは言えずにただただ泣いていただけだった。先生は少しばかり気にかけてくれるようになり、少しだけクラスメイトからのイジリは減ったのかなって思った。あの時の先生に感謝。

さて、こんな経験から私は中学生に上がる頃には劣等感の塊のような人間になっていました。部活動でソフトテニスをするようになってから少し瘦せ始め、見た目についてはマシになったが・・・。

ただ、ここも深堀りして考えてみると、どうしてイジられているのにも関わらず、空気を読もうとしていたのか?
ここも深掘りしていくと。母親との関係に原因があったかもしれないと推測する。私の幼少期は内弁慶なところもあり、控えめな子供だった。母は我が強い人間であり、よく怒られた記憶がある。

母親に叱られた記憶

両親共に美容師でたまに美容室に顔出したりしたことがあり、母親の仕事が終わる頃に母親から帰るから支度してと言われた。その時、「従業員さんにお疲れ様でしたって挨拶してきな?」とキッズルームを指差して言われたが、そこは別の従業員さんから「今、お客さんが着物の試着をキッズルームを借りてやっているから開けないでね」と事前に伝えられていたところだった。母親はそれを知らずに言ってきたが、当時の私は「いや、着替えしているからそこは開けられないよ」とも言えず、と言うか母親としては「着替えているとしても挨拶はしなきゃでしょ?」という意図もあったのではないか?とよく分からない深読みをして黙っていると、母親からは「挨拶はしないとでしょ?」と叱られて、渋々ドアを開けた。そこにはまだ試着中の女性の方がいて、急いで母親が「すみません~!」と言ってドアを閉めて、「なんで分かっていたのに言わなかったの?」と叱られた。

これは、私がちゃんと事情を説明すれば済む話だったが、母親に歯向かう事が怖い。「自分が我慢すれば大丈夫。」のような思考が形成されていたんじゃないかと思った。基本的に父は寡黙で、母はゲームをしていたら怒る、宿題しなかったら怒る、習い事をサボったら怒る、と母親としては当然の事だが、祖父・祖母も基本的には怒ることは無く、基本的に怒るポジションが母親しかいなかったから、母親 = 逆らうと怖い。みたいなマインドが出来て行ったんじゃないかと思う。

小学生の頃のある日、理不尽に先生に怒られた事があって。ざっくりと言うと私は何もしていないのに友達の作った作品を壊した犯人にされた事があって。先生からは謝れと言われ、反論しようにも証拠が無いので、そのまま犯人であることを認めて、家に帰ったら母親からは説教の嵐。「なんでそんなことしたんだ!」って詰められても私はずっと黙っていた。ここは母親だけには味方でいて欲しかったなぁと思ったが・・・。
なんで、言い返さずに黙っていたのか?美容室の件もなんで反論しなかったのか?これは、やっぱり「母親 = 逆らうと怖い」と言うマインドが働いて、言い返せなかったんだと思う。
ただ、杉山さんからは「顔色を伺うことを転換すると使い分けができるということ。つまり周りをよく見ているということですね。」と言われて自分でも幼少期から人と上手く合わせる。人と波長を合わせることが得意だと言うことは気づかなかった。
自分って結構諦めやすい癖があるって思う事も、これって人と話した時にこの人とは合わないな。と思ったらすぐにシャットアウトするようなことをしていたのにも繋がっているんじゃないかと思う。

思考の癖から考える<フロイトの防衛機制>

イジられていた時、やってもいない事で犯人にされた時、母親に叱られて我慢した時、これらの時に私は自然とその場を早く終わらそうとする、言っても無駄だから自分が我慢するという選択を取ってしまう。
それはなぜか?恐らく確証が無かったから。反論できる根拠が無かったから。でもそれでも言い返せる人はいるとは思うが、私はその選択肢を取らなかった。それは、言い返して喧嘩になった時にひどい暴言を言われたらショックな思いをする。そんな事に時間を割きたくない。辛い思いをしたくない。そんな思いがあったかもしれない。

ここで、杉山さんから<フロイトの防衛機制>というものを紹介していただいた。

防衛機制とは、不快な感情体験を弱めたり避けたりして、心理的な安定を保つために「無意識的」に用いられる手段。
代表的な防衛機制で私に当てはまるのは、以下になる。

抑圧:現実と相容れないものを無意識に押し込める。ヒステリーと関連していると考えられる。
逃避:現実からの逃避、病気への逃避。心身症と関連していると考えられる。

これは自己評価や自尊心が低下しないようにする仕組みとも言え、良い悪いで捉える必要はない。
よく当てはまる「抑圧」については、「本当はこう言いたかった」けど言わなかった。「本当はこう行動したかった」けど相手を傷つけるからしなかった。と言う言動・行動が当てはまる。前述した通り、良い悪いで捉える必要は無いが、これが続きすぎると「自分って何が好きなんだっけ?」「どんな気分や感情の良し悪しが決まっていたんだっけ?」と言う状態になってしまう。私が自分自身を見失ってキャリアコーチングを申し込んだきっかけもこれが長く続きすぎたかもしれない。

ただ、この防衛機制が働く事によって自分を守る事ができるので、これは悪いものではないと杉山さんは言ってくれた。
「すぐに諦めてしまう」癖も悪いことではなく、例えば諦めずにお母さんに反論した。とか、友達と喧嘩になってでも反論した。とかになったとしたらもっと辛い結果が待っていたかもしれない。なので、防衛機制はその時に生きやすくする為の対処法だったのかもしれない。
「人の目を気にする」も、もし人の目を気にせずに生きていたらたくさんの恥をかいていたかもしれないし、イジリがもっとひどくなっていたかもしれない。そういった風にならない為にうまく人間関係を保てるような対処法だったのかも。人を見て周りを見て上手く対応できているからこそ、社会に出ても良好な人間関係を築きやすかったんじゃないかなと思う。

フロイトの防衛機制から自分の弱みは強みに発揮されていると考える

フロイトの防衛機制を考えていくと、幼少期の価値観から出てきている特性が強みにも発揮されていると思われる。
前提として、自分の弱みとして「すぐに諦める」「人の目を気にする」「人と比べてしまう」ことは悪いことではない
それをすることで自分の気持ちを安定させる、生きやすくする為に「無意識」に行っていることで、それが幼少期に形成され、今もなお自分の内側に存在している。(インナーチャイルドとも言う。)なので、これを否定してしまうと自信が付きにくくなってしまう。弱みが出てきてしまっても、インナーチャイルドが出てきてしまったんだな。程度に捉え、転換して強みに活かせると自信が持てるようになるかと考えた。

今回の学び

思考の癖
「人目を気にする」「人と比べる」「すぐ諦めてしまう」
思考の癖はフロイトの防衛機制が発揮されているから悪いことではない。
弱みは強みに変換できるので否定することではない。

次のお話はこちら ↓

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