とわずがたり 思いがつのる…。
第一章 2023年 秋
昨年の秋 救急搬送され思いもかけず
1年間の余暇を味わいました。
取り戻せていない現状を振り返ります。
読んでくださった方が「ふーん」と
思っていただけたら 嬉しいです。
① 2023,09,21
時計変わりのテレビを付け朝食を取り
いつも通り星占いを横目に見ながら
食器片手に立とうとした。
「どうしたの もう時間だよ。」
週半ばとは言え 疲れた様子の欠片もない
木曜日だったのに
「何 冗談やっているの!出かける時間だよ。」
と言われる。
言葉は聞き取れるし 返答も出来ていた。
ただ 身体に下半身に力が入らなかった。
「 …。」
「どうする。救急車呼ぶ?」
「そんな大げさな 大丈夫だよ。」と
返答したけれど 立てなかった。
サイレンが聞こえ 隊員が玄関に到着しても
まだ 立てなかった。
あれ以来 恒例になっている感染症検査後
抱えられるように 担架に移乗する。
救急車へ運ばれても 搬送先は決まらない。
救急隊員に問われるまま
かかりつけ医・既往症の病院・地域の病院の
質問と数回の相互確認後 搬送先が決まった。
(ああ これで病院に行ける) と
何故か安心する。
しかし 思っている以上に事態は
緊迫していたらしい。
病院到着後 慌ただしくストレッチャーに
乗せられたまま 次々と検査が始まった。
〈 検査内容 〉
・身体検査 : 心臓の音や血圧測定
・血液検査 : 血糖値や感染症検査
・C T 検査:脳内出血、虚血性脳梗塞 腫瘍
・MRI検査:脳出血で損傷した脳組織を検出
・頸動脈超音波検査:頸動脈のプラーク
(脂肪沈殿物)の蓄積と血流
・脳血管造影検査:脳と首の動脈の検査
・心エコー検査:移動する可能性のある血栓の
原因を見つける。
検査中 看護師より
「家族の方に連絡を取って下さい。」と
依頼されるが
「多分仕事中なので夕方でもいいですか?」と
返答していた。
呑気な返答と 再度行われた感染症検査棒が
思っていた以上に長く グリグリされた時の
痛さの余計な事だけは 何故か覚えている。
病室のベットに寝かされ 点滴を付け
リハビリパンツを穿かされた。
夜半3回点検時の スポットペンライトも
気にならない程 眠かった。
それでも 巡回時や薬剤確認時の声掛けや
体調確認の返答は ちゃんとしてたらしい。
寝ていたのかも 起きていたのかも
排泄確認も それすら記憶は無い。
お小水 排便は ベットでと言われても
起き上がる事も 腰を上げる事も出来ない。
オマルを出されて処理を促されても
この歳で そうそう簡単に出来るわけもなく
こっそり食事の量を減らしたら
あっという間に 体重が5㎏減少した。
今迄の ダイエットは何だったのかと
思うほどの驚きでデジタル表示を見つめた。
② リハビリ開始 〈発症後の安静は良くない〉
リハビリ時間は 前日連絡されるので
準備してベッドで待機する。
「開始時期が遅かったり 少ない場合は
元の生活や 身体状態に戻る事が難しく
困難になる場合もあり得る。」
時間と 内容の必要性と 大切さを
主治医より脅かす様に説明される。
療法士の指導に うなづきながら開始された。
「筋力や体力を 落とさないように。」
「関節が 硬くならないように。」
「認知機能が 落ちないように。」
改善の為とは言え 動けない身体には
手足を上げるだけでもしんどかった。
動かない身体には 厳しかった。
リハビリという言葉は 知っていたし
何回も見聞きしていたが 指導内容で
担当が異なるとは知らなかった。
PT(理学療法士):座る・立つ・歩く
足腰メインの基本動作の回復と維持
OT(作業療法士):着替え・トイレ・入浴等
日常基本動作の回復と改善
ST(言語療法士):話す・聞く・書く
コミュニケーションの回復や改善
PT(理学療法士)リハビリ
⇒ ベッド上で足を動かす 寝返り
上半身を起こし 座る姿勢を保つ。
ベッドサイドに立つ訓練 車椅子に移乗。
動作補助し日常生活に戻れるように指導する。
⇒ リハビリテーション室移動の際に
エレベーター内 平行感覚保持の確認と
起立訓練・平行棒内で歩行訓練。
運動・強度増加プログラムの設定。
⇒ 装具の装着 違和感に慣れながら
立つ・座る時間を徐々に伸ばす。
⇒ 杖を使用しての歩行練習。
(ロフストランドクラッチ 手摺杖 多脚杖
二本杖 T字杖)
※ 脚の感覚を思い出す。
足指の先から かかと足裏 ふくらはぎと
何回も何回も触って 筋肉をほぐす。
骨盤を支えて貰い 大きく反復運動を行う。
手摺棒が空いていないフリーの時間には
医療器具棚に寄りかかり感覚指導を受ける。
どれだけ触られても 感覚が戻らないまま
時間だけが過ぎてしまったこともあった。
それでも彼女達は 髪を揺らし汗をかき
不自然な体位を厭わず 指導してくれた。
「リハビリ病院に転院したら 土 日 祝も
当然ありますからね。休まずビシビシ受けて
頑張って下さいよ。』と
朝に夕に 常に声かけを忘れなかった。
まさかこの時には 再度病院リハを
受診するとは思ってもいなかった。
OT(作業療法士)リハビリ
⇒ 起床から睡眠までが「作業(活動)。」
目的は「自分で出来る動作を見つける。」
口から栄養を取る事で 身体回復となる為
箸の動作練習を行う。
手の操作練習として ペグ等の独特の物品で
筋力練習や使い方の見直しをする。
⇒ 指の開閉 手のひらの感覚 ご飯の食べ方
肩胛骨ストレッチ
※ 日常生活に戻った際の手先感覚を得る為
新聞紙を指で千切る 丸める 広げる。
ボールの上下運動を行う。
グー チョキ パーの繰り返し。
指先感覚を取り戻す為 タオルを伸ばす。
握る指を意識する。
伸ばして上下 左右に広げる たたむ。
揺らす 離す 絞る 畳む その繰り返し。
太目のゴムバンドを腰に巻き 上げ下ろし練習。
大きなサイズのズボンを履き 上げ下ろし練習。
椅子を便器に見立て トイレ使用の練習。
実際のトイレ練習。
車椅子に移乗し その体勢を維持する。
右利き腕の麻痺なので
物を掴んだり 離したり 引き寄せたり
周囲に人がいても「ウゴー」と
意味不明の単語を発する程 力が必要だった。
上肢を保ったまま 元の位置に戻り
膝の力を抜かない様に注意して座るのは
思った以上に本当に難しい。
(ST(言語療法士)リハビリ
⇒ 入院時の状況を理解させ 現状の説明
※ 検査結果(摂食嚥下障害と失語症は無かった)
日常会話を主とした機能訓練
簡単な質疑応答を繰り返す。
絵カードや文字カードを用いて行う。
名前 年齢 出身地 出身校 家族構成
今日は何日 何曜日 ここは何県 何市 何区
何地方 好きな色 好きな食べ物
今日の天気 今いる場所
『あ』から始まる言葉を10個
東北地方の県庁所在地
言葉と数字を聞いて覚えて復唱
簡単な加減乗除練習
数々のスクリーニング検査は
現状確認の為 毎日毎日行った。
動きずらい手で 最初は何度も丸を書く。
鉛筆を持つという苦手意識を無くして
忘れていた能力を思い出す。
③ 誕生日
入院して何日過ぎたのかを実感したのは
3日後だった。
その日 めでたくもない ひとりぼっちの誕生日を迎えた。
それでも私は泣けない。
病気になって 充分悲しいはずなのに
涙が出なかった。
家族との電話で「おめでとう」
「病院に感謝しなきゃね」と言われたが
「ちっとも 何も嬉しくない」と正直に答える。
「いくつになっても、成長しないね」
身内からの ありがたい苦言。
感謝していない訳じゃない。
説明しきれない感情に押し流されているだけ。
今日だけでも トイレに行く時からCT撮影
心電図 リハビリストレッチと
いったい何人の力を貸して貰っているやら。
動けない右半身が
今より少しでも楽になったら
素直じゃない気持ちも ほぐれるだろうか?
自分の責任だったと 少しずつ理解してきたし
どんなに強がっていも 言い訳しても
まだ一人で車椅子にも乗れない。
食後 支えにしている方の身体が
妙に重く感じた。
「あら、あら」と
点滴コードが抜け落ち外れ
あっという間にパジャマは汚れ
まるで 事件現場仕様。
ただ 綿生地に広がっただけなのに
いちいちわざとらしく 驚いてしまう自分が
寂しい。
病室に慣れ 車椅子にも少し慣れた週末
家族から 多くの着信履歴があった。
何事かと折り返し連絡したところ
「 安否確認 …。」
入院後4〜5日が ヤマだと言われたそうで
「今だから 言える事だけど。」と
言葉少なに返答される。
(あぁ こんなにも
心配される状態で救急搬送されたのか) と
今更ながら 病院スタッフに感謝した。
④ 感謝の気持ち
午後に少し足が重く感じるのは
昨日リハビリを、頑張ったからに違いない。
「次は左右を意識して前に出して。
出来るよ。やれるよ。膝に注意して。」と
1つ1つ言われた事を 目と口で確認する。
回診してくださる少し口の悪い先生
脚と足裏に注意を払いながら
介助補助してくれる二交代制の看護師さん。
お世話かけてる介護士さんの名前を伺い
メモをする。
感謝の呼びかけの人数が多くなる程
良くなる様な気がする。
〔良くなった〕 と 自覚を持てないまま
リハビリは継続された。
主治医と療法士 看護師や栄養士からは
「頑張ってやりましょう。
若いんだから きっと大丈夫」と
励まされ続ける。
(この歳で若いのか? ) と
疑問に思っていたが 会話する度に
少しずつやる気は出てきた。
車椅子に移乗した際には
「座るタイミングは すごくイイですね。
患者の中でも左脚の使い方が抜群ですね」
誉めるポイントと ヤル気を起こす言葉の
数々に 毎回自信を付けて貰う。
「なんだか 動けそうだ。治るはずだ。」
ポジティブ思考を持ち続ける大切さを
身体に染み込ませてくれた人達には
本当に感謝している。
クビのエコーの検査撮影時
「 血管の一部が 石灰化している?かな。」
そんな風に聞こえた気がしたので
「 重症ですか?。」 と問いかけたら
「 病状は主治医よりご説明します。」と
事務的な模範解答。
(そりゃそうだよね)
納得しながらも 「 大丈夫ですよ。」の
返答を欲しがるワガママな病人。
あれだけの血圧変動で
たぶん重症の部類のはずなのに
返答一つで落ち込んでしまう。
「褒められて伸びる人なのよ。」
と意固地になる。
言葉の使い方と 意味を間違えていた。
⑤ 回復期(リハビリ)病院への転院
「治療も落ち着いたし リハビリも順調なので
回復期病院への転院ですね」
緊急搬送28日後に 転院することになった。
心身機能を回復させるための機能訓練と
生活を想定した日常生活動作練習を
積極的に取り入れて指導実施する病院が
リハビリ病院だと この頃は知らなかった。
「休み無く 土・日・祝もありますから
ビシビシ受けて頑張って下さいよ。」と
声かけされる。
この時には 来春病院リハを受けるとは
思ってもいなかった。
「継続は力なり」
今も この言葉を支えにしています。
続けていればいつか成し遂げられると
教え込まれました。
途中でやめずにコツコツと努力を続けることの
大切さを忘れないために
noteに書き記すことにしました。
★:*:☆・∴・∴・∴・∴∴‥∵∴・∴・・∴・∴・☆:*:★
読んでくださり ありがとうございました。
次回 回復期病院へ転院からを綴ります。