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文無しの散財は自傷に似ている、のかも。

いろんなものを売ったり買ったりしています。どうも僕です。

どうにも、買い物をしてしまう癖があります。とくにお金のない時ほど。
我慢できるときもあるし、そんな概念など初めからこの世に存在しないかのように、気がつけば買っているというときもあります。

つい買い物をしてしまうタイミングというのはなんとなくわかっていて、

それなりに必要なもので (人生において必要なものではない)、手に入れるには買う以外に方法がない

いつか用意しないといけないなと思っていたものが、お得に買える状況に「出会って」しまう

死ぬほどくたびれた時

だいたいその3パターンのような気がしています。

お金がないにもかかわらず、なんとかなるだろうと思ってつい買ってしまうその行為は、まさしく自殺行為に等しいのですが、なぜそうしてしまうのかについて考えてみると、それは多かれ少なかれ、「新しいもの、新しいことに触れたい、そちらに進みたい」という、意欲のあらわれなのではないかと思うのです。

一説に「死ぬほどでもない自傷行為は、みずからの存在証明のためである」という話があります。

これまで自傷に至ることのなかった僕にはその真偽はわかりませんが、生きていることの確認のための自傷と、みずからの意欲の発露としての無計画な散財というのは、通底するものがあるのかもしれないと、文無しの僕は思うわけであります。

どちらも褒められたことではないし、前提として、それらを正当化する話ではありません。

なので、今日はなにも買わなかったぞ。偉いだろう。

…自戒を込めて。おわり。

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