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名文を生み出すということ

ひとつの名文を生み出す行為は、彫刻に似て、さあ書こうと思いついた瞬間から心の中に生まれ移りゆくよしなしごとのなかから、あらゆる余談や余計な表現、レトリック、装飾(虚飾ともいう)を削り取り削ぎ落とし、ノミを入れ、鉋を掛けて整えた末に、はじめて生まれる可能性のあるものであって、その境地に至るまでには長年に渡る苦行、研鑽、切磋琢磨、学びと模倣、守破離等々さまざまな経験を経る必要があるであると個人的に思いつつ、日々公私問わず多かれ少なかれ文章を生み出している僕は、到底その域にたどり着けない葛藤や悔しさ、また他人の名文や上手い表現への嫉妬など、常々苦しみを感じているのでありますが、個人的に名文の境地、宝庫であると僕が感じるのは「詩」で、その単語の取捨選択、1の言葉で1000の情景や心象を語り、時に世界を恣意的に切り取る、それぞれのことばの力や組み合わせの妙には舌を巻くというか、畏敬の念というか、自分自身がそれらを生み出すことができない悔しさというか、ヤラレタ! という感じというか、そういう複雑に入り混じったモヤモヤした感情を持たざるを得ず、シクシクと胃が痛むわけで、でも、であるからこそ、このnoteには自分なりに、前述のさまざまをぎゅっと濃縮した何かを溜めて溜めて溜めて溜めて、凝った(こごった)カタマリをゲロっと吐き出すかのように、毎日書き続けようと、そう考えておる次第でございますが、ちなみに今日は、そんな凝ったカタマリの一例として、ここまで読んだ賢明な皆様はお察しのように、とにかく一行で句点を設けずに、できる限り長く、かつなるべく話の流れが破綻しないように文章を続けて書くトレーニングを兼ねており、自分なりにはそれなりに書けているのではないかと自画自賛しているのですが、皆さんはどう感じるだろうか? と、せっかくここまで読んでお付き合いいただいたご縁もあるので、ぜひコメント欄にて何かひとこと、ご意見ご感想などを賜りつつ、よいと思ったならぜひとも「スキ!」もお願いしたく…って僕、こんなことを書くとなんだか自己承認欲求のカタマリというか、クレクレ君的なヤツだなあと我ながら苦笑してしまうのですが、思い起こしてみれば僕は子供の頃から、自己承認欲求が強いくせに面と向かってそれを要求するのが苦手な不器用なヤツで、それでいてあまり褒められた記憶がないので自己評価がとても低く、すぐいじける子供で、そのひん曲がった性格を矯正するのには大人になるまでかかったなあ…そのきっかけはやはり結果を出して褒められた経験が大人になってそれなりにあったからなのかもしれないなあ…とか、自分語りはそのへんにしておきますが、皆さん、自分の子供は、叱るべきタイミングには叱り、褒めるべきタイミングにはきちんと褒めるのが大事だと、僕の子供時代の経験と記憶からそう強くオススメしたい…んですが、そもそも僕は子供どころか結婚すらもしていないのでまあ話半分に聞いてやってください。ああ、もう限界。文章が途切れちゃったので今回はおしまい。記録、原稿用紙3枚。てなわけでまた次回。

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