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第3話の悲劇

物語、特にアニメなどの第3話は、ひとつのキーポイントだとよく言われます。
ひととおりの人物、舞台の紹介が序盤で終わり、今後の展開のキーとなるストーリーが展開されるのが、第3話。
悲劇的な展開も多いことから、俗に「第3話の悲劇」などと語られます。

ちょうど、noteでの投稿も第3回目。
普段その話はしないのですが、まあここらで、僕の人生においておそらく切り離すことのできない、病気の話でもしましょうかね。

なんの病気かは、まあ言いません。読めばわかる人が多いことでしょうし。

もう10年近く前になりますか。ある日突然なのか、いつの間にかそうなっていたのか、あるいは元々自己評価の低かった僕にはそういう節があったのか、ちょっと記憶がないのですが、ある病災が僕に降りかかりました。

自分がその病気になるまでは、まったく自分には無関係なもので、まさか自分が…とか、その病気のことがよくわからない…とか、その程度の認識でした。

ただ、当時は戦場のような職場で、いろいろなことがうまくいかず、仲間にリタイア者が続出して、その統括を行う立場の僕は日々ストレスの中。守衛さんより遅く帰るなんていうのはザラな毎日で。
幸か不幸か家から近い僕は、明るくなるまで仕事して、ちょっと家に帰って、シャワーを浴びて出社するなんていうことも少なからずありました。

異変が訪れたのはそんなある日のこと。

ふつっ、と。

一定の閾値をこえると、何も考えられない。
すべての思考が停止し、ホワイトアウトする、そんな症状。

受ける質問や会話も、言葉の表面を思考がするすると滑っていくような感覚で、聞こえはすれど脳に入ってこない。
沈黙だけが過ぎていく。

胃や脳、体のあらゆる器官が、締め付けられるような
、叩かれるような苦しさで、パソコンで言えばCPU使用率が、なにもしていないのに、常に100%状態。

やりがいの原動力となっていた、いわば味方の「責任」という存在が、掌を返したかのように、悪魔のように自分を苛む。

そんな状態が、起きている間は常に続いて、夜は眠ることもできず、その状態が無限ループのように自分を追い込む。

原因不明の状態が、自分に対する疑念が、まるで大空襲の、爆撃機の投下する爆弾と機銃の嵐のように、こころに降り注ぎ、炎をあげ、燃え盛って24時間消えない、そんな状態。

消えたい。自分ごと。
リアルにそう思いました。

ある知人の死により、「消える」ことは免れましたが。

そして、仕事上のひとつのマイルストーンを超え(本当に超えたのかどうか、当時の記憶は実に曖昧です)、そこから、病院に行き、医師の診断により、会社よりお休みをいただき、そのまま数ヶ月はほとんど外に出られない日々が続き、家族の目も恐ろしく、体重は20kg増え、そうして、その会社に戻ることはできませんでした。

以降、僕は未だに、その病を克服できずにいます。
毎日たくさんの薬を飲んで、平静を保つ日々です。
普通はこれだけの年数が続けば、障害者認定を受けることもできるそうで。

こんな話をするのは、仕事の上では全くもってリスクでしかないのですが、特にインターネット以降何を隠してもバレるこの世の中、隠し通したまま仕事をし続けることのほうが不誠実なのではないかと、そうも思うため、積極的に言わないだけで、聞かれればオープンにしています。とても怖いことだけれども。

僕にとって幸運だったのは、いま自分でやっている仕事と出会うことができたこと。

まさしく、光明でした。その素晴らしさと、いまも尽きない発見、そして、未だ日本で誰も専門的にやっていないことから来る使命感と、受ける期待が、もうそこに行くしか生きていく道はないと、僕を呼び起こしてくれました。

僕はよく「(この仕事と)心中することに決めた」と表現したり、何か良い成果を出せた時に「恩返し」という表現を使ったりするのですが、これは冗談でも世辞でもなく、本当にそう思っていたりします。

病は、薬の力を使えば無理やりにでも抑えることができる(それでも時々できないで寝込んだりするし、それで多大なる迷惑をかけてしまうことがある)、継続のためには身銭を切ったりそれ以上に投資したりもする、それでも5年は赤字が続いて、食うや食わずや…もとい、食わずやの日々が続いて、それでもやめない。

そんな働き方を、仕事ではないと思う人もいるかもしれません。でも、僕には当座「これしか切れるカードがない」状態で。

でも、5年の赤字を経て、少しの黒字が出て、昨年からオフィスを借りることができ、昨年末には助けてくれた実家から一人暮らしを再開、そしてやっと本業の方で生きていくためのきざしが見えてきて、いま、少しだけ過去を俯瞰し、ちょっぴり先のことを考えられるまでに、状況が改善してきました。

それでも、今も迷惑をかけ続けている人もいます。

そんな歴史を経て、今の屋号で、8年目です。

そんな状態なので、もう、というか、最初からというか、起業や開業にありがちな意識の高さとか野心とか、そんなものはありません。

僕がどんな状態にあろうと、僕が存在し、存在すること自体が迷惑にならない限り、やめないこと。

それのみが、僕ができるただひとつの約束です。

すべては、僕を救ってくれたすばらしいものたちへの、恩返しのために。

明日も、明日できることを。

ってな、僕のnote第3話でした。

なんでそんなことを書くかというと、前述の理由のほかに、不幸にも同じようになってしまった、そしてこれからなってしまう人や、はたまた未来の自分に向けて、「生き続けているよ」と、ひとつの足跡、経験談として、オンラインに置いておくことが、何らかの材料になるかなと、そう思ったわけでありまして。

僕もこれからどうなるかわからないけど、いまの時点のポイントオブビューをここに。愛を込めて。

この物語がフィクションかノンフィクションか及び、実在の人物や団体と関係があるかについては、ご想像にお任せします。

おわり。

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