見出し画像

愛犬との別れを後悔している


我が家はその昔、犬を飼っていた。
黒色のラブラドール・レトリバーで、とても愛嬌があって人のことを疑わない子だった。

その子の名前をこのエッセイ(?)では仮にAと呼ぶことにする。

Aは、私が生まれる1年前、両親が結婚したことを機に家に迎えられたらしい。
両親曰く「可愛いのもあるけど、子育ての心構えができると思って」とのことだった。
私が生まれてまだ幼いうちは、歩いてもAがぶつかってしまうと私が転んで泣きじゃくることもあった。大型犬と乳幼児の体格差はそこそこデカいのだ。

私が5歳になるころには、私の言うことにもちゃんと従ってくれるいい子だった。
お手やおかわり、おすわりなどの基本的な指示はきちんと聞ける。
散歩中も、道ゆく人たちと自ら目を合わせようとし、尻尾をぶんぶんと振ってたくさん歩きたがった。Aが目を合わせようとするのは、犬が好きな人は基本的にすれ違う犬を見てしまっているので「撫でますか!?自分、いけます!」という撫でられ可愛がられ待ちのアピールだったのだと思う。基本的に人を疑わないので、Aをはじめとしたレトリバー系のワンちゃんたちは「人はみな犬が好き!」と思い込んで愛嬌たっぷりな可愛い態度をとりがちだというのが我が家での定説である。

そんなAも15歳になった頃、耳がとても遠くなった。老化による聴力の低下は、きっと誰しも避けられない。
それまでは全く吠えることなく過ごせるいい子だったが、耳が遠くなったことで「周りに誰もいない」と不安を覚えるようになったのかよく吠える、というよりも鳴くことが増えた。
喉の奥からでる細く高い「クゥーン」という声は、今でも鮮明に思い出せる。トイレの世話なども増え、家の階段も補助しなければ登れないようになっていった。

Aが亡くなった日。
私は家に居たのに、Aの最後を看取らなかった。

「看取れなかった」のではなく、「看取らなかった」のだ。
学校から帰宅し、自室でゴロゴロとしていたとき、母がリビングから私に呼びかけた。「Aが最後かも」と何度も呼んでいた。
だけど私は、リビングへ行かなかった。
しばらくして母が私を呼びかけるのをやめた。寝てるのと聞いていた。全部無視した。
Aの最期に向き合うのが怖かったから。最期のそのときに逃げてしまった。それまでずっと一緒に生きてきた家族なのに。

子どもだったと言ってしまえば確かにそうなのかもしれない。

それから10年近く経った今、このときのことを思い出してやっと後悔している。
これまでも、Aと過ごした楽しい思い出がいくつもあって、家や近所の散歩コースだった景色を見てはAのことを思い出している。
だけど自分の後悔は思い出さないようにしていた。無かったことにして、私はAの良き家族であったと言い聞かせていた。
だけどだんだんと大人になるにつれ、後悔はもう覆い隠せないほどはっきりと自分の中で存在を増していた。
なんで怖がってしまったんだろう。Aの最期を一人で看取った母の気持ちは?
自分だけが向き合わずに別れを迎えて、その後にAとの楽しい思い出だけを思い出して、それって卑怯じゃない?
自分の中にさまざまな後悔が渦巻いて、内に抱えていることがとても辛くなった。

だからこうして文章に起こすことで、Aの死に向き合っている。
随分と向き合うことが遅くなってしまった。だけどAは両親にとって初めての子どもであり、私の初めてのきょうだいである。
そして私にとっては初めての家族との死別だった。

ここまで来てやっとそのことに正面から向き合い思い出せたので、今日はAのことを思い線香を上げようと思う。

我が家の最愛のラブラドール・レトリバー、Aを思って。



ユスラウメ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?