『蒼炎の舞台』 本編
神奈川県にある某高校、とある教室では休み時間なのか生徒たちがガヤガヤとして賑わっている。進級に伴いクラス替えが行われて数ヶ月。
楽しそうに話す生徒が多い中、目黒は一人机に向かい一心不乱にノートに何かを書いている。
会話の中心にいながらもその目黒の様子が目に入り気になった白瀬はスッと輪を抜け目黒の前に現れる。
「それ、いっつもなに書いてんの?」
答えるまでの3秒がやけに長く感じる。目黒は何でもないことかのように答えた。
「漫才の台本」
白瀬はてっきり、文芸部に所属するらしい目黒のことだから小説か何かだと思っていた。度肝を抜かれる、そんな思いだった。
同日、放課後。彼らの教室にて。
先ほどとは打って変わって教室には、表情の変わらない目黒とワクワクとした面持ちの白瀬しかいない。
目黒はそんな白瀬をスルーしてのトーに変わらず書き続けている。キャンパスノートは彼の書く文字でいっぱいだ。書いてはシャーペンをカチカチとして芯を出す。白瀬は目黒に向かい合うように椅子の背もたれに手を置き、座面を跨ぐようにして座っている。
目黒の手が止まる。白瀬はそのタイミングを見計らってかやっと初めて話しかけた。
「なあ、目黒ってお笑い好きなの?」
キラキラとした表情の白瀬とは違い、少し訝しむような目で目黒は見る。
「まあ、そうだね。ゆくゆくはプロになりたいと思ってる」
その返答に白瀬はより一層目を輝かせた。まるでゴールデンレトリバーのように人懐っこい笑みを顔にたたえ、白瀬は言った。この一言が自身の人生を大きく変えることになるとも知らずに。
「じゃあさ、目黒とオレの漫才の台本も書けたりする?」
目黒はそれを聞くとニヤリと笑った。
2日後の今日。朝、いつも通り教室に入りクラスメイトにおはようと挨拶する。
自分の席につく。ちょうど目黒の前の席だが、一昨日話してからというもの特にその後進展はなかった。白瀬はきっともうオレと話したのも忘れてるのかな、本気で作ってくる訳ないか、と少しだけ残念に思っていた。目黒は一人行動が多く見えるが、それでも授業中にボソッと後ろで呟かれる彼の言葉にツボにハマったのは一度や二度じゃない。白瀬にしか聞こえないくらいの声量で呟かれる目黒の言葉選びに、白瀬はすでに虜であった。密かなファンになっていたのだ。
そんなことを考えながら机に教科書やらノートやらをしまう。肩を弱くトントンと突かれた。振り返ると、いつもと変わらない目黒がノートを差し出してきた。困惑しながらもノートを受け取った白瀬に目黒は言う。
「これ、作ったから。僕と白瀬とで文化祭で漫才をやろう」
突然のお誘い、というよりも宣言に脳内での処理が追いつかない。そんな様子を悟ったのか目黒はさらに続ける。
「うちの文化祭、今年はM-1チャンピオンのコンビが来るでしょ?少しでも目をつけてほしいから、白瀬に手伝ってほしい」
目黒の表情は一見して変わっていなかったが、その瞳には野心がギラギラと宿っている。
白瀬は元来の人の良さで快諾した。文化祭で漫才をする、それくらいならオレにも手伝えるかななんて軽い考えでOKと言った。
放課後、早速ネタ合わせを始めた。白瀬はネタ合わせなんてプロっぽいなと思いながらノートをパラパラと読む。
「じゃあ、まずはこれ全部覚えてね」
あまりのスパルタ宣言に思わず白瀬は驚きの声を漏らす。
「だって全部覚えておかないと、自分がネタ飛ばした時に思い出すヒントが少なすぎるでしょ?それにプロで長いこと漫才やってる人ならアドリブでもうまくカバーできるかもしれないけど、僕たちみたいな素人はまず台本どおりにできるようになるってのが先決じゃないかな?」
白瀬は元気よく正論!と答えた。
「覚えられるかな〜!」
またパラパラとノートをめくり目黒の文字に目を落とす。
目黒は付け加えるように白瀬にこぼす。
「それに白瀬は頭良いんだからすぐに覚えられるでしょ」
白瀬にはそれがもちろん聞こえていたが、聞こえていないふりをした。なんで目黒にはバカだと思われていないんだろう。そう見えるように振る舞っているのに、と白瀬は自身の学校での振る舞いを回想する。
授業中、先生に指されてもわかんないふりをする。おちゃらけた顔してあえて軽薄に謝罪する、そうすると隣の席のクラスメイトが呆れた顔をしながら助けてくれる。こうすることでオレを下に見て助けてあげようと思うのだろう。だけどそれでいい。オレのことを助けてあげたいと思えばいい。
体育の授業、サッカーでゴールを決めた時も「ヨッ!顔と運動神経いい男〜!」などとヤジを飛ばされる。笑顔でやめろよなんて言うが、そう思われることに嫌悪はない。オレが運動しか得意じゃないと思ってくれて結構だ。
オレはそういうキャラクターとして、このクラスにいる。そうすることで一番目立つわけでも、虐げられるわけでもない、一番安全な場所にいられる。それでいいんだ。どうせ数年後には誰もオレの記憶に残らないんだから。オレのことも忘れてくれたらいい。なんか元気なやつがいたな〜ってくらいになればいい。
そう思ってたのに。目黒はオレを真っ直ぐに見て言う。
「前に、テストの点見えたことあったけどクラス最高点じゃなかったっけ?」
バレている。
「あとさ、友達と話してる時に言い間違いに気づいてもあえて訂正しなかったよね?話の腰を折るからやめたんだろうな〜って思ってた」
なんで、ちゃんとオレを見てるんだろうこいつ。
「たまにクラスが嫌な空気になっても白瀬がわざとずれたこと言って笑わせたから大ごとにならなかった、みたいなこともあるじゃん?」
どうして見えているんだろう。オレはちゃんと理想のオレの演技をしてたはずなのに。
「僕とかみたいな地味〜なやるのこともちゃんと覚えてるじゃん?何が好き、とか。そういう能力、芸人にも必要なもんだと思うんだよね」
無表情がデフォルトなはずの目黒がニッと口角を上げ白瀬に不敵な笑みを見せる。
「だから、僕と本気でコンビ組もうよ」
午後9時、白瀬の自室にて。
ベッドに仰向けに寝転びスマホの光が白瀬の顔を照らす。チャットアプリの画面には今日交換したばかりの目黒の連絡先が表示されている。
「返事は高校卒業までの間だったらいつでも構わないから」
目黒からは簡素な文章でメッセージが送られてきている。
白瀬は将来の夢と言われるようなものを持っていなかった。ただ漠然と、いい大学に進学しいい会社に勤められたらいいと思っていた。シングルマザーとして自分や妹を育ててくれた母にもう少し楽させてあげられるかも、妹の学費を用意できるようになるかも、強いていうならばこの二つが白瀬の抱く夢であった。
ただ今日になって、新しく将来の夢、選択肢が突然にして現れてきた。考えたこともなかったが、目黒にああ言われて案外できるのかもしれないとその気になってしまった。
目黒の言葉に力を感じてしまったのだ。一度見た夢は簡単に頭の外には振り払えなかった。
それからも文化祭に向け、放課後や夏休みの期間を使い練習に励んだ。目黒は白瀬を家に招き一緒に過去のお笑い番組を見て勉強してと言った。白瀬はそれまで流行りのよくテレビに出ているお笑い芸人が好きだったが、目黒の勧めもあり関西圏でよく活動している漫才師のことも好きになり積極的に見るようになった。自分もこんなふうに堂々と漫才ができたら、そう思うとますます目黒とプロになりたいという気持ちは強く抑えられないものとなっていった。
文化祭当日。設置された簡易な舞台、その袖にて。
校内全体がガヤガヤと賑わいお祭りのようなその空気に、いつもは抱かない特殊な胸の高鳴りを白瀬は全身で感じていた。
目黒は普段は長い前髪が目にかかっていたが、今日はヘアセットをしたのか清潔感のある分け目でいつもは見えない目元や額が露わになっている。
白瀬は自身の緊張感、というよりも武者震いを隠すため目黒に軽口を叩く。
「今日は随分カッコイイね」
言われた目黒は白瀬の微かな声の震えに気付き返すように軽く言う。
「どうした?緊張してんじゃん」
からかうような口調に少しだけ安心を覚える白瀬の背を、突然目黒はバンっと叩いた。
驚き口をパクパクさせる白瀬を見て目黒はハッと笑い飛ばしてからいった。
「今更どんな心配をしたってしょうがない。もうここまで来たら、今日までの中で積み重ねた努力と自信で勝負するしかないんだから」
呆気に取られた白瀬の耳に出囃子が届く。目黒は改めて白瀬の背をグッと押す。白瀬は気合を入れるため自ら頬に手を打つ。バシンッといい音がしたかと思うと、覚悟を決めたといった表情に変わる。その様子を見た目黒はニンマリと口角を上げる。
やはり白瀬を誘って正解だった、派手な舞台に負けないほど派手な白瀬こそ芸人になるに相応しい。何度も思っていたことが目黒にとっては確信に変わる。
すると文化祭のスタッフTシャツを着た女子生徒が出番ですと二人を呼ぶ。
舞台への階段を上がる二人の背は若く青い。
緊張した面持ちの白瀬はウロウロと舞台袖で落ち着かない。それに対し一方目黒は発声練習を迷惑にならない声量で行っている。いざ舞台に立てば、根暗でネガティブなキャラは目黒、明るくポジティブな人は白瀬という印象なのだが、三つ子の魂百まで。高校時代から身体は例え数年を経て変わっていても、彼らの根っこは今に至るまで変わっていない。
「また緊張してんの?」
からかうような口調で目黒は尋ねる。いつまで経っても白瀬は容姿と相反してネガティブな心配しいなのである。
「そりゃあこんな大舞台まで来れるなんて思ってなかったからさ〜!」
そう、ここは漫才師ならば誰もが憧れる大舞台。二人は若くしてついにここまで昇り詰めた。
「ここまでやってきたこと、思い出して」
目黒が静かに燃える青い炎のような瞳を白瀬と合わせる。
白瀬はその目に見覚えがあった。あの日だ、あの初舞台の日に見た目黒の目。
あのときも、メラメラとした赤い炎ではない、静かにそれでいてより熱く燃える青い炎。
「ね?やるしかない、ってかやれるでしかないでしょ僕たち」
自信満々といった目黒の青い炎は白瀬に伝播する。
白瀬はいつの日かの初舞台と同じ、自身の頬をパシンと打ちニッと笑う。武者震いを振り払う。
「よしっ!やるしかない!」
気合の入った声を上げる白瀬の背を目黒がバシッと叩く。これもまた初舞台の日から二人の間のルーティーンとなった、お守りのような行為である。
スタッフから位置につくよう声をかけられる。
二人はそれに返事をし舞台へ歩み始める。今度は、初舞台のあの頃と比べ物にならないほど華やかで煌びやかな大舞台へと向かう。
舞台は変わっても、目黒はまた確信する。白瀬こそがこの舞台で僕たちで作ったネタをやるに相応しい、この舞台のキラキラに負けないのは白瀬だけなんだと。
そうして舞台へ上がる二人の背は、あの日の青さをとうに感じさせない、大きくまさに威風堂々といった背になっていた。
二人が史上最年少チャンピオンと呼ばれるのはこの数時間後のことである。
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